四百四十三番槍 キリスト教弾圧…でも…
レポートと同時に小説は無理っす!
今ドッジ書いてますが、1年間で文章の書き方が大きく変わっていることに気づきました。
セリフ減ったなー…。
まぁ、いいんですけどね。
「お前もキリシタンになれよ」
「ん~…うん!面白そう!」
「なら、決まりだな。お前の名は今日からコンスタンチノだ」
「コンスタンチノ…!」
黒田官兵衛のプッシュから、キリシタンとなった大友義統。
しかし、数年後に豊臣秀吉が伴天連追放令を出し、キリシタンを弾圧し始めた。
そうなると話は変わる。
棄教を示すために、父であり熱心なキリシタンだった宗麟の墓をぶっ壊した。
さらに、キリシタンに棄教を迫り弾圧を開始。
「これで…これで俺はキリシタンでないと示せたはず!」
しかし、上手くは行かなかった。
これに激怒したのは、志賀親次という大友家の重臣。
戸次川の戦いで大きな武功を挙げた猛者である。
これに困った義統。
秀吉に直々に会いに行った。
「すみません。親次がどうしても棄教に応じなくて…うまく伴天連が追放できません」
そう言うと、わざとらしく頭を下げ、首から下げた観音像をちらつかせた。
仏教徒であるアピールをしたのである。
(これで親次の動きを制限できる…!)
そう思った義統だが、答えは予想外だった。
「貴様ごときが!親次のような名将になんてことを言うのだ!」
秀吉は義統にキレたのだ。
仕方なく何の成果も無く帰宅すると、秀吉のキリシタンへの弾圧は少し緩んだ。
「じゃ、じゃあ…俺もキリシタンにもう一度なろうかな…」
キリシタンに戻りたいと言い出したのだ。
しかし…。
「お前のようなものを洗礼する宣教師なんてもういねーから!」
宣教師からは冷たい態度を取られるのであった。
私が知る中で一番の愚将ですね。
もう…喋らない方がいいんじゃないかレベルの武将、大友義統です。
宗麟の息子です。
親も親なら子も子です。
では、レポートあるので撤退します!
すいません!