表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
539/608

連載開始5周年! 歴史絵巻第十八幕 Let's Go城巡り~大阪・京都・姫路~

この小説もついに連載開始から5周年です!

そんなわけで現存天守の城巡りを一筆したためてみました。


2日で仕事終わりに9000文字ほど一気に書き上げるのは想像以上にハードでした…。

サボってたのが悪いのですが…。


で!

げどー先生がイラストを描いてくださいました!

ご覧ください!


挿絵(By みてみん)


今回はげどー先生自ら姫路城へと赴きイラストのために写真を撮ってきてくださいました!

写真にイラスト書き込むやつ、一回やってみたかったんですよねー!


素晴らしいイラスト感謝です!

あ、げどー先生のファンの方は一方いただければピクシブとツイッターをお教えいたしますので、是非応援をお願いします。


そしてもう一枚!


挿絵(By みてみん)


こちら大黒先生に一年生組を描いてもらいました!


火縄銃担ぐ紗代かっこいいしデフォルメ明日香とデフォルメひな可愛い。


デジタル絵始めて3か月だぞ!とか文句言ってたけどいいじゃないですかー!


大黒先生のファンの方も是非コメントくださいませ!


お二人方喜びますよ!


さて、長くなりましたがそろそろ本文へ。

本文も長いうえに深夜のテンションで書いてますからお見苦しい部分もあるかとおもいますが、宜しくお願いします。

「大阪にいきませんか?」


そんな乙葉の一言から始まった、今回の旅。


今回は部活動ではなく、個人的な旅行である。


乙葉がその旅行の共として誘ったのは、乙葉が属する歴史研究部の部長、焙烙晴美であった。


「でも、大坂城はもう行っただろ?もう一度か?」


晴美の言う通り、乙葉と二人で一度大坂城を訪れたことがある。


記念すべき二人での初部活動での目的地なので、忘れるわけもない。


「私たちは大事なものを見逃しておりました!」


「見逃した…?」


「はい!いえ、正確に言えば、私たちが行った後に新たにわかった物があるのです!」


「…なるほどな。わかったぞ!」


「「真田丸!!」」


ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃららちゃっちゃっちゃーん♪

ちゃららららーん ちゃららちゃらららちゃららららーん♪


そんな某テーマソングが聴こえてきそうな勢いで、二人の大坂への「船出」は幕を開けた。





行きの新幹線の中で、今回のルートを確認する。


「今回はですね!初日大阪、二日目は大阪から京都に抜けまして、そのまま姫路に入ります。三日目は姫路を見て帰ってきましょう」


ざっくりとしたルートだが、十分楽しめそうだと言うことは伝わってくる。


途中、新幹線車内から清州城を見送り、あっという間に大阪に到着した。



「さぁまずは大坂城ですよ!」


今回の行程は、すべて乙葉が決めた。


晴美は着いていくだけでいいことになっている。


ただ、行く場所は知っているので、ある程度の下調べはしてある。


「おぉー!久しぶりの大坂城です!」


「やっぱこの堀はいつみてもデカいなぁ!」


大坂城天守の正面、バカでかい堀はいつ見ても圧巻で、防御力の高さがうかがえると同時に、これを埋めた徳川も凄いと思うのである。


青屋門や市正郭を抜け、梅林のさきに天守がある。


挿絵(By みてみん)


しかし、今回は時間の都合と前回入ったのもあって、軽く見る程度で中を出た。


「秀頼って裏切り者の兵を城から突き落としてたらしいですよ!」


「うわー、キレる若者かな?」


そんな話をしながら。


それよりも、今しかやっていないイベントがあった。


「普段は見れない櫓の中が見れます!」


「それは是非見ておこう!」


そんなわけで、まずやってきたのは六番櫓。


中は薄暗く、ところどころに槍落としなど防衛設備が設けられている。


長細い廊下に部屋がくっついているような形で、籠城時に兵が寝泊まりするための設備だという。


挿絵(By みてみん)


お次は重要文化財にも指定されている千貫櫓。


城内で最も古い櫓の一つで、1620年に建てられた。


挿絵(By みてみん)


「千貫って何でしょうね?地名でしょうか?」


櫓の名前の由来が気になった乙葉に、晴美が答える。


「いや、これは昔の金の単位だな。千貫なんて言ったら大金だぞ」


「お、良く知ってるね!」


二人の会話に入ってきたのは、ボランティアガイドのおばちゃんだった。


「昔、ここは城ではなく石山本願寺の総本山だったのは知っているかい?」


「はい、知ってます!」


「物知りだね。その本願寺時代に、織田信長がこの付近にあった櫓を攻めたんだ。ただ、なかなかに苦戦して、そお櫓は落ちなかった。すると信長は言ったんだ。あの櫓を落としたものに千貫の褒美を与えても惜しくは無い。そのくらい苦戦したらしいんだ。それが由来でこの櫓の名前も千貫櫓になったんだ」


「そうなんですね!ありがとうございます!」


ボランティアにお礼を言い、二人は次の櫓へ。


次はいぬい櫓。


今度のは今までとは明らかに違う雰囲気で、石造りの見るからに頑丈な、櫓と言うよりかは…。


「火薬庫か?」


「正解です!」


ここにもボランティアがいて、晴美の推測が正しいことを教えてくれた。


江戸城で同じような石造りの火薬庫を見ていて、これはそれにそっくりだったのだ。


「湿気とかが大敵ですから、石造りの頑丈な造りになってるんですよ!この櫓は千貫櫓と並んでここで一番古いんですよ!ほら!ここの穴を見てください!」


言われるがままについていくと、足元の壁に小さな穴が開いている。


「これ、なんですか?」


「これは湿気を抜くための穴なんです!昔の人の工夫ってすごいでしょー!」


挿絵(By みてみん)



さて、一通り櫓を見て回った二人は、大坂城を後にした。


「次はどこに行くんだっけ?」


「次からは流行りに乗りますよー!」


「ああ、そっか、思い出した」


電車に乗り、降りたったのは通天閣の見える場所。


目的地は旗印によって目立っていた。


「安居神社です!」


「ここは来てみたかった!」


二人は境内へと続く細い道を通って行った。


すると、目の前に現れたのは…。


「ここが…」


「はい…ここが…」


挿絵(By みてみん)


真田幸村終焉の地。


「最後の戦国武将、日の本一の兵とも呼ばれた真田幸村…。ここで討死したのか…」


「はい…ここで」


幸村の銅像をしばし眺める。


小さな神社だが、意外にも人は多く、みな幸村の像を見ている。


銅像の背後にある松は、幸村が最期にもたれかかっていた松を意識して植樹されたもの。


決して本人が触ったものではない。


それでも、英雄最期の地というのは、どことなく重たい雰囲気がある。


そっと手を合わせ、二人は次の目的地へ。


「次でとりあえず今日は終わりです。次は茶臼山です!」


茶臼山と言えば、幸村が夏の陣で布陣した古墳である。


実は冬の陣で家康が布陣した場所でもあり、真田丸を破壊された幸村が代わりになるものとして選んだ場所だった。


安居神社からは歩いてアクセス可能であり、ここから出撃した幸村が突撃するために移動した距離なんかを感じながら歩ける。


茶臼山が見えてきた。


挿絵(By みてみん)


しかし、ここで思わぬアクシデントに見舞われる。


「あれぇ…?」


「いけない…」


茶臼山にかかる橋が工事のため閉鎖されていた。


「えー…そんなぁ…」


「まぁ、仕方ない。諦めるしかないよ」


なんとも締まらない形で初日が終了したのであった。




翌日。


道頓堀付近から一日が始まった。


「先輩!ダイブしちゃだめですよ?」


「しないから!あ、道頓堀作った人って大坂の陣で討死してるの知ってる?」


「え?そうだったんですか!?」


「うん、安井道頓って人なんだけど道頓が作った堀だから道頓堀。商人だけど大坂の陣で秀頼方に付いて大坂城に入城し、討ち死にした」


「人の名前だったんですね、道頓堀」


そんな話をしながら向かったのは、堺の南宗寺。


しかし、早く出過ぎて開くまで時間があるので、近所にある千利休の屋敷跡へと向かった。


ビル群の合間にある空き地のような感じで、一角に井戸があるだけの簡素なもの。


挿絵(By みてみん)


ここにもボランティアさんがいて、向かいにある美術館を勧めてくれたが今回は時間の都合で入らなかった。


時間は南宗寺が開いたころだったので、二人はそちらへ向かう。


この寺は寺の中に小さな寺がいくつも建っている。


壁も独特で、細い板をいくつも重ねてできたような形をしている。


挿絵(By みてみん)


境内には甘露門という重要文化財の門と、三好長慶の銅像。


挿絵(By みてみん)


ここは三好家の菩提寺であり、利休が修行した寺であり、古田織部が庭を作った寺。


しかし、それらよりも「気になる伝説」があるためここに来た。


ここでもやはりボランティアの方が付いて案内してくれた。


朝一番のためか二人しかいないラッキーな状況で案内を聞けた。


残念ながらこれより先は写真撮影禁止、との張り紙があった。


「まず、この建物が坐雲亭と言って、秀忠・家光の二人の将軍が来ています。ここで一番古い建物になります」


そう言われて案内された建物は、何やら正方形な木造建築。


実は、ここに将軍が来ているという事実が大事だったりする。


ところで、念のため質問。


「あの…ここって写真撮影だめなのですか…?」


恐る恐る乙葉が聞くと、ボランティアのおばちゃんは笑う。


「よく見てるね!うーん、私の口からいいよ!とは言えないかな。でも、お客さんが写真を撮ってても私は止めたり注意したりしません!ただ、ウェブには載せないでね?昔、ここのことを悪く言うサイトがあって、それで住職さんが心を痛めてね…。それ以来写真ダメにしたの」


「そんなことが…」


「さて、次行くわよー!」


次に案内されたのは、三好家一族の墓。


さらに津田宗及の供養塔、利休の供養塔もあった。


これらの墓や供養塔を抜けると現れる、膝ほどの高さしかない小さな墓。


「さぁこれが!」


「もしかして!」


「家康の!?」


「そうです!」


そう、ここには伝説がある。


大坂冬の陣で本陣まで攻め込まれた家康は、籠に乗ってなんとか逃げ延びようとした。


しかし、そこに後藤又兵衛の槍が突き刺さり、家康は絶命。


遺体は南宗寺に葬った、というもので、先ほど二人の将軍が来ていることが説得力をあげている。


そして、その家康の墓がこの小さなものだというのだ。


にわかには信じがたいが、伝承の一つとして興味深い。


ボランティアの方は家康の墓を見ながらさらに面白い話をしてくれた。


「私らが子供のころは近所に信長とか秀吉とか家康の墓あったんだけど…あれどこ行っちゃったのかなぁ?学者の人とか調査に来てたんだけど…気付いたらなくなってたね。誰かが勝手に建てたのかな?」


真相は闇の中ではあるが、非常に興味深い話である。


さて、ガイドは続き、織部が作った枯山水庭園や利休ゆかりの茶室(再建)などを見て、ガイドは終了。


終わり際にまた面白い話をきいた。


「この辺の壁ってなんか不思議でしょ?これね、大坂夏の陣で燃えた寺の瓦を再利用したらしいで!エコってやつだよね!」


「これ、瓦だったんですね!しかもそんな昔の!」


改めてみると、確かに瓦っぽい。


非常に有意義な時間を過ごし、南宗寺を出た。


「次はあれか…いっこでもニコニコ」


「三光神社です!」


伝わるか微妙な晴美のボケを殺しつつ、足取り軽く次へと向かう二人。


「三光神社と言えば、真田の抜け穴で有名な!」


「そうです!神出鬼没な戦い方をしたという幸村の伝説が残る地ですよ!」


真田幸村は大坂の陣では、色々な場所から現れては消えを繰り返し敵を翻弄したと言う。


影武者もいたとか、抜け穴があったとか言われているが、三光神社のそれは真田の抜け穴と呼ばれている、幸村が実戦で使用したものだと伝わる。


まず境内に入ると、幸村の銅像が目に入る。


挿絵(By みてみん)


終焉の地の疲れ切ったものとは違う、指揮を振るう勇ましい姿。


これぞまさに戦国のヒーロー、真田幸村の姿であろう。


その隣にある人が通れるか怪しい小さな穴が「真田の抜け穴」である。


「ここを軍を率いて通れるのでしょうか?」


「うーん…。昔はもっと大きかったとか?」


「それだと穴の存在がばれちゃいますよ」


真相は闇の中である。


ここもなかなか人気のスポットで、大河の影響か人が多い。


幸村の人気の高さがうかがえる。



この場所はこれでおしまい。


次はいよいよ大阪最後の場所。


「心眼寺に行きましょう!」


「だな!」


こここそが、大阪での本命。


真田丸跡地である。


2015年に行われた調査結果によると、真田丸の堀などが地中に埋まっていることが判明した。


もともと候補地は3カ所ほどあり、そのうち一つに出城があった証拠が見つかったのだ。


それこそがこの心眼寺。


真田丸の中には寺が3つ連続で建っていたという史料があり、その寺は現存していて今でも並んで建っている。


そもそも真田丸とは、合戦のために1から建築したものではなく、もとからあった地形をそのまま活かして出丸としたものである。


心眼寺につくと何やらにぎわっていた。


ここも大河の影響か、人が多い。


挿絵(By みてみん)


境内に入ると、真新しい真田幸村の墓があった。


挿絵(By みてみん)


「幸村の400回忌を記念して、2014年に建てられた…って一昨年ですねこれ!」


「どうりで綺麗なわけだな」


そして、大阪市教育委員会によって設置された看板には「真田丸出城跡」と書かれており、説明には「三日月状の出城」と書いてあった。


「最新の説だと、真田丸は決して三日月状じゃないらしいな」


「そもそも現存する史料が少ないんですよね。おまけにどれも想像で描いたものばかり。一つだけ四角く描いてあり、中に寺が三つ入っている図があったんですよね」


「そうそう。いままで一つだけ図がおかしいから真面目に見られてこなかったんだけど、逆にこれが正解ではないかって言われてきたな」


今、まぎれも無く真田丸に立っている。


そう思うとなんだか胸が熱くなった。


先ほど通った寺の前の道路が堀だったのだから、向かいの学校辺りで前田利長がコテンパンにやられたのだろう。


そう思うと面白い。



「次は京都か!」


「はい!ときは今!本能寺へ行きますよ!」


こうして二人は電車に乗り込むのであった。


まず二人が行ったのは本能寺。


当時の防御力は城塞レベルと噂の寺である。


誰もが知っている超有名なお寺で、大事件の舞台でもある。


寺の一番奥へと進むと、信長の廟がある。


挿絵(By みてみん)


本能寺の変で討ち死にした武者たちの名が一覧となって書かれていた。


「今川義元を討った毛利新助は、本能寺の変で信長の嫡男を守って討死してるんだ。あと、弥助は生きのびた数少ない人物だったりする」


「ああ!信長の家臣の黒人ですね!」


そして二人は宝物殿で信長ゆかりの三本足のカエルの香炉を見た。


黒くてどこかスベスベ感があるつるっとボディで可愛げがある。


「本能寺の変で鳴いたっていう香炉、現存してるんですね」


「秀吉の香炉も石川五右衛門襲撃の時に鳴いたっていうし、天下人の香炉は鳴くものなのかもな!」


「家康はそういう逸話ないですけどねー」


「この香炉、ひたすら鳴き続け、最後は蜀江しょっこうの錦って呼ばれてた中国の着物で包んだら鳴きやんだらしい」


そんな話をしながら、本能寺を出る。


真の目的は実はここではなかった。


「当時の本能寺へ行きましょう!」


実は、信長が滞在した当時の本能寺は今よりすこしずれた場所にあった。


現在の場所は秀吉が建てたときに決まった場所。


というわけで、当時の本能寺付近までやってきた。


「この付近本能寺」という小さな石でできた看板もあり、分かりやすい。


メインとなる場所には、いわゆる「歴女」と呼ばれる歴史ファンの女性たちが大勢いた。


挿絵(By みてみん)


「ここが本能寺跡ですか…何も残ってないですね」


「しかし…よりにもよって本能寺跡に建ってるのが消防分団とは…」


この看板の背後にある建物いは、本能消防分団と書かれていた。


「まぁ、本能寺は何度も燃えてますし…」


「もう燃えないようにと願いを込めて、寺名の『能』のヒの部分をわざと『去』みたいにして書いてるレベルだもんな」


「あ、それテレビで見ました!」


おそらくこの二人、周りの歴女たちより数倍濃い内容の話をしている。


ゲームや創作物の影響を受けずに生粋の歴史好きな彼女たちは、このような場所では逆に浮くのであった。



さて、日も暮れはじめ、いよいよ京都を出て姫路へと向かう。


今宵の宿は城の近く。


交通の便がいいので、一度座ったら寝てれば着くのは便利。


おまけに終点なので乗り過ごしも無い。


長距離移動に疲れた二人が次に起きた時には、もう姫路にいた。


駅を出るなり歓声を上げる乙葉と晴美。


「おー!これは!」


「すごいな、綺麗だ!」


姫路城が見事にライトアップされていたのだ。


挿絵(By みてみん)


「工事が終わったばっかで、やっぱり白が際立ってるなぁ、城だけに」


「…何言ってるんですか?先輩」


「いや、なんかごめん」


平成の大修復が終わったばかりで、漆喰の白が綺麗に出ている。


これは明日の登城が楽しみになる。


世界遺産の圧倒的な存在感に期待が募る夜だった。



翌日、まだまだ薄暗い早朝。


二人は既にチェックアウトしていた。


昨日の朝までは幸村を追いかけていたが、今はなんとか官兵衛のお膝元に来ている。


大河を遡っている感じがしてこれはこれで乙なもの。


八重の桜は戦国ではないので知らない。


「どうしますか?」


「とりあえず、周りを歩いてみよう」


なぜこんな早い時間に城に来たか。


一つは人が少ないので散策がしやすい。


そしてもう一つ。


「お、日の出だ!」


「綺麗ですねぇ…」


挿絵(By みてみん)


この朝日を浴びる城が見たかったのだ。


白鷺城とも呼ばれるこの姫路城が朝の光に照らされる。


そんな美しい光景が見られた。


今日は快晴、お城日和!


城のまわりをぶらぶら歩くと、かつての大黒柱が保存されているのが見れたり、三の丸広場や黒田官兵衛ゆかりの石垣など、見る物が多くて退屈しない。


途中、石垣の上に登るためのV字になっている階段があったり、千姫の銅像があったり、それらを見るのも面白い。


のんびり歩いていると、あっという間に営業時刻が迫る。


入城待機列の先頭を陣取り、二人はその瞬間を待っていた。


そして開城。


広くは無い通路を通り、天守へと続く道を行く。


漆喰で固められた壁には、弓や銃を構えるための窓、狭間がいくつもついていた。


これがあると城っぽいと感じる。


はの門、にの門など、いろは順に名づけられたいくつもの門を通り過ぎると、「うばヶ石」という物が見れる。


上を見ると、石垣の一部に金網がしてある。


石を一つ囲っているようだが、明らかにその石の様子が周りの物とは違った。


挿絵(By みてみん)


「これはなんですか?」


「これは姥ヶ石。この城を建てるとき、石が不足してな。その情報をどこからか聞いた焼き餅売りの老婆が商売道具だった石臼を寄贈したらしいんだ。それがあの石」


そういって、晴美が指差す。


「へぇ~…。商売道具を譲っちゃうなんてよっぽどのお人よしですね」


「ほんとになー」


そしていよいよ天守の内部へと入る。


ここは現存天守の中。


鉄筋コンクリートでエレベーターまでついている大坂城とは違い、建物そのものに価値がある貴重な城。


武具掛けや釘隠しなどが至る所にあり、「実際に使われていた」と思わせる工夫が見て取れる。


挿絵(By みてみん)


そして、現存天守の特徴とも言えるものがここにもある。


いや、正しく言えば、天守に限らず現存の当時の建物の特徴と言えるか。


「あーこれは…やっぱり姫路城も凄いね」


「先輩…私…スカートなんですが…」


「…押さえよう」


スカートの乙葉を襲うもの。


それは…。


挿絵(By みてみん)


梯子のようなとんでもない角度の階段。


降りるのが怖い。


角度もそうだが、ステップもなにやら細いので、足がはみ出すのである。


かかとだけでこの急な階段を降りるのは、恐ろしい。


場所によっては手すりすら無く、おまけに綺麗に磨かれた木は靴下だと滑りやすい。


「甲冑来てこんなの行き来するなんて…昔の人はすごいですね…」


「今だったら絶対螺旋階段にするよね、こんなの」


手すりは本来は無かったものなので、いよいよ戦国の人は凄いと思う。


現存天守の松本城や、現存櫓の大坂城の千貫櫓もやはり梯子階段だった。


「なんでこう…昔の建物は…!」


「いや、理由は知らんけどね…」


もう現存の城にはスカートで来ない!


そう決めた乙葉だった。


天守最上階には、小さな祠があった。


窓から外を見ると眺めがいい。


秀吉の気分がなんとなくわかる。


順路に従い城を出ると、天守を一望できる広場に出た。


挿絵(By みてみん)


「近くでみるとやっぱりすごいな」


「白鷺城って呼ばれるのもわかりますよね」


青空に映える白が美しい。


雨やカビでこの色はどんどんくすんでいくので、まさに今しか見られない光景である。


さて、天守に背を向けて順路を進むと、門をくぐったところの石垣に巨石が使われていることがわかる。


それも、綺麗な長方形をしていて、明らかに自然の物ではなく人が作ったもののようだ。


それを見て晴美が言う。


「あ、棺桶だ」


「へ?」


きょとんとする乙葉に、晴美が言葉を足す。


「うん、ほら、それ。いや、実は石棺が石垣に使われてるのはこれだけじゃないんだけどね。これが一番目立つ」


「そんなの持ってきちゃダメでしょ!」


「この辺り古墳が多かったらしくて、城を造るときに手ごろな石が出てきたから使ったんじゃない?他の城の石持ってくるレベルで石の調達に苦労したらしいし」


「う、うーん…。でも石棺って…」


納得しきれない乙葉であった。


そのまま進むと、また有名なものが現れる。


一見は何の変哲もない普通の井戸。


だが、これが有名なのはとある伝説の舞台となっているからである。


「お菊井戸…?え?それってもしかして!」


「播州皿屋敷のあの井戸だよ」


挿絵(By みてみん)


播州皿屋敷とは、10枚セットとなっている家宝の皿の1枚を隠したという無実の罪を着せられたお菊という女性が切り殺され、井戸に投げ込まれるお話。


その井戸からは毎晩「1枚…2枚………9枚…」と悲しそうに何度も皿を数えるお菊の声が聞こえたとか。


つまり、伝説通りならばこの井戸にお菊が投げ込まれたことになる。


今は金網で塞がれているうえ、暗くて底が見えないのでかえって不気味である。


「ま、まぁこんなの作り話ですよね!」


「いやぁ?わかんないよぉ?ハーメルンの笛吹き男だって実話だっていうし、伝説ってもとになったエピソードがあったりもするものだよぉ?」


「や、やめてくださいよぉ…」


これ以上は乙葉がかわいそうなので、そろそろ次へ。


天守を後にして百閒廊下へと向かう。


「百閒廊下は、300メートルくらいある細長い建物なんだ。城の外周を囲う感じで建てられてて、廊下の天守側には部屋があって女中が暮らしてたとされてる。廊下の城外側は敵の攻撃に備えられるよう頑丈に作られてて、狭間もたくさん設けてある。雨でも鉄砲が撃てたらしいぞ」


そんな長細い建物に入った。


挿絵(By みてみん)


中には小さい部屋がいくつも並び、人形で当時の暮らしを再現している。


百閒廊下のどん詰まりの部屋で、カードで遊ぶ子どもの人形が可愛らしい。


戦闘時以外のほのぼのとした日常が感じられる。


さて、これで主要な建物は全部見たことになる。


午後になり、人も増えてきたので今度は朝よりももっと広い範囲を散策することにした。


門番所や喜斎門跡などを見て、いよいよ楽しかった姫路城も終了である。


姫路城散策だけで22キロも歩き、さすがに疲れた様子の二人。


これから東京に帰るのもしんどさがある。


「あーあ、終わっちゃったなぁ」


「でも、楽しかったですね!」


「そうだな!楽しかった!」


姫路駅に着いた二人は、なんとなく城を振り返る。


まだ遠くに見える城が、相変わらず美しい。


「さて、行きますか!」


「だな!」


そう言って、二人は大阪に戻り、新幹線へと乗車するのであった。


「あ、名古屋で途中下車していい?」


「え?どうしてですか?」


「新幹線ホームにある立ち食いのきしめんがめちゃくちゃ美味しいんだ!」


「それいいですね!寄って行きましょう!」


途中下車してグルメも楽しむ。


そんな歴史の旅があってもいいと思います。

出だしの「ちゃっちゃっちゃ…」は真田丸のOPテーマです。

「ちゃららららーん…」はEDです。

文章じゃ音楽は表現できないの!


それと南宗寺ですが、写真撮影がおおっぴらにOKな部分のみ写真を載せています。

こっそり許可取った部分は使っておりません。


大阪は行く場所のほとんどにボランティアのガイドの方がいてすごく分かりやすく教えてくださいました。

真田丸ブームや戦国ブームもあって、観光されてる方が多かったです。

本能寺跡とか歴女がたくさんでした。


京都は実はもう一つ「養源院」行きたかったんですが、時間の都合で断念。

(違うし…。一人で行くの怖かったわけじゃないし…)


説明しにくい部分と見てほしいところは写真載せました。

いつも通りです。


あとはまぁググってもらえるかなー…という不親切設定です。

写真多くなりすぎて困ったので結構削ってます。


では読者の皆様!

この小説もめでたく5周年ということで!

ここまで続くとは思ってもみなかったです。


100個逸話書いたらおわろーとか思ってたら、思いのほか皆様から御支持をいただきまして、こうして続いているわけでございます。


あれ?5周年なのに乙葉と晴美しかでないの?って思うかもですが、5周年なのであえて最初の城巡りを意識して書いてました(最初だけ)


あと、写真出てなかったけどこの部分の写真が見たい!などもお答えしますので、遠慮なく申し付けてください!


今後も頑張って書きますので、宜しくお願いします!


でも、たまには感想・寄稿・ネタ提供してくれても…いいのよ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ