北西の魔女
「ティレアちゃん、もうこれっきりにしてよね」
ヘタレが不満を露わにして、書類を渡してくる。
そう、俺はこの世界で身元不明である悟の為に、偽造の証明書をヘタレに用意してもらったのだ。さすが腐っても元Cランクの冒険者、ツテを持ってらっしゃる。
「ビセフさん、ありがとうございます。また何かあったら悟を宜しく頼みますね」
「テ、ティレアちゃん、もう勘弁して。偽造書を用意するのに犯罪まがいの手を使ったんだからね」
はぁ、これで終わりと思ってんの? まったく、どの口が言ってるんだ! うちの店を悪徳金融に売り渡した件、忘れたとは言わせねぇぞ!
「犯罪まがいねぇ~他人の店を勝手に売っちゃうのは犯罪じゃないんですかね」
「ティレアちゃん、その件は何度も謝ったじゃないか。それにお詫びとして、ティムちゃんの入学費から手続きまで全てやってあげたでしょ!」
「はい、それは感謝してます。ただ、最初はともかく今のティムは学園の首席で奨学金も出てて学費もタダなんですよ。別にビセフさんがいなくても、ティムは一人で大丈夫なんです。それを恩着せがましく言われてもねぇ~」
「き、厳しいなぁ。でも、今回はそこそこ危ない橋を渡ったんだし許してよね?」
「……」
ヘタレの言い訳に冷めた目で侮蔑する。
「そ、それに前に言ったでしょ。ティレアちゃんのお店を売った形になったのは、本位じゃないって。将来、ティレアちゃんをお嫁さんにしたいというか。一緒になるんだったら、お店も自分が切り盛りしなきゃいけないという話をしてたら、そこを悪徳金融につけ込まれただけなんだよ」
そう、こいつはなぜか俺がヘタレに気があると思っているのだ。
いったい全体どうしてそうなる?
俺がヘタレにお店を売った事情を聞きに行った時にこの話をしたのだ。一瞬、ぶち切れかけて殺そうかと思ったよ。
「はぁ~」
俺は屠殺される豚を見るような眼でヘタレを睨む。
「はは、今は誤解されてティレアちゃんに嫌われちゃったけど。昔はさ、目を輝かせて俺の活躍を聞いてくれたよね?」
まぁ、それは事実だ。小さい頃は、まだヘタレの本性を知らなかった。だから、有名な冒険者が町に来たって、はしゃぎ、話をよく聞きに行っていたのである。
「言いたいことはそれだけですか? それじゃあ、私は悟にこの件を伝えなきゃいけないので失礼します」
「あ~そういえば悟ってどんな奴? ティレアちゃんとどんな関係なの? ちゃんとティレアちゃんを守ってやれるのかな?」
「ふぅ、悟は強いですよ。見かけ倒しの元冒険者と違って」
「うぐっ。そ、それは誰のことを言ってるのかな?」
「さぁ~誰でしょ」
「ティレアちゃんは勘違いしてる。俺は、悟より強い。大体悟は身元不詳だ。そんな馬の骨もわからない奴なんて信用できないよ」
「もうやめてください。少なくとも勝手に許嫁扱いしたり、他人の持ち物を売ったりする人より断然信用できます」
「わ、わかった。もう言い訳しない。俺は言葉でなく行動でティレアちゃんの信用を取り戻す。ティレアちゃん、王都で武術大会が行われるの知っているよね?」
「はい、もしかしてビセフさんも大会に出るんですか?」
「あぁ、ティレアちゃんにはぜひ見てて欲しい。今度こそ、汚名返上するから」
ヘタレはそう言って俺の手を握ってくる。正直、かなりうざいが、大会の情報が聞けたのは勿怪の幸いだ。
ヘタレは、昔の冒険者仲間とチームになるらしい。ヘタレ曰くその仲間はB級の猛者だそうだ。ヘタレのことだから話半分に聞かないといけないけど、ヘタレは実力はともかくツテだけは本物である。あながち誇張じゃないかもしれない。昔の仲間というのが要注意だね。
■ ◇ ■ ◇
アルクダス王国より北西に位置し、商業が盛んな国がある。名をマナフィント連邦国という。そこには決して入ってはいけない禁断の森がある。好奇心から入った者は、二度と出てはこれない。幾たびも有名無名な冒険者が中に入っていった。中には国中から羨望を集めた名のある強者もいた。だが、誰一人として無事に出てきたものはいない。地元の者は、声を震わせ叫ぶ。
森には恐ろしい化け物がいると……。
北西の魔女……。
「なんでぃ! 噂の禁断の森も大したことないじゃないか!」
「あぁ。出くわす魔獣もそこまでの脅威じゃなかった」
「ほんとほんと。地元の人間は何を恐れてんだか!」
三人の冒険者達は意気揚々と森を突き進んでいく。この三人、名が売れた冒険者である。幾千もの未開の地を切り開き、未確認の魔獣を狩ったり、手づかずの財宝を発見したりするトレジャーハンターだ。三人ともランクこそBランクだが、実力はAランクだと自負している。昇進の為にギルドでの面倒な手続きをするぐらいなら探索をしていたほうがいい。そんな奴らなのだ。
「でも、さすが禁断の森だ。価値のある植物や魔獣がわんさといやがる」
「ほんとだぜ。どこも探索し尽され、絶滅とまで言われたディレンゴまで生息しているとは……」
「これは、もうけものですな。噂が先行して誰も手づかすだ」
三人は希少種といわれる魔獣を狩り続け、さらに森深くまで入っていく。奥に行けばいくほど価値のある動植物を発見できるのだ。この先にいったいどれほどのものがあるのか、三人は胸を躍らせ歩き続ける。
そして、進軍すること幾許か……。
三人のリーダ格の男が人影を発見する。すぐさま仲間の二人に合図を送り、警戒する。その一連の動きはさすがといったところか。修羅場をくぐり抜けてきた経験を滲ませる。
「そこにいる者、誰だ? ここで何してやがる?」
返事がない。敵と判断した三人は戦闘フォーメーションを維持し、徐々に近づく。そして、近づいた先には一人の幼女がいた。
歳は十歳くらいだろうか……。
顔だちは整っており、将来が期待できそうだ。服装は高価な魔術服らしきものを着ている。この年にして魔術師なんだろう。着ている服は、一級の魔術師に勝るとも劣らない。素人目にはわからないきめ細やかさと、繊細な魔術付与がほどこされている。数々の財宝を目利きしたこの男だからこそ、わかるのだ。
子供という事で多少気は抜けたが、禁断の森に子供と高級なローブというちぐはぐな光景を間の辺りにしたのだ。リーダ格の男は警戒心を抱き、声をかける。
「お嬢ちゃん、こんなところに一人でどうしたんだい?」
「 妾に言っておるのか?」
「あぁ、他に仲間でも――」
子供がこんな所にいるわけがない。他に誰かいて子供をおとりに油断を誘っているのではないか。三人はそう思い、周囲を警戒する。
「くっくっ、仲間には手を出させん。な~に久しぶりの客人じゃ。妾が1人で相手をしよう」
次の瞬間、リーダ格の男の全身にぞわっと鳥肌が立った。
「そ、そなえろぉ――っ!」
半ば反射的に叫んだが、声に応える者はない。仲間の二人はあっけなく全身を粉々に切り裂かれたのだ。
ば、馬鹿な!?
二人は歴戦の勇士だった。少なくとも無防備にやられるような奴じゃない。しかも、仲間の一人が装備していた鎧はSランクの価値があるのだ。その重さが難点ではあるが、硬さでは絶対の信頼を得ていた代物である。それをなますを斬るがごとく切り裂いたのだ。
信じられない圧倒的な力の差。今まで培ってきたものを覆された気分にリーダー格の男は切れた。その化け物に向かって渾身の一撃を入れにいく。
「うぉおおおおお!」
リーダー格の男の気合の一撃……。
だが、化け物の手で難なく止められた。化け物は躊躇なくその男を切り刻む。そこには恐怖に固まった表情の骸が三体できあがった。
「ラグナンジェ様、お見事です」
メイド風の少女が、いつしかその幼女の傍らに待機していた。
「あぁ、また勝ってしもうた。メグ、妾は退屈じゃ。妾はわかったのじゃ。この世は退屈そのもの。生きるということは、すなわち退屈との戦いというわけじゃ」
「ラグナンジェ様、良ければまた私めがお相手をしても――」
「ふっ、確かにメグは妾を相手できる唯一の存在じゃ。だが、それも数百年もすれば飽きる。妾は敗北を味わいたい」
「ラグナンジェ様……」
「メグ、思えば武を極めようとした数十年が一番、幸せじゃった。勝てぬ相手に知恵を絞り、血汗を滲ませる。その過程がなんとも知れぬ充実感を思わせた。上へ上へと我が身を昇華させ、武の頂きを目指す。だが、いざその頂きに上ってみれば、その風景のなんと寂しいことよ」
「ラグナンジェ様、それならばアルクダス王国で開催される武術大会に出場されてみてはいかがですか?」
「武術大会じゃと? 久しく出ておらなんだが、妾のたしになればよいがの」
「アルクダス王国は先年、魔族の襲来を撃退しております。その猛者共が出場するとなれば、少しは楽しめるものかと」
「ふむ……」
「それにメグは、この大会に強者がいるとかんが働いています。ぜひ、出場を検討されてみては?」
「メグがそれほど言うなら騙されてみるのも一興じゃ」
敗北を味わいたい。武の頂きにいること数百年勝利しか味わえなかった。これほど空しいことはなかった。
妾を地べたに這いつくばせるほどの強者に出会いたいものじゃ。
ここに、北西の魔女と唄われた伝説の怪物が武術大会への出場を決定した。