四十番槍 剣豪将軍の最期
「カッコイイ…!」
私が素でそう思った逸話です。
1565年。
京の都。
松永久秀と三好三人衆が上洛した。
狙いは二条御所。
13代将軍、足利義輝。
松永・三好軍が御所を取り囲んだ。
これにより、義輝は死を覚悟した。
「ふふ…。将軍として、天下を治めるべき器用と呼ばれたのも今は昔…。人生最後の大戦!悔いの無いように戦おうぞ!」
「はいっ!」
義輝は家臣たちと別れの杯を交わした。
しかし…。
「テルちゃん!逃げましょう!まだ間に合うわ!ほら早く!」
義輝の母、慶寿院であった。
義輝と共に逃げようと思っていた。
大切な息子を思う母。
しかし、義輝はそれを拒否した。
「逃げて死にたくない…。将軍なら…男らしく戦で死にたいのだ!」
そう叫び、侵入してきた敵軍に立ち向かった。
「この俺には、塚原卜伝から授かりし奥義、『一の太刀』がある!簡単に倒れると思いなさんな!」
そう叫ぶと、畳に何本もの刀を突き立てた。
そして、向かって来た敵に一撃。
見事に一太刀で倒した。
刃こぼれしたら、突き立てた刀に取り替える。
そしてまた敵を一太刀で仕留める。
義輝は1人ながら凄まじい奮戦を演じた。
しかし…。
それは、最後の刀が刃こぼれした時だった。
「足利義輝、覚悟!」
敵兵の槍が命中。
義輝は戦闘不能になった。
「五月雨や 露か涙か ほととぎす 我が名をあげよ 雲の上まで…。さらばだ…!」
思えば、将軍家復興も叶わず、儚い人生だったな…。
無念を感じながら、義輝は静かに腹を切った。
さて、壮絶な最期とはこういうことを言うんでしょうね!
刀突き立てて奮戦!
カッコいいじゃないですか!
「一の太刀」について…。
塚原卜伝が生み出した奥義。
最初の一発で敵を仕留める必殺技。
卜伝は、養子にすらこの奥義を伝授しなかったらしいです。
因みに、この技を使えたので義輝のニックネームは「剣豪将軍」でした。