五百三十八番槍 散った鬼武蔵、その後…
愛知や京都行って城活しております。
養源院さん…定休日多くないですか…?
養源院と長宗我部盛親の墓と豊臣秀次の墓は行けませんでしたので、またそのうち行きたいと思います!
雨の中レンタサイクルで移動してたせいで、伏見城とか全然周辺見れなかったので、京都はそのうちまたリベンジしたいです。
皆さんのオススメ戦国スポットあったら教えてください!
1584年4月、長久手。
後にいう小牧・長久手の戦いの真っ最中。
徳川家康と豊臣秀吉という、ツートップが直接ぶつかった戦いである。
この戦いで豊臣方として参戦した森長可は、敵である家康の本拠地、三河に押し入る部隊に配属された。
この部隊は総大将豊臣秀次、第2陣大将森長可、第3陣大将堀秀政で構成されていた。
「…というわけで、どうやらこの三河まで突っ込んでくるつもりっすよ家康さん!森長可の陣に紛れてきたので間違いねーっす!」
そう家康に報告するのは、忍びの服部平八。
この報告を受けて、家康は三河押し入り部隊を叩くことを決めた。
長久手の地にて、家康の本拠地である岡崎城を叩きたい秀次隊とそれを阻止せんとする家康軍の戦が始まった。
「この戦い…俺はここで死ぬかもしれんな。だがそうだとしても構わねぇ!ぜってぇに退かねぇぞ!!」
長可はこの戦いに死ぬ覚悟で参戦していた。
鎧を着たその上に、白装束を身に纏い戦場へと躍り出た。
「おらおらぁぁ!!来やがれ徳川共がぁぁ!!この槍の錆にしてくれるわ!」
槍の名手として有名な長可。
その小柄な体格からは想像できないほど勇猛果敢な性格から、付けられたニックネームは鬼武蔵。
その猛進っぷりはかつて所属した織田軍の中でも有名で、軍法を無視してでもとにかく前に出て戦った。
これにより頻繁に織田信長から怒られていたのだが、処罰は受けていない辺り実力が伴っていることが証明されている。
今回も猪突猛進な戦いをする長可だったが、この時気付いていなかったのだ。
既に第1陣を務めていた秀次隊が敗走していることに。
秀次隊を破った徳川方の部隊は、第3陣の堀秀政が壊滅していたが、それにより生まれた長可隊と秀政隊の隙間を埋めるように、徳川方の井伊直政隊が布陣した。
これにより、長可は敵軍の中で孤立してしまったのだ。
万事休すかと思われた時、前方に同じく孤立している味方、池田恒興隊が見えた。
「池田殿ぉぉ!!共にこの窮地を乗り越え…!!!」
そう言った刹那であった。
「孫六、撃て」
長久手に一発の銃声が響いた。
いや、銃声自体は先ほどからずっと響いていた。
しかし、その一発は長可隊にとって絶望を叩きつけるものとなった。
長可は力なく落馬した。
「よくやった」
狙撃命令を出したのは、徳川方の武将である水野勝成。
家臣の杉山孫六に命じて狙撃させたのだ。
長可は眉間を撃ち抜かれており、即死したことが誰にでもわかるほどであった。
「そんな…!森殿…!!」
恒興もこの直後に長久手の地に倒れた。
直後、長可隊に配属されていた家臣たちが、討死した長可を担いで戦線を離脱しようと走る。
それを見つけたのが徳川方の武将である大久保忠世の家臣、本多八蔵。
「お前らが担いでるそいつ、名がある武将か?おら!どけ!!そいつの首をよこせ!!」
長可隊の家臣たちは散り散りに逃げ出した。
「あ?なんだよ。担がれてるから大将かと思ったのに、部隊の先頭に立ってた一兵卒じゃねーか。家康様は首なんか取らなくていいっていうから鼻と脇差だけ良いの付けてるから貰ってくぜ」
それを隠れてみていた長可の小姓がいた。
急いで長可の元に駆け寄り、首を取った。
さらに旗印を捨て、白装束を脱がせて首を包むと槍先に刺して馬に乗った。
「森長可、討ち取ったりー!!」
小姓はそう叫ぶと、高らかに首を掲げた。
「これでいい…!これでいいんだ…!こうして徳川の兵のふりをすれば、徳川から狙われずにこの場を離脱できる…!長可様、我らの領地、金山に帰りましょう」
小姓は涙を堪え、長久手を離れたのであった。
その後、長可があらかじめ書いていた遺書が見つかり、秀吉の元へと届けられた。
「ふむ…。名茶器はわしに譲ると」
秀吉は遺書を読みながら呟く。
「遺書なんて用意するとは、筆まめな長可のやりそうなことだ。真っ先に茶器の話を持ち出すのも、茶の世界に精通した長可らしいな」
続きに目を通す秀吉。
「息子の忠政はわしの側で働け…か。金山の地は信頼できる有能な者に任せたい…と」
「えぇ…困る…」
秀吉は手紙から目を離し、暫し虚空を眺めた。
「え、これ森家から領地を没収して別の武将に譲るってことだよね!?わし武功を挙げたはずの味方から領地を没収することになっちゃうんだけど…」
えー…と言いながら、秀吉は悩む。
「決めた!すまんな長可。領地の話だけは聞けぬ。お前の息子、忠政に森家も領地も引き継いでもらうことにする。茶器はわしが責任持って引き受けよう」
死してなお一波乱起こした鬼武蔵であった。
森長可のお話でした。
こういう逸話書く時、どこからスタートするか悩みどころです。
信長から散々怒られながらもお咎め無しだった長可。
戦場で真っ先に駆け出すため常に先頭に立っていました。
それを怒られていたようです。信長も死なせたくなかったんでしょうね。
長久手行くと感じますが、池田恒興の戦死した場所と森長可が戦死した場所はかなり近いんです。
因みに古戦場は今工事中で入れないので、終わってから行くことをお勧めします。
今回の逸話の通り、長可の首塚はちゃんと長可の治めていた地にあります。
筆まめ、茶の湯好きは史実で、特に筆まめは戦場でも紙を持ち歩いて何かあるとすぐに書いて報告するほどだったとか。
森家は血気盛んなイメージがありますが、意外と脳筋ではないようです。
そろそろ城巡りも書きたいので、近いうちに部活してもらいましょう。
姫路城2回目とか需要あるのかな…?もしよければ2回目の城も出していきたいですね。
知識もより深まっておりますので!
このお話が通算だと600話目らしいです。
いっぱい書いたなぁ…。
でもまだまだ書きますよ!よろしくお願いします!