八番槍 尾張のうつけ革命児
今回はあの超有名人!
悲しいお話です…。
「行くぞ野郎共!今日は西側を攻めるぜ!」
「おうよ!任せときな!信長!」
ここは尾張の国。
今日も数多の若い不良どもがこの国を駆け回っていた。
この集団を率いていたのは織田信長。
一応、次に尾張を引き継ぐ人間である。
しかし、人は信長を「うつけ」と呼ぶ。
その行動、服装全てが奇抜。
なので、若い不良どもからは人気があった。
現在の尾張は敵だらけ。
そこら中を駆け回るのは自殺行為だった。
「あの…。若殿様…。どうか、その身勝手な行動、慎んで下さいよ…」
苦言をいうのは信長の教育を担当している平手政秀。
「うるさいな…。どうしようと俺の勝手だろう!」
信長が言い返した。
「しかし…。若殿様は次の織田家当主…。身勝手な行動は…」
「いいんだ!俺の好きな用にやらせてくれ!」
信長は、今日も遊びに行ってしまった。
こうなったら…。
政秀は、机に向かって、誰に宛てるでもなく手紙を書いた。
『若殿様の言動が治らないため、教える甲斐がありません…。もう…生きていても仕方がありません…。』
これが、政秀の遺書だった。
書き終えた政秀は静かに腹を切った。
「おい…。嘘だろ!?政秀!政秀ぇ!返事しろよ!おい…政秀!」
信長は、政秀の死をとても悲しんだ。
そして、政秀寺を建て、政秀を弔った。
はあ…。
書いてて泣きそうになってしまった…(え?)
さて、実はですね、政秀さんが切腹した理由は諸説ありまして、今回はその一つを紹介させて頂きました。
でも、信長が政秀の死を悲しんだことは疑いようのない事実です。
信長がうつけとして振る舞っていたのは理由がありまして、「敵を油断させるため」や「敵と味方の区別を付けるため」だったと言われています。
さて、挿絵がイメージと違う!と言われそうですね…。
実はですね、挿絵を描いている上杉姫虎さんはこの小説読んでないんですわ…。
全ては私の挿絵を参考にしてます。
で、今回もイメージを伝えたのですが…。
何を勘違いしたのか人が多い。
そして粗ぶってる感じじゃない。
まぁ、描いてもらったんだから仕方ないです。
掲載しちゃえ!