四百八十四番槍 命と右の手さえあれば
この小説、毎回1000文字以下を目指して書いてるんですけど、スマホが普及した今ではそんなに拘らなくてもよさそうですね。
ガラケー時代は1000文字ちょっとで次のページに行かなきゃいけなかったんですが、今スマホの方多いので!
とはいっても、書くの大変なんでいつも通り行きますが。
今回は今や「長宗我部」でヤフー検索すると元親よりも上に出てくる盛親です!
大坂夏の陣で豊臣方として参戦し、敗れた中に、長宗我部盛親もいた。
四国のコウモリ、元親の嫡男である。
長男が生きていたころは家督など継ぐ気も無く、気性が荒かったため家臣からも嫌われていた。
顔が長男に似ているからという理由で、反対を押し切り錯乱状態の元親が家督を無理やり継がせたという経緯がある。
そんな彼は、ずっと寺子屋で先生をしていたのだが、この大坂での戦のために将として舞い戻ったのだ。
「これが長宗我部家復興のラストチャンス!負けるわけには!」
意気込むも結果は惨敗。
夏の陣で豊臣が滅びると、自身は逃亡し潜伏した。
「ふふふ…。家康に秀忠…。今に見てろよ…!」
潜伏したのはなんと家康と秀忠が東に帰るであろう街道沿い。
そこから火縄銃を構えて狙撃してやろうと企んでいた。
…のだが。
「おい、お前!ここで何をやっている!」
「あ、いや、それはえーと…」
「お前盛親だな!確保!」
そんな近くにいたのなら当然とも言うべきか、盛親は捕まった。
そして、家康の前に引き出されたのだった。
「盛親、今回の戦、お前らの敗因はなんだと思う?」
家康は目の前で縄についている盛親に問うた。
「そちらの勝因は井伊直孝どのの大活躍。こちらの敗因はこの長宗我部盛親の敗北」
そう堂々と答えた。
「なぜ自害しなかった?武士として恥ずかしくないのか?」
「へっ!命は惜しいもんでね!この命と右の腕さえあれば、家康と秀忠がこういう姿にもできようぞ。それに、大将が軽々しく腹切ってどうすんだ!大将たる者生き延び、もう一度兵を集めるべきだ!」
「盛親、お前は打ち首の刑だ」
家康から容赦ない言葉が浴びせられた。
「な、なんでだよ!出家するからさぁ…な?許してくれよ!」
「だめだ!お前は再び挙兵すると言ったな!徳川の世のため、お前のようなものは死すべきだ!」
こうして、盛親は死罪となり、京の六条河原で散った。
命乞いしていた者とは思えない、怯えず堂々とした最期だった。
五人衆の逸話探していきなり最期の逸話って辺りがもう…。
長宗我部家はこれで完全に断絶したことになります。
家康が全員とっ捕まえたので…。
最後まで野心家でしたが、そのせいで家康に死刑にされたようですね。
撒けてなお狙撃はもう尊敬に値します。
五人衆の毛利さんが真田よりすごかったのではないかという話を聞いたのでちょっと調べてみることにします。
因みにあのオクラ…元就の毛利家とは一切の関係はありません。