七十二番槍 いざ尋常に勝負!
挿し絵入れなきゃな~…。
明日には入れますので!
今回は決闘です!
歴史で決闘といえば…ねぇ。
1612年4月13日。
船島にて、2人の剣客が命とプライドと最強の座を賭けて決闘を行った。
船島。
知れている名は巌流島。
そう。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘である。
ことの発端は武蔵が細川家の城を訪ねたことである。
「たのもー!そちらの佐々木小次郎と決闘がしたい!我は宮本武蔵!天下無双の二天一流の使い手だい!」
二天一流。
いわゆる二刀流。
右手に長い刀、左手に短い刀を持つ、武蔵が開祖の流派である。
「そちが宮本武蔵かっ!いいだろう!この佐々木小次郎が巌流をもってして貴様を一刀にて葬らん!」
巌流は、燕返しを伝える小次郎が習った流派。
燕返しは一刀目を広めの間合いから下に振り、すぐに二刀目を振り上げる巌流の奥義。
武蔵と小次郎の決闘が決まった。
決闘の許可は藩主の細川家が下した。
しかし、場所は城下ではなく船島。
細川家はかつて西軍に味方した武蔵との決闘を許すにあたり、幕府からのお咎めを警戒した。
そのためわざわざ人の居ない無人島を選んだ。
「武蔵!当日はお互い真剣でやろうぞ!」
「ふん!貴様はそれでいい。俺はあえて木刀を使う!」
小次郎の申し出を武蔵は拒否した。
「バカにしやがって!俺の刀90センチあるんだぜ!普通の人間は70センチが限界だろうに!そんな俺に木刀で挑むのか!」
「ああ!」
「当日見ていやがれ!」
「ま、俺にはかなわんだろうがな!」
そう言って武蔵は城を出た。
「さて、相手は90センチか…。間合いが広いな…。どう対処しようか…」
家に帰った武蔵は考えた。
そして、結論を出した。
相手より長いの使えばいいんだ!
さっそく長さ127センチもある木刀を作りあげた。
そして迎えた決闘当日。
「決闘は8時からだけど、1時間も早く着いちゃった!」
小次郎は朝7時から役人と一緒に現地入りし、武蔵を待った。
そして約束の時間…。
来ない。
武蔵が来ない。
「何で来ないんだー!腹立つなー!」
1時間後…。
「何故だ!来ないぞ!武蔵は!」
武蔵がやってきたのは約束の時間から2時間後だった。
「わりぃ。飯食ってた!」
武蔵登場。
「貴様ー!ぶっ殺してやる!奥義!燕返し!」
遅刻に腹を立て、冷静さを失っていた小次郎。
これが敗因となった。
「食らえ!二天一流四尺木刀落とし!」
武蔵の木刀は見事に小次郎の額を捉えた。
小次郎は真っ白な船島の砂浜に倒れた。
今回は最も一般的な説を取りました。
島には双方同時に着いた(小倉碑文)、小次郎が来る前から武蔵の弟子が島で待機してた(沼田家記)、武蔵の方が先に着いた(丹治峰均筆記)など、定まったものがありません。
今回のは二天記と五輪書が出展です。
一番詳しい史料であり、五輪書は武蔵本人が書いたものですし。
武蔵の遅刻に小次郎はキレたそうです。
敵を怒らせて判断力を鈍らせる!
これも武蔵の策だったのかも知れません。
因みに、武蔵の技名は適当です。
ネーミングセンスが欲しい…。




