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五十一番槍 歴史を変えた一戦

桶狭間の戦い。


川越夜戦と同じく日本三大夜戦の一つ…。



戦いが決着したのは雨あがりの午後2時なんですが…。


夜戦…?

1560年5月12日。


統一されたばかりの尾張を狙い、挙兵した男がいた。


率いるのは2万5000の大軍。


「天下に最も近い男」と呼ばれた、今川義元である。


本拠地の今川館を出る時、義元はお歯黒をしてまるで公家のような姿で、御輿(みこしに乗っていた。


「これより上京する!そのため、尾張の邪魔者を排除するのだ!」


義元が言う尾張の邪魔者とは、織田信長のことである。


「尾張も我のものになる!まぁ、こんな土地、無くても構わないのだがな」


義元は、信長を敵とすら見ていなかった。


負けるなど、これっぽっちも考えてはいなかったのである。



一方の信長。


「信長様!今川義元が攻めて来ました!明日にも砦を攻撃するようです!」


家臣から知らせが届いた。


「そうか…。皆集まれ!軍議を開く!」


信長はそう言って、家信を召集し、対策会議を開いた。


「はいっ!じゃあ意見のある人!」


信長が聞いた。


しかし、家臣たちは黙っていた。


向こうは2万5000の大軍。


こちらは3000。


どうすりゃいいってんだ?


「え~…。意見が無いようなので…軍議を終わります…。皆さん、頑張ってください」


特に指示も無く軍議は終わってしまった。


「運の尽きには、知略すらもダメになるのか!」


家臣たちは口々に愚痴をもらした。



この、「何も作戦が立たなかった」という情報は、義元にも伝わった。


「所詮は小国の長よ。策など浮かぶわけがない!」


義元は相変わらず信長をバカにしていた。



翌日…。


「信長様!砦が攻められました!」


やはり、義元は砦を攻撃した。


知らせを聞いた信長は…。


「きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて、有為の雲にかくれり。人間五十年。下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか…」


敦盛を舞ったかと思うと…。


「熱田神宮にて待つ!準備が出来た者から順次合流せよ!」


そう言い放つと五騎の騎馬隊を連れ清洲城を出た。



暫くすると、軍が熱田神宮に集まった。


「皆来たか!よしっ!では始めるぞ!」


信長は必勝を祈願して士気をあげた。


すると…。


「あの煙は…もしや…」


はるか先から上がる煙を見て、信長は悟った。



砦が落とされた!



今川義元の軍は、桶狭間山で休憩していた。


そこに、砦を落としたという知らせが入った。


「はははっ!わが矛先は天魔鬼神も止めることは出来ないのだ!つまり、今川軍は無敵ー!」


義元は叫んだ。


砦を落とし、既に戦に勝利したかのような雰囲気だった。



その頃、信長にも一報が入った。


「信長様!今川義元、桶狭間山にて休憩中!宴会を開いている模様!」


簗田出羽守政綱やなだでわのかみまさつなが報告した。


それを聞くなり信長は…。


「今から義元の正面を攻撃する!首は拾うな!どうせ皆死ぬのだ!それが早いか遅いかの違いだけ!覚悟を決めろ!」


出陣命令を出した。


「奇襲!信長の攻撃だ!」


宴会をしている最中にまともに戦えるわけもなく。


完全に油断していた今川軍は瞬く間に総崩れとなった。


300の兵に守られながら敗走する義元だったが、すぐに追い詰められた。


「我が名は服部小平太!義元殿、お命頂戴!」


服部小平太が攻撃した。


放たれた槍は義元を貫いていた。


「うぐっ!貴様…!まだ死ねぬわ!」


義元は、自らの名刀「義元左文字(よしもとさもんじ」を振るった。


それが服部の膝を捉えた。


「ぐあっ!…つっ…!」


しかし直ぐに2人目が出てくる。


「我、毛利良勝!覚悟!」


毛利は義元と取っ組み合った。


「はは…!ただでは死ねぬ!」


義元は良勝の指を噛みちぎった。


「うっ!てめぇ!とどめだ!」


良勝の槍が義元を貫く。



これにて今川義元、討ち死に。


信長は義元が討ち死にした2時間後に首を確認した。


その時に義元の首を洗った泉跡が今も残っている。



それから暫く後、今川家に義元の首を返すことになった。


その際、信長は義元に敬意を表し、10人の僧侶を付き添わせた。



因みに、この戦で最も恩賞を貰ったのは、毛利良勝ではなく簗田政綱であった。

大軍を率いた義元は完全に油断してました。


というか、尾張の軍は弱いことで有名だったみたいです。


情報を駆使して戦うのが信長流でした。


清洲での軍議で指示を出さなかったのも、情報が今川に行くことを想定したからみたいです。



因みに、信長は義元を尊敬…というか参考にしてたみたいです。


義元のやったことを改良して尾張にも取り入れたり。


鉄砲使い始めたのは義元で、鉄砲の効率化を図ったのが信長…みたいな感じです。


だから、丁重に葬ったみたいです。



ひと昔前だと奇襲説が有力でしたが、最近は正面攻撃説が有力になってきたみたいですね。


いずれにせよ、義元は宴やってましたから…。


信長は強かったんですね~!


義元左文字は現存します。

信長、秀吉、家康と皆様が手にした刀です。



因みに、熱田神宮には「草薙の剣」が保管されてます。



戦を書くのは難しいなぁ~…。

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