四百二十七番槍 討伐!討伐!
前回の投稿から時間が開いてすいません。
バイトが5連勤は結構キツイのよ?
それに実験も重なって…。
しかしストレスの溜まる実験でした…。
カイワレ大根の種を撒く実験なんです。
なんか、塩入れたりアルカリ性にしたり他の植物の汁入れたりして、どのくらい発芽を阻害するかを見る実験らしいです。
しかしですね、一緒に実験やってた班員がまさかの実験終了直前に自分が担当の薬品を作ってないことが発覚。
しかも2つも。
挙句の果てには「分担してたの?聞いてないな」とか言い出す始末。
さすがにキレそうになりましたよ…。
でもここで何か言ったら来週気まずいかとおもいまして…。
我ながらよくぞ堪えた…。
そんな実験でした。
関係ない話ですね、すいません。
いやほんと…愚痴らせてください…。
小田原攻めの際に豊臣秀吉に従うこととなった佐竹義宣。
この時、下野の国と常陸の国を与えられることとなった。
しかし、新しい土地を治めるのには苦労も多く、義宣に従おうとしない輩も多くいた。
そこで、義宣は中央政権の人物とコンタクトを取り、私戦ではないことを表明しながら安全にこれを排除する策を考えた。
「治部少殿、ちょいと統治を進めるうえで邪魔な輩がいまして…。これを排除したいのですが、太閤様に許可を取ってはいただけませぬか?」
義宣が声をかけた治部少とは、太閤秀吉の懐刀、石田三成のことである。
三成はこの相談を受けるや否やすぐに秀吉のもとに走った。
「秀吉様!常陸を治める佐竹義宣から、土豪が従わずにいるとの報告がありました!これは秀吉様の命令を、秀吉様自身を軽く見て侮っているからに相違ありません!」
あることないこと尾ひれを付けて力説する戦国のちくり魔。
案の定、秀吉はキレた。
「なんだと!許す!殺処分しろ!」
こうして、義宣の従わない土豪殺害計画はいわば「官軍」として実行されることになったのだ。
義宣は太田城に土豪たちを呼び寄せた。
「この地を治めた祝いをしよう」
これにまんまと引っかかった土豪たち。
そのまま生きてしろから出ることは叶わなかったのであった。
佐竹義宣の逸話でした。
三成と仲良しだったようです。
友達は選ぶべきですね。
そしてさすが三成!と言った感じの報告です。
あることないこと脚色して秀吉に報告するあたりが汚いです。
そりゃあんな言い方すれば秀吉キレますわな。
ある意味秀吉を操るのが上手い三成でありました。