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九の太刀 名称の矛盾

名前だけじゃわからない!


そんな誤解を生むような名前の集団を紹介します。

賤ヶ岳の七本槍や五大老のように、所属したメンバーの人数がチーム名となっていることがある。


しかし、長い長い歴史の中で名称と人数が一致しなくなってしまった例もあるのだ…。





五大老


豊臣秀吉が徳川家康の動きを抑えるために立てた役職。


徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景、上杉景勝の六人である。


六人…。


そう。五大老は六人だったのだ。


それなのに五大老と呼ばれるのは、小早川隆景が死去した後に入ったのが上杉景勝であり、六人でやってたわけではないからだと思われる。





賤ヶ岳の七本槍


豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦い。


これで著しく武功を挙げた人を指す。


一般に言われるのは七人。


福島正則、加藤清正、加藤嘉明(かとうよしあきら)、脇坂安治(わきさかやすはる)、平野長泰(ひらのながやす)、糟屋武則(かすやたけのり)、片桐且元(かたぎりかつもと)である。


しかし、秀吉が賤ヶ岳の戦いでの武功を称えるために書いた感謝状には、他に2人の名前がある。


石河兵助(いしこひょうすけ)、桜井佐吉(さくらいさきち)。


では何故この2人が除かれて現在に伝わったのか?


それは、「太閤記」で賤ヶ岳の七本槍として紹介されたから。


その時に石河と桜井が除かれたのだ。


除かれた理由はラッキーセブンの精神からである。


9より7の方がしっくりくるから。


単純である。



石河と桜井が消されたのは、この2人が秀吉の直接の家臣ではないこと。


石河は賤ヶ岳で討ち死にし、桜井はすぐに病死してしまったこと。


この2つが原因と考えられている。


賤ヶ岳の七本槍は実は九本槍だったのである。





利休七哲


利休の高弟七人のことである。


有名な大名茶人たち。



蒲生氏郷、細川忠興、芝山監物、牧村利貞、高山右近、瀬田掃部(せたかもん)、古田織部。


この七人が一般的な説。


しかし…。


前田利長、荒木村重、有馬豊氏、金森長近、織田長益、千道安も該当するらしい。


十三人。


これは説がハッキリしないことが理由。


利休には弟子が多かったことも説がハッキリしない理由の一つであろう。


因みに蒲生氏郷、細川忠興、芝山監物は利休七哲の中でもトップクラスの実力だったらしい。




三好三人衆


三好家家臣の三人衆。


三好長逸(みよしながやす)、三好政康(みよしまさやす)、岩成友通(いわなりともみち)の三人。




おい一人「三好」じゃないぞ!



決して三好さんが三人集まった訳ではなくて、三好家家臣の三人衆なのである。



名前で間違った認識をしてはいけない。

ざっと思い浮かんだものを書いてみました。


賤ヶ岳の七本槍が9人だったのは、知名度低いかも…。



三好三人衆は作者が勝手に全員三好かと思ってただけです…。

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