六十一番槍 槍の又左の復帰戦
どうしよう…。
伊達政宗のプラス評価となる逸話を見つけてしまった…。
そして先週、松永久秀のとんでもない書物を見つけてしまいました…。
伊達政宗の逸話はそのうち紹介します。
松永久秀のは生涯紹介はしないと思います…。
知りたい方は「黄素妙論(こうそみょうろん」で検索すれば出るかと…。
「C」について語ってます。(これ以上のごまかし方がわかりません…)
耐性無い私にはちょっと…。
これ1つで久秀の評価がダダ下がりしました。
さてさて、気を取り直して槍の又左の逸話です。
書いてて書きづらかったです。
読みにくいかも…。
ごめんなさい…。
1558年。
前田利家とまつの結婚式が行われた。
秀吉とおねがこの結婚式に参加した。
利家22歳、まつ12歳という歳の差婚である。
「愛さえあれば歳の差なんて関係無いぜ!」
「利家様!まつはいつまでも利家様を愛し続けます!」
まつは結婚式の最後に髪飾りの一種である笄を利家に手渡した。
嫁入り道具は髪飾り。
シャレている。
2人の仲は大変良く、結婚から2年後、長女の幸が生まれた。
ちなみにまつは14歳。
そんなおめでたムード漂う2人の仲を邪魔する茶坊主が現れた。
拾阿弥である。
彼は信長のお抱えの茶坊主だったのだが…。
「利家め!あんな若い奥さんもらうとは…!ふざけんなよ!べ、別に羨ましいわけではないがこれを頂こう」
この拾阿弥、利家の笄を盗んでしまったのだ。
これを主君の織田信長に抗議する利家だったが…。
「信長様!あのカスな茶坊主野郎が俺の笄盗みやがった!斬らせてくれよ!あれは俺がまつから貰ったものなんだよ!」
「ん~…。そりゃいかんな。だがな利家。今回だけは許してやってくれ。あいつは目がクリクリしてて可愛いから手放したくないのだよ」
信長からの許可は下りなかった。
「チクショウ…なんなんだよ!あの茶坊主…!」
拾阿弥への怒りを愚痴りながら廊下を歩いていた利家。
すると…。
「やあ利家!この笄を返して欲しいか?ほれ?欲しいか?」
拾阿弥と出くわした。
しかも挑発された。
もう黙っているわけにはいかない。
利家は刀に手を掛けた。
そして!
「返さんかい我ェ!」
渾身の一撃で拾阿弥を斬った。
しかし場所が悪かった。
なんと信長が一部始終を見ていたのだ。
「利家…!貴様ぁ!あのクリクリお目々を!貴様など城追放だ!クビだクビ!」
この瞬間利家は浪人となった。
この後の利家は頑張った。
今川義元と戦った桶狭間の戦いで首を五つ取るも信長の許しは出なかった。
そして迎えた1561年。
斎藤龍興との森部の戦い。
利家はこの戦いでとんでもない相手に挑んだ。
足立六兵衛。
別名、首取足立。
当時はその名前を知らない者はいないとまで言われた荒武者である。
手にした斬馬刀は首を取るために存在する!
「足立六兵衛殿とお見受け致す!我は前田利家!一騎打ちを申し込む!」
「よしっ!かかってこいやー!」
利家は六兵衛と激戦を繰り広げた。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
自らもダメージを負いながらも、ついに六兵衛を討ち取った。
「信長様!足立六兵衛の首です」
利家はすぐに信長のもとへと首を届けた。
「足立六兵衛を倒すとは…。城を1つ落とすのと同じじゃ!利家、戻って来い!」
「ありがとうございます!」
こうして利家は苦労の末帰参が許された。
何度も思うのですが、人間14歳で出産できるんですね。
記録に残る日本の最低年齢は8歳かな?
ギネス記録は5歳。
そんな話は生物学者さんに研究してもらうとして。
前田利家は一度信長に追い出されてるんですね。
あれは確実に拾阿弥が悪いで!
笄盗むから。
利家はあわや死罪ってところでした。
因みにこの茶坊主殺害事件。
利家が信長と親しくしてる拾阿弥に嫉妬して斬り殺したって説もあります。
「信長様はオレのもんじゃい!」的な?
幸が生まれて大変な時に収入を失っちゃうんだから利家の苦労も並大抵ではありません。
桶狭間の戦いは帰参を許されたいがために勝手に利家が織田軍として参加したみたいです。
首を信長に 差し出したら「そんなの拾う暇があるなら一人でも多く敵倒せ!」なんて怒られたみたいです。
しかし、信長が「城1つ落とすのと同じ」と言った足立六兵衛討ち取ったあたり流石槍の名人ですよね。
この利家追放は、利家が織田家以外に仕えることが無いかを試す為にやったとも言われています。
旅行記只今執筆中。
しばらくお待ち下さいませ。