四百六十番槍 幸村-重長 戦場の絆
長らく執筆から離れていたと言うのに、皆様から感想をいただき、本当にうれしいです。
ありがとうございます!
これからも頑張らなきゃ―って思えてきます。
本当に感謝です!
大坂夏の陣での出来事。
勝ちが遠のく豊臣方で最後の突撃が始まろうとしていた。
真田源次郎幸村、敵軍の総大将目掛けた強行突撃である。
「この突撃を行えば、家康の首を取ろうが取るまいが、俺は死ぬだろう。武士として、戦場で死ねることは誇り!だが、気がかりは…」
幸村は、まだ幼い自分の子供の姿を思い浮かべた。
大助、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八に至ってはまだ4歳である。
大助は同じ戦場に立っているが、我が子を死なせたくは無かった。
しかし、豊臣方にいては危険。
幸村は思いつく。
先の戦で、後藤又兵衛を討死させるほどの見事な戦ぶりを発揮した敵がいた。
片倉重長である。
幸村は、さっそく重長に手紙を書いた。
「重長殿しかもはや頼れるものはいない。この城は間もなく落ちるだろう。その前に、どうか、愛子を匿ってほしい。どうか…お願いします」
こうして、大阪城から籠が出た。
向かうのは伊達本陣。
一つは、粗末な籠。
これに乗るのは阿菖蒲で、怪我人を装い、関所では苦しむような演技までして通過した。
この演技に徳川の兵はすっかり騙され、気の毒に思って通したと言う。
もう一つは阿梅の籠。
なんと、堂々と城を出て伊達本陣へと向かったのだ。
その他の幸村遺児は、家臣たちに守られて無事に脱出した。
そして、片倉家の居城である白石城で暮らしたのだった。
さて、この阿梅だが、当時の重長の正室だった指月院からとてもかわいがってもらっていた。
しかし、指月院は程なくして病に倒れてしまう。
「いいかい、阿梅…。私が死んだら…代わりに…あなたが旦那様の正室になるのです…。あなたにしか頼めないのです…。お願い…しましたよ…」
そう言い残してこの世を去った。
この約束を守り、阿梅は重長の正室となるのだった。
幸村と重長の逸話でした。
自分の子供たちを敵に任せる勇気凄いですよね。
だって、この話の直前には、両者対峙して、幸村は重長を撤退に追い込んでるんですよ!
しかも、徳川幕府から幸村の子を匿ってるんじゃないかと疑いを掛けられた伊達家は、幸村の子ではないとウソを吐いてます。
幸村の親心も伝わる逸話です。
因みに、大助は大坂の陣で父親の後を追ってます。
幸村?幸村は淀君と秀頼を連れて九州や台湾まで逃げました(なんていう説もある程度のお話です。でも、実際九州に秀頼の墓がありますが…
さて、今回は阿梅の逸話を書いたつもりだったのですが…ちょっと違う気もします。
なんで阿梅かって?「戦国大戦」のイラストが好きだからですよ!
いや、まだこのゲーム1回しかやったことないのですがね…。
カードは友達から大量にもらったので…。
最後にお知らせ!
今月の13日で「日の本のお殿様」も4周年!
皆さん!記念イラストや記念小説とか…描いてくれちゃってもいいんですよ…?
とはいっても、そんな応募はまずあり得ないとわかっておりますので、イラスト1枚依頼しております!
相変わらず構図は一切指定してないので、どうなるか楽しみで仕方ないです!
では、皆様お楽しみに!