五百九番槍 百人斬剣豪武将
6月2日は本能寺の変の日!
げどー先生はそんな日にわざわざ京都に出向いていらっしゃいます。
本能寺に行くわけでもなければ本能寺の変の日だと言うことすら知らなかったようですが。
本能寺の逸話はこの小説で何回か書いたので、私にもう新ネタはありません。
光秀の四国征伐を止める説がそれっぽいなぁと思っています。
秀吉やイエズス会説は説得力に欠ける部分があると感じてしまいます。
ただ、秀吉やイエズス会が本能寺の変が起きることを全く知らされていなかったのかとなるとそれも違うような気がしますが。
特に秀吉は知ってて黙ってたような気がしなくもないんですが、皆様はどうでしょう。
さて、前書きを書いていたら日付が変わってしまいましたが、本編は本能寺の変とは全く関係ないので心配しないでください!
一度は織田信長に降伏したものの、こっそり武田信玄と連絡を取り信長包囲網に加わろうとしたらバレて二度目の攻城を受けた北畠具教。
一回目は7万の兵相手に8000で籠城したものの、長期戦となり敗北。
この時に信長の息子の信雄を無理やり養子として迎えさせられた。
そして今、当主はその信雄となっている。
つまりは家を乗っ取られたのだ。
これに不満を抱き信玄と密通したのだが…。
計画が露見して現在に至る。
「北畠め。絶望を味わうがよい。滝川雄利、柘植保重、加留左京進。お前らにここは任せる」
信長が名指しした3名は、今でこそ信雄配下の武将だが元々は具教の家臣たち。
かつての家臣に城攻めを決行させたのだ。
具教は押し寄せてくる相手に果敢に挑んだ。
自ら太刀を振るい、敵を大いに苦しめた。
「くらえ!塚原卜伝流一の太刀!上泉信綱直伝、新陰流奥義!柳生宗厳妙技、無刀取り!」
この具教、とにかく剣に関しては強い。
数多の剣豪から直々に剣術指南を受け、奥義も授けられたほど。
一対一であれば具教の右に出る者はおらず、気が付けば一人で19人討ち取り、100人以上を戦闘不能にしていた。
必死の抵抗を続ける具教に、思わぬ知らせが届いた。
「敵方の3人が、殿にお目通りしたいと申してきました。やはり今は敵でもかつての主君。忍びないのでございましょう」
知らせを届けたのは佐々木四郎左衛門という側近。
「そうか、どうせこのままでは死ぬだけだ。冥途の土産と思って会うか」
こうして、具教は面会へと臨んだのだが…。
「やれ!」
ふすまが閉められた途端、佐々木四郎左衛門が叫んだ。
すると、3人は槍を構えて具教を突く。
「てめぇ!謀ったな佐々木!」
咄嗟に攻撃をかわし、太刀を抜こうとする具教。
だが、引っかかって思うように刀が鞘から抜けない。
「おや、貴方に刀を抜かれたら厄介なのでねぇ。少々細工させていただきましたよ」
四郎左衛門はあらかじめ具教の太刀を封じていたのだ。
それでも何とか太刀を抜いて応戦しようとしたが、抜いた太刀に刃と呼べるものは無かった。
刃先は全て潰されていて、もはや斬れるものではない。
「勝負、ありですな」
こうして具教は乱世の露と消え、北畠家は滅亡したのだった。
北畠具教の逸話でした。
どっから書き始めていいのか分からず少々こんがらがりながらの執筆だったのでわかりにくかったらすみません…。
史料によって「19人斬って100人戦闘不能にした」「面会したら襲われ刀は佐々木四郎左衛門に細工されていて抜けなかった」「刀は抜けたけど刃を潰されていた」などなどいろいろ書かれててどうしようか迷いました。困った。
三瀬の変と呼ばれるこの戦いは、信長が具教を滅ぼすために仕掛けた戦です。
具教は物凄く剣術に長けた武将だったというのが今回の趣旨なのでそれだけ伝わればいいです。
セリフとして書いた通り、多数の剣豪から直々に教わっていたようです。
個人技だったら戦国最強なのではないでしょうか。
しかし個人ではなく軍で動く戦国の世では歴史の泡沫に消える定めだったのでしょう。
舵取りを間違えると滅ぶのです。
話しは変わりますが、以前テレビで無刀取りを検証している番組がありました。
真剣白刃取りとはまるで別物で、刀を振るために必要な間合いを相手に与えず刀を取り上げる武術です。
凄い勇気が必要な技だと思いました。