五百二十四番槍 沖田畷、決着の時
ちょっと別の小説を書き始めてまして、なかなかこちらのペースを上げられずにいます。
そちらが終わったらもうちょい頻度上げようかなーとざっくり計画中です。
もう少々お待ち下さい。
九州で島津家久と龍造寺隆信が激突した沖田畷の戦い。
「もはや総崩れか!撤退だ!」
龍造寺軍は島津軍に押されて総崩れとなり、負け戦は決定的となった。
「隆信様!お逃げください!あそこに輿を用意してあります!」
「よし!退くぞ!」
隆信はそういうと輿に乗り込もうとした。
この輿、太りすぎて馬に乗れなくなった隆信のために作られた特注品で、なんと6人がかりで担ぐ代物である。
いざ退却しようとしたその時だった。
「龍造寺はどこだー!」
島津の追っ手が目の前に迫ってきたのである。
とっさにヨシ(アシ)の茂みに隠れる7人。
やり過ごせるか…そう思った時だった。
「伝令!伝令!」
突然一人の兵がそう言いながら隆信の前に躍り出た。
そして…。
「龍造寺隆信!その首貰い受ける!」
そう叫ぶと、輿の担ぎ手6人を一刀のもとに叩き斬った。
「ひ、ひぇぇぇ!!!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」
腰を抜かし、地面を這って逃げようとする隆信。
「我こそは万善仲兵衛弘賀!龍造寺隆信!さらばだ!」
そう叫ぶと、弘賀は隆信を一撃で討ち取った。
龍造寺隆信討ち死にの報はすぐさま戦場を駆け巡った。
これにより、沖田畷の戦いは島津軍の勝利で終わった。
戦後の首実験の際、一つ事件が起きた。
家久が敵将の首を見て回っていた際、龍造寺家家臣の江里口藤兵衛の首が家久目掛けて飛んできたのだ。
家久は首から10メートルほど離れていたので、首はそこまでは届かなかった。
因みに隆信の首は、龍造寺家重臣の鍋島直茂に返却される予定だったのだが、直茂が受け取りを拒否したため途中の寺に葬られることになった。
沖田畷の戦いの逸話でした。
戦国の世でも珍しい、総大将が討ち死にした合戦です。
他には桶狭間くらいしか例がないのではないでしょうか?
謀反とかならありますが、合戦では思い付きません。
あ、川越城の戦いってどうでしたっけ?
因みに本編で出てきたアシもヨシも同じ植物です。
元々はアシだったのですが、「悪し」に通じるとして、「良し」に通じるヨシと呼ばれるようになりました。
龍造寺の輿が6人で担がれていたっていうのはルイスフロイスの証言です。
しかしこの逸話、突然出てきた弘賀が無双するし、首が飛んでくるし真実とは思えないんですよね。
首実験は大前提として、首が飛んでこない位置から見ると言うのがありまして、その距離は5~10メートルほどだったと言われております。怖っ。
当時は首は怨念の力で飛びかかってくるものとされていました。
恐ろしい話です。
まぁこの戦いの後は島津が強くなって龍造寺家が滅亡するわけです。
以上、珍しい大将が討ち死にした戦でした。




