四百八十一番槍 甲相の絆
真田丸の裏でそそくさと書いてました。
タイトル詐欺です。
このタイトルで武田も北条も出てきません。
九州の逸話です。
大友家と島津家がぶつかった、耳川の戦い。
これに大敗した大友家を、もはや頼れないと見限って竜造寺家に付いた武将がいた。
阿蘇家の家臣、甲斐宗運である。
主君のためなら息子も殺す、そんなよく言えば忠義の人である。
武勇、政治力ともに優れ、あの島津からも「甲斐宗運いる限り、肥後は取れない」と評されている。
そんな宗運にも、友がいた。
相良義陽である。
「義陽!お前とは戦わず、ずっ友として暮らしていきたい!」
「ああ、俺もだ宗運!そうだ!ここにお互い絶対に戦わないよう誓いを立てよう!」
「お、いいな!よし、この誓約書をずっと大切にしよう!」
阿蘇と相良はお互いにずっと仲良く。
そう誓って酒を酌み交わす仲だった。
しかし、戦国の世とは非情なもので、義陽は島津家に攻められ降伏。
相良家は島津に降った。
島津に付いた相良と、竜造寺に付いた阿蘇は敵対する形となった。
「おい、相良!阿蘇を攻め滅ぼせ!」
「…できぬ!」
「ならば貴様が滅びよ!」
「っく…。仕方ない…のか…」
相良は島津から脅しのような出陣要請を何度も受け、ついに出陣。
「ああ…ついに…宗運と戦うことになってしまった…。許してくれ…宗運…」
そういって、義陽は宗運といつか交わした不可侵の誓約書を燃やした。
「この身、大切な友との約束を破ることになりました!どうか…殺してください!」
神に自らの討死を望み、出陣。
阿蘇家の甲佐城と堅志田城を陥落させた。
「…そうか、義陽が城を落としに来たか…。なら、こちらにも策がある」
こうして、宗運も出陣した。
「…背水の陣だ!来い!宗運!」
響ヶ原に、川を背に布陣した義陽。
「隊を二手に分ける!奴に逃げ場はない!挟撃するのだ!」
それを奇襲する宗運。
あっという間だった。
相良軍はあれよあれよと壊滅。
本陣まで阿蘇軍が迫った。
「殿!撤退を!」
「皆だけで逃げてくれ!俺は…俺はここを動かない!約束を破った罪を償うのだ!」
こうして、義陽は机に座ったまま一切抵抗することなく討死した。
それを聞いた宗運は、友の立派な死を知り泣いた。
「義陽よ…。お前も苦しかったのであろう…。おかしいと思ったんだ。お前ほどの男が背水の陣などと言う愚かなことをするはずがないと…。お前は…最初から死ぬつもりだったんだな…」
そう言って手を合わせた。
「相良が滅んだ…。もはや島津を止められる壁はいなくなった。阿蘇が滅ぶのももうすぐかもしれん」
友の死とともに、自らの家の危機も感じ取っていた宗運だった。
甲斐宗運と相良義陽の逸話でした。
信長の野望やってると甲斐宗運は知ってる方多いのではないでしょうか。
能力値すごいから。
島津、大友、竜造寺の間で揺れ動く小さな国はこのような悲劇に見舞われることもありました。
宗運は外交手腕も物凄く、見事に苦しい中を生き抜きました。
まぁ4人いた息子は3人殺してますがね!!
4人目も殺そうとしましたがさすがに跡継ぎがいなくなると言うことでやめたようです。
さて、では真田丸見てきます。
「それは親か!?子か!?」の場面があるようなので楽しみですねー。