四百六十五番槍 正木丹波守利英、忍の鬼将
真田丸で小田原攻めが始まったかと思います(まだ見てない)
真田家は忍城攻めに参加してたんですよ!ご存じでしたか?
忍城には本多忠勝や真田幸村にも劣らない武勇を持つ…それどころか撃退した武将を見れば幸村を超えるのではないかと思う武将がいるのです!
正木丹波守利英。
その活躍を書きたくなったので書いてみました。
1590年、天下人豊臣秀吉は小田原北条家を潰しにかかった。
秀吉配下にあった真田家が所有する名胡桃城を北条が奪い取ったことにより、私戦禁止令を破ったとして端を発したこの戦。
世に言う小田原攻めである。
秀吉は名だたる武将をこの戦のために呼び寄せた。
自分にはこれだけの兵を動かす力があると見せつけたのだ。
小田原を攻めるに当たり、各地の支城が落とされていった。
八王子、館林があっという間に落とされた。
中でも八王子城が落ちた際には数多の悲鳴がこだましたという。
各地の支城が次々落ちる中、その手は忍城にも迫っていた。
豊臣軍はまさに名将揃いの大軍。
石田三成を大将とし、浅野長政、大谷吉継、長束正家、直江兼続、佐竹義宣、鈴木重朝、宇都宮国綱。
これだけでもお腹一杯なのに、遅れて駆け付けた真田昌幸、幸村親子。
総勢5万とも言われる兵。
対して籠城側は成田長親率いる500の兵と周辺住民合わせて2000ほど。
戦には「攻者3倍の法則」という考え方があり、攻撃する方は守る方より3倍の数の兵がいる、と言うものである。
逆に言えば、1/3の数でも守りきれる、となるのだが、それにすら足りていない。
誰が見ても勝敗は明らかだが、長親は退かず籠城戦を決断。
忍城は川に挟まれた沼地に立ち、辺りは田が多く進軍しにくい。
地の利を利用しての籠城だったのだろうが、豊臣方はそれを逆手に取り水攻めを選択した。
城を囲うように土塁を作り、利根川をせき止め水を溜める作戦である。
見る見るうちに水が溜まり、2日ほどで城の麓まで水が溜まった。
しかし、城は一段高く、水没までは至らなかったどころか、堤防が手抜き工事と城内側からの攻撃により2カ所破損。
これにより、豊臣方に損害が出た上、水は抜けてぬかるみが酷くなっていよいよ近づけなくなった。
膠着状態になったかと思われた、夜中。
それは突然だった。
「うおーーーーーーー!!!!!」
突然怒号が響き、地を揺らす。
「な、何だ!?夜襲か!?しかし、城内にこれほど多くの兵などいなかったはず…」
長束隊が、忍城側の武将、正木利英から夜襲を受けた。
ものすごい叫び声。
それに驚き散る長束隊の兵たち。
それをハンティングゲームのように追う利英隊。
命かながら逃げ出す正家。
ここで叫ぶ利英。
「かねてから内通せし長束の者よ!今こそ正家の首をあげるチャンスだ!やれー!」
完全に疑心暗鬼のパニック状態となった長束隊は総崩れとなり敗走したのだった。
こうなっては豊臣方も黙っていない。
「ここだ!比較的足場の安定している行田口を狙い一点突破するのだ!」
「おう!」
浅野長政の策に、正家が乗る。
二人の隊は行田口を突破せんと攻撃を開始する。
すると、城内の鐘が響いた。
これが鳴ったと言うことは、ピンチの場所があるから救援せよということだ。
利英は行田口へと急行した。
「正家、また会ったなぁ!」
そう叫ぶや否や、利英は2隊の背後から突撃を開始した。
挟撃される形となり、浅野、長束隊は600ほど兵を失い壊滅。
撤退していく敵を見送っていると、再び鐘がなる。
今度はもともと利英が守っていた佐間口だった。
警備が手薄と見て攻めてきたのは、知将大谷吉継。
「忍城は俺が守る!相手が誰だろうと負けはせぬ!」
数で劣るにも関わらず、利英は猛攻を加えた。
ぬかるみで思うように動けず、兵を動かせない吉継は利英に敗北し、撤退。
ここでも敵を城内に入れることを許さなかった。
他の口でも酒巻靭負や甲斐姫と言った忍城の武勇の前に敗北が続き、いよいよ豊臣方は攻めあぐねるのだった。
しかし、ここに悲報が届けられる。
「小田原城、落城」
支城より先に本城が落ちた。
もはや戦う意義を失ったのである。
失意にくれる長親に、和睦の条件として三成が提案したことは…。
「城を明け渡せ?持ち出せる荷物は馬一頭に乗せられるだけとする!?ふざけるな!我らは勝者だぞ!なぜ敗者にそのようなことまで決められなければならぬのか!まだだ!まだ命はある!本城が無くても戦い抜いて見せる!開城はせぬ!籠城戦を続けるぞ!」
忍城、投降せず。
この知らせは秀吉にも届くことになる。
「え?忍城まだ戦うつもりなの?なんで?」
「和睦の条件が気に食わぬと…」
秀吉の家臣が答える。
「条件って?」
「石田様が…持ち出していい荷物は馬一頭に乗り切れる分だけだと言いまして…」
「はは、三成らしいな。だが、我らは忍城を落とせなかった言ってしまえば敗者だ。長親の言うことはもっともだ。それくらいは好きにさせてやれと伝えてくれ」
これにより、忍城は投降し戦いは終わった。
「今後は、この戦いで散って行った人々の供養をしながら余生を過ごそう。もう、戦も無かろうしな」
利英は自身が守備した佐間口近くに寺を建立し、戦死者を弔った。
そして、翌年その生涯を閉じたのだった。
正木丹波の逸話でした。
もうまさに利英無双!って感じしますでしょう?
浅野長政、長束正家、大谷吉継を撃退って本気で言ってます?って感じしませんか?
しかも数で圧倒的に劣る状況で!
城の各地に入口があり、そこで激戦が繰り広げられていたそうです。
長親本人が出陣しようとしたレベルですよ(甲斐姫に止められ、甲斐姫が出陣していきました)
有名ではないですが、是非是非正木利英の名前を覚えていてください!
(個人的に大好きなんです)