四百八十七番槍 自己主張激しい系男子
気付いたら二週間…時間あいてすいません…。
応援メッセージとかいただいちゃって嬉しかったです。
ずっと書いてると色々な読者さまに読んでいただけてうれしいですね。
真田丸もいよいよ和睦してしまいましたね。
大蔵卿にカチンときた方多いのでは?
私はごろごろ転がるきりちゃん見て声出して笑いました。
あと、ツイッターの「俺たちの受信料でできてる真田丸を壊すなー!」っていう実況がツボでした。
次は夏の陣ですね。
城巡りを読み返してみると実際の場所のイメージが掴みやすいかもです(宣伝)
1600年関ヶ原。
この戦いで東軍に付いた将の中に加藤嘉明がいた。
三成憎しの一心で東軍に付いたのだが、この嘉明配下の武将の中にいたのが塙団右衛門である。
このとき団右衛門は鉄砲隊長を任されており、陽動作戦を実行する手はずになっていた。
陽動作戦とは、本隊とは別の隊が敵に攻撃を仕掛けて注意を引く作戦である。
「さぁさぁ見事に敵さん騙してやりましょうじゃないの!」
そう意気込んで出陣しようとした矢先のことであった。
「陽動作戦は中止だ。退け!」
嘉明から命が出た。
だが、そこは団右衛門。
「知るか!かかれー!」
突撃命令を出したのである。
これを知った嘉明はキレた。
「お前は戦を何も理解していない!武勇ばかりでは戦はできん!お前なんか大将の器にない!!」
すると今度は団右衛門がキレた。
「遂不留江南野水 高飛天地一閑鴎」
そう書いた手紙を床に張り付けて、団右衛門は城から出て行った。
「江南の水には留まらん。カモメは高く飛んでゆく」
江南とは、つまらない場所の代表例。
つまり「嘉明は我が主君の器にない。俺は新しい主君を探しに行くわ」と言ったのである。
「団右衛門の野郎!いい加減にしろ!冬に仕事を頼めば何もしないでたき火の近くで見てるだけだし、今度は辞表を叩きつけやがったか!ブラック企業を辞める新人みたいなことしやがって!ゆるさねぇ!あんな奴奉公構だ!」
奉公構とは、全国の大名に団右衛門を雇わないように頼むことであり、これをされた者は基本的に武士としては生きていけない。
そのころ団右衛門は福島正則のところにいたが、嘉明の奉公構を受けて出奔。
出家することにした。
…が、僧になっても刀は常に持ったまま。
「あいつ本当に出家するつもりあるの?」が団右衛門への街の人からの評価だった。
そんな時に始まったのが、大坂の陣。
豊臣方に付くと、夜襲を仕掛けることにした。
「いいか?俺を大将の器にないと言った嘉明を見返してやるぞ」
その意気込みで臨んだ夜襲。
徳川方の蜂須賀隊に攻撃を仕掛け、見事に勝利。
団右衛門は戦線には立たず、後方から指示を送っていた。
「これが大将の器のあるやつがする戦よ!」
そういうと、辺りに木札をばら撒いた。
「夜討ちの大将 塙団右衛門」
そう書かれた札で、自分の活躍をアピールしたのであった。
名刺ばら撒き大将の逸話でした。
前々から書くといいつつなかなか逸話がまとまらなかった団右衛門です。
自己主張が激しいです。
この人も立派な傾奇者ですよ。
ひねくれ者?
これで大坂方の武将の逸話は一通り紹介しました。
え?秀頼?治長?有楽斎?まだまだいるよー…。
秀頼は若すぎて逸話がそもそも少ないですし、治長とか大坂の陣になって突然出てきた感ありますし、有楽斎は…本能寺の変以降からしかはっきりした記録がないはずです、確か。
ちょっと探してみますかー。