五百十五番槍 サン=フェリペ号事件
明日からまた忙しくなるので船が難破した逸話を置いておきます。
暇なときに書かないとほんとに書く時間が無くなってしまうのですよ…。
あぁー、早く名古屋行きたいです!
天気いいといいなー…
1596年、土佐沖に一隻の船が流れ着いた。
どうやら南蛮の船のようだ。
「元親様!沖に南蛮船が流れ着いた模様です!どうされますか?」
報告を受けたのは長曽我部元親。
四国を統一した男である。
「よし、もってこい!」
元親は船を曳航させたのであった。
船を調べると、スペインの貿易船であり、名前をサン=フェリペ号というらしいことがわかった。
「台風にやられてなんとかここまでたどり着いた。船を直したいから許可が欲しい。あと我らが安全に過ごせるよう約束して欲しい」
船の船長、ランデーチョは元親に頼んだ。
「この国は豊臣秀吉様が治めているので直接聞いてくるとよい」
こうして、ランデーチョは数人ほど使者を派遣した。
…のだが。
使者の一人が奉行の増田長盛を連れて来たことにより事態は急変する。
「すみません!秀吉には会えませんでした!でもなんか荷物は没収の上我らは命が危ないようです!」
「ワイ!?ジャパニーズピーポー!ワーイ!?荷物没収の上に処刑とか何故に!?」
使者からの報告にあわてふためくランデーチョ。
そこに長盛が割って入る。
「そういうことだ。では荷物を全て預かろう。お前たちは一列に並べ」
そういうと、長盛は船長から黒人奴隷まで船員全員の名前を聞き出し、名簿を作った。
荷物も一覧表を作り、全てに「太閤」の烙印を押した。
この時点を持って全ての荷物は太閤秀吉の物となった。
「お前らスペイン人は海賊らしいな!ペルーやフィリピン、メキシコを侵略したそうじゃないか!日本も同じように侵略するために測量目的でやってきたんだろ!ポルトガル人からきいたぞ!そってお前らは幽閉する」
長盛は秀吉の意思を伝えた。
これに反論したのは航海長のオランディアだった。
「それは違う!これを見てみろ!」
そういって広げたのは世界地図。
スペインの領土が示されているのも目立つが、日の本の小ささも目立つ。
「スペインはこんだけ広い領地を持ってんだ!こんなちっこいジパングなんざ取っても意味ねーよ!」
「ほぅ。だからどうした。よし!荷物を全て運び出せ!そして書類は全て破棄だ!」
長盛の言葉で家臣達が動き出す。
「ところで、スペインはどうやってこれほど広大な領地を手に入れたんだ?」
長盛がきいたところ、オランディアは答えた。
「簡単よ。まず、宣教師を派遣してキリスト教を伝える。あとはそこを攻めればキリシタンがこちらに寝返ってくれるから簡単に落とせるのよ」
「なるほど」
それだけ答えると、長盛はすぐに京へと戻った。
そして、侵略する意があると秀吉に伝えたのだ。
「あの野郎!絶対に許さない!今日からキリスト教の信仰を禁止する!信仰を続けるやつはこうしてやる!」
秀吉は26人の信者や宣教師などを捕らえて磔の刑にし、見せしめとした。
一方、曳航されたサン=フェリペ号の修繕の許可が2カ月経ったころにやっと降りた。
その4ヶ月後、やっと船の修理が終わり、幽閉生活からも解放され本来の目的地のマニラに向かうことができた。
後日、スペインから荷物を返せと使者が送られてきたが、秀吉は何一つ返さなかったという。
話としては聞いたことがある方も多いかもしれません。
サン=フェリペ号事件でした。
ノルマントン号事件ではないですよ!
実はスペインとの戦争一触即発まで行ってたらしいです。
ギリギリスペインの王が崩御したので攻めこまれずに済みました。
スペイン王崩御から一週間後くらいに秀吉も死んだんですがね…。
「キリスト教を布教してそのあとその場所を攻めこんで領土にする」っていう発言は有名ですが、後世の創作っていう説が有力らしいです。
二十六聖人の殉教事件は秀吉のキリスト教弾圧の例としてよく出されますね。
この時、石田三成が暗躍して何とか高山右近を庇ったらしいです。
この事件は海外の情勢とかも絡んできてなかなかややこしかったです。
とりあえず「荷物没収って秀吉が言ったら相手がキレて、こんなちっこい国侵略してやるって言われたからキリスト教禁止にした」くらいに覚えといてください!
この時代に通訳とかどうやってたのかは少々疑問ですが、恐らく宣教師が一役買っていたのでしょう。
中々にややこしい事件です。
是非調べてみてください!