六段目:シンバル
音楽室中に重い空気が流れる。
課題曲の練習を始めて約20分、須田の怒鳴り声が響いた。
「おいペット!!お前らちゃんと練習してんのか!?」
「…はい。」
トランペットのパートリーダー、林友子が答える。
「なら何で何で出だしの1小節が吹けないんだ?」
友子は黙りこんだ。
「こんなんじゃ全体練習やっても無駄だ。今日は個人練しろ。全体終わり!!」
そう言って須田は音楽室から出て行った。
数十秒間、部員全員止まったまま動けずにいた。
慎が言っていたようにバスケ部で散々怒鳴られてきたが、やっぱり怒鳴り声に慣れはしない。
というより、女の先生がこんなに怒るのを初めて見たショックかもしれない。
『ガチャッ。』
静まり返った音楽室にドアを開ける音が響く。
「望月―。」
扉を開け、舞を呼んだのは須田だった。
舞は瞬時に反応し、扉の方へ向かった。
「お前ら何してんだ!?さっさと練習に行け。」
須田が言うと全員テキパキと動き始めた。
「あ、あと水野も音研来て。」
ドキドキしつつ、透も音研へ行った。
音研の部屋の狭さが、なんとなく威圧的に感じられる…。
「水野、もうシンバル叩いたか?」
「まだです。」
言葉より先に首を目一杯振っていた。
「明日の合奏からシンバルも出来るようにしといて。」
「えっ!?」
透と舞の声が重なった。
「コンクールまで1ヶ月、しかもテスト休部があるから実質半月位しか時間が無いんだ。のんびりやってるヒマはない。」
須田はなんのためらいもなく言った。
「先生、それはちょっと…」
舞が言う。透も首を縦に振った。
「さっさと代わりを勧誘せずに、水野が良いって言って、バスケ部引退まで待ってたのはお前だろ、望月?」
「はい…。」
「もう充分待たせたんだから、明日からやりなさい。そろそろ全体の音を聴かなきゃバランスがとれない。コンクールに間に合わなくなる。」
そう言った須田の顔は深刻で、従うしかないと思った。
「分かりました。」
舞と透の声が重なった。お互いに驚き目を見合わせた。
「あはは、息ピッタリじゃん。その調子でスネアとシンバルも合わせてくれ。スネア、バスドラム、シンバルの三角形が崩れたらマーチは終わりだからな。」
須田は笑っていたが、透には脅しに聞こえた。
「あり得ないよ―。」
音研を出た後、舞が言った。
「てか俺、あの楽譜ならすぐ出来るよ。」
冷静になって考えてみれば、四分音符と全音符くらいしか無い簡単な楽譜だ。
「悪いけど絶対無理。手を叩くのと同じくらいに考えてるでしょ?」
「……」
『その通り』と言いたかったが雰囲気的に言えなかった。
「打楽器って『叩くだけでしょ、誰でも出来る』って思われるから嫌なのよね。そんな簡単じゃないのに。」
舞が感嘆して言った。
「難しいってのはよく分かった。でもやるしかないだろ?」
感情的な舞とは違い、透は落ち着いていた。
「それはもちろんだよ!」
「でも『絶対無理』って言ったろ?そんな気持ちじゃ出来るわけないじゃん。その言葉キライ。」
舞はドキッとした。そんなつもりは無く、流れで出た言葉だったのに…。
舞は『絶対無理』と言った事を後悔した。
「水野君ってさ、昔っから負けず嫌いだよね。」
「はぁ?」
「ピアノやってた頃私の事めっちゃライバル視してたでしょ。」
「それはお互い様だろ?俺的には望月のが敵対心強かった気がするけど。」
「そんな事無いって。水野君がさ、何でも出来ちゃうのはその意志の強さがあるからだよね。」
「いきなり何言ってんの?」
「ピアノすごく巧いのにキッパリ辞めちゃって…しかもバスケでも有名になっちゃうんだもん。」
「有名じゃないよ。本当に巧かったら全国大会行ってるだろうし…」
ふと今尾高校の山野先生の言葉が甦った。
『君のプレーには弱点がある』
『それが試合の敗因だろう』
「じゃあ、吹奏楽で全国大会目指そ!」
少し暗くなった透を察してか、舞は明るく元気な声で言った。
「行けるの?去年は地区落ちなんだろ?」
「去年なんて関係ないよ。『絶対無理』はキライなんでしょ?だったら全国大会だって行ける。私は行くつもりだから!」
舞の言葉に迷いや諦めは無かった。
「りょーかい。」
「やば、喋りすぎちゃった。さっさと練習しなきゃ。時間は限られてる!!シンバルとメトロノーム持って外行こう。」
「はいよー。」
音楽室と校舎を繋ぐ渡り廊下の横の日陰で練習する事にした。
自然と透の心は、頑張ろうという思いと、シンバルを巧く叩く自信で満ちていた。
が、この自信はすぐ打ち崩された…。
「違う。」
シンバルの練習を始めて30分以上、舞はずっとこの言葉しか言っていない気がする…。
「もっとシンバル全体を響かせるの。ジャーンって。」
「そんな抽象的な事言われたって分からんって。」
透は全くコツを掴めずにいた。
「大切なのは脱力。トライアングルを強く握って叩いたら響かないでしょ?それと一緒。身体中の、特に腕の緊張を無くして、自分の腕も楽器の一部って思って叩くの。」
「りょーかい。」
透は一度シンバルをスタンドに置き、深呼吸をした。
身体中の力を抜きリラックスしもう一度叩いてみた。
「ジャーン」
「あっ、今の良かった!」
舞が嬉しそうに言う。
「ちょっとだけイメージ分かったかも。」
感覚が、なんとなくバスケのシュートをする時に似ている気がした。
「忘れないうちにもう一回やろ。」
透は頷きもう一度叩いた。
『プスッ。』
「あれっ?」
音が鳴らない。透は驚き手元をずっと見つめた。
「それは空気が入っちゃったの。両方のシンバルがぴったりと重なると空気の逃げ場が無くなって音が響かないんだ。だから2枚をちょっとズラして叩くって言ったの。」
「そうだった、忘れてたや。」
もう一度叩いてみる。
『ジャーン。』
「上手い上手い。やっぱ腕力あるから安定してるし上達が早いね。じゃああと20回くらい叩いたら次進もっか。集中すれば出来るから。」
「はいよ。」
途中4、5回やり直しになったが透は20回叩き切った。
「オッケー。今のが全音符とかの基本ね。次は連打、四分音符の練習ね。」
「らじゃ。でもちょっと休憩しよ。水飲んでくる。」
約1時間、日陰といえど夏の野外でシンバルを叩き続けるのは、思った以上に疲れる事だった。
「じゃあ5分休憩ね。」
「…やっぱだめ。」
「えっ?」
校舎内へ行こうとしていた足を止めた。
「みんな戻って来てる。もう時間だ。」
「えっ、もう?」
管楽器の子が続々と音楽室へと戻ってゆく。
「どうしよう。まだ全く連打やって無いのに。やっぱ明日までになんてム…」
舞は言いかけて止めた。
「ムリって言おうとしたんだろ?」
透が問う。
「止めたもん!それより早く音楽室戻らなきゃ。行こっ。」
「はいはい。」
透はシンバルとスタンドを持ち上げた。
『あっ、夏の匂い。』
心地よい風に夏の訪れを感じた。