六十番槍 ジュストのマニラ追放
乙葉
「大変です!作者さんが『殿といっしょ』にハマって旅行記を書こうとしません!」
晴美
「それは…いいんじゃないか?あれも戦国が舞台の漫画だし。面白いし」
乙葉
「え?良くないですよ!私たちの出番がぁ!」
晴美
「まぁ乙葉も読めば分かるって!部室の本棚にあるから!」
乙葉
「え?あるんですか?」
晴美
「去年部費で買ったのだ!」
乙葉
「(怒られないのが不思議だよ…)」
城訪問旅行記は現在執筆中です。
ちゃんと書いてますので!
穴埋めに逸話更新しときます。
「喰らえ!キリスト教禁止令!」
徳川家康がキリスト教禁止令を出した。
これにより、熱狂的なキリスト教信者の高山右近(洗礼名ジュスト)はキリスト教を棄てることを余儀無くされた。
のだが…。
「ボクはキリスト教を棄てるなんてこと…できないよ。大丈夫!もしこれでボクが死刑になっても神はボクをしっかりと見ていてくれるしご加護もうんたらカンタラ…」
話が長いが、ようするにキリスト教信仰は止めないということだ。
右近がキリスト教を未だに崇拝しているという情報はすぐに家康にも届いた。
「右近がキリスト教を棄教していないだと?あのやろ~!討ち取れ!」
「お待ち下さいませ!」
家康を一人の家臣が止めた。
「もし右近を死刑にしたら、キリシタンが暴動を起こしかねません!」
高山右近はそれ程までにキリシタンに対しては大きな影響力を持っていた。
「じゃあ…。国外追放だ!マニラに行け!日の本には戻ってくるな!」
家康から国外追放の令が下った。
右近にそのことが伝えられると…。
「やはり神はボクを見て下さったのだ!たから今回ボクを殺さないで……割愛……それに行き先がマニラだなんて素敵だ!これは神が禁止令が出ても信じ続けたボクにほんの少し安らぎをうんたらかんたら」
1614年1月。
たくさんのキリシタンに見守られながら右近は寂れた小さな船に家族と共に乗り込んだ。
雪が積もる中の航海となった。
しかし…。
「あたいは海賊だ!だからお金よこしな!」
海賊に襲われたり…。
「ヤバい!とんでもなくデカい嵐だ!これはきっと神がボクに強くなれと試練を与えて下さったので云々…」
嵐が来たりといろいろ大変だった。
それでも何とかマニラに到着した右近。
彼はマニラの浜辺を見て驚いた。
そこには、岸を埋め尽くすほどの人だかり。
皆右近を歓迎しに集まったのだ。
「こんなことって…!ボクもマニラのみんなの為に頑張ります!」
しかしその40日後…。
「ぐぅぅ…。苦しいよぉ~。きっとこれは神がボクを必要だと思ってくれて、天に連れて行こうとしているのだ!ボクもそれに答えなければあーだこーだ…」
右近は高熱を出し天へと上った。
マニラの人々は右近の葬式を10日かけて行った。
意外と知られてませんが、高山右近の洗礼名はジュストです。
右近はキリスト教禁止令にもめげず信仰し続けました。
そしてマニラ追放に。
マニラでは随分歓迎されたみたいです。
何でかは知りませんが…。
因みにこの高山右近。
利休の高弟七人衆である「利休七哲」の一人と言われています。
キリスト教信仰でありながら大名茶人だったんですね。
マニラに行ってから40日で亡くなりましたけど…。
現地には銅像が建ってるみたいですよ~。
以上!高山右近でした!