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五百二十九番槍 あいつあの後どうなった?~滝川一益~

今回からちょっとの間、テーマを決めて書いていきたいと思います。


題して「あいつあの後どうなった?」です!


名前は知ってるけれど、最終的にどうなったのかまでは知られていない武将のその後を書きます。


現在書こうと思っているのは…

滝川一益

磯野員昌

三法師

です。


後から足すかも知れません。


よーし、頑張って書きますよー!

「いっけなーい!遅刻遅刻(汗)」


関東から馬を飛ばし、清須までやった来たこの男。


先日まで北条氏政と戦い見事に敗北した滝川一益。


織田家中ではかなりの実力者で、重臣である。


「ちっ。北条め、信長様が本能寺で討たれたと知るや否や強気になって襲い掛かってきやがって!こっちは大事な会議があるってのによー!」


一益は必死に走っているが、参加予定の会議…清須会議はもう終わっていた。


一説には「あいつ北条に勝てねー雑魚だからハブいてやろうぜ」なんて声も上がっていたという。


清須会議では、討たれた織田信長の後継者を決める話し合いが行われていた。


次の織田家を誰が引っ張るか…極めて大切な話し合いである。


信長の長男の信忠は本能寺の変で死去したため、跡継ぎが不在なのである。


候補としては3人。


次男の信雄。


三男の信孝。


そして信長の孫、三法師。


通常は三法師が継ぐのが習わしだが、まだ幼い。


信雄はバカだから任せられないし、信孝は三男。


「後見人付けて三法師様に継いで貰えばよくね?」


豊臣秀吉のこの案があっさりと通り、後継者問題はすんなり解決した。


その後の領地配分会議で一悶着あったが、一益はそんなことは知るよしもなかった。


この会議で一益は領地の増加が無かったばかりか、宿老の取り消しという処分を受ける。


そして一冬超えた頃に起きた、豊臣秀吉VS柴田勝家の賤ヶ岳の戦い。


一益はこの戦いに勝家方として出陣していた。


「なんで俺が勝家の配下として出陣しなきゃいけねーんだ!でも他に手がないから思う存分戦ってやるぜ!」


しかし、賤ヶ岳の戦いで勝家は敗北し、自害する。


この時一益は秀吉に降伏し、以後秀吉配下の将となる。


それから暫く、今度は小牧長久手の戦いが起きる。


これは信雄と徳川家康の連合軍と秀吉の間で起きた戦で、唯一の秀吉と家康の直接対決である。


「おっしゃ!この蟹江城で家康なんざ叩きのめしてやるぜ!」


一益が入った蟹江城は、もともと敵の佐久間正勝の城だったが、正勝が留守の時に家臣が寝返り手に入れたもの。


ここを落とされると信雄の領地が2つに分断されるため、相手方にとっても要所だった。


よって激戦地となった。


海に面した蟹江城、沖合いでは敵味方の船が海戦を繰り広げていた。


この海戦、秀吉軍を率いる九鬼嘉隆が勝利こそするものの消耗激しく、撤退を決めた。


さらに、近くにあった味方の城が陥落し、蟹江城にも緊張が走る。


「次はいよいよここも戦場になるぞ!心してかかれー!」


一益の読み通り、蟹江城を落としに家康の大軍がやってきた。


三の丸こそ即座に陥落したものの、二の丸、そして本丸は無傷で耐え抜いていた。


かつての織田軍四天王の名は腐ってはいなかった…のだが。


ここで一益に報告が入る。


「なんだと!?水堀の水が無くなった!?」


夏の暑さで水堀が干上がったのだ。


これにより、補給路が分断されることとなった。


「もはや籠城も不可能か…降伏しよう…」


降伏し、城を出ようとした一益だったが、ここで思わぬ事が起きる。


徳川側からの攻撃を受けたのだ。


「はっ!?あいつらマジかよ!降伏したって言ってんだろ!」


一益は海から命かながら逃げ出した。


この時、佐久間を裏切り一益を招き入れた家臣は討ち死にした。


徳川側はこれを「一益が殺した」と記録している。


この戦いの後、信雄が勝手に秀吉と和睦し、戦う理由が無くなった家康もさっさと和睦した。


これにより、家康に降った一益は豊臣家中にも居場所が無くなり、出家して越前で静かに暮らした。


62歳で死ぬ直前、手紙で秀吉の小田原征伐を予言したりと、時勢を読むことには長けていた一益。


京の人々は「一益は行き場所が無くてあちこち渡り歩いた挙げ句に餓死した」と噂するほど寂しい最期であった。

滝川一益の清須会議後のお話でした。


説が独り歩きしてる感じがありますね。

転落人生と言っていいでしょう。


一時は織田四天王として君臨した一益でしたが、本能寺の変から落ちていきます。


清須会議に遅刻したのが決定打でした。

北条には勝てず秀吉には勝てず家康にも勝てず…。


ちょっと可哀想になってきます。


実際に餓死説は流されていたもので、そのくらい庶民から見ても悲惨だったようです。

実際は餓死ではないとされていますが。


時勢を読むことには長けていた一方、どうにも運に恵まれなかったというか、戦の勝敗が人生に直結してる感じがします。


因みに一益を「かずます」と読むか「いちます」と読むかはハッキリしておりません。

私は「かずます」派です。


皆さんはどちらでしょうか?

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