四百二十三番槍 この人でなし!
「歴史秘話ヒストリア」で徳川秀忠の面白い逸話やってました。
ニックネームは「泥人形」。
この時点で笑ってしまった。
さらに、秀吉から「長旅は大変だろう。のんびり来ればいいさ」と手紙を貰った秀忠は道草しまくりの挙句、一度家康のとこに帰ったとか。
いやぁ、笑ったねぇ。
でもこれ、調べても出てこないんですよね。
検索ワードが悪いのかなんなのか…。
秀忠さん、マジかっこいいっすよ!
1582年の大事件、本能寺の変。
明智光秀が謀反を起こして織田信長を討った、歴史のターニングポイントである。
この時、一緒に狙われたのが信長の嫡男、信忠であった。
変が起きた時、妙覚寺にいた信忠は、叔父の織田有楽斎(長益)に付き添われ、二条御所に避難した。
しかし、すでに京の街は明智が占拠していて、戦などできたものではない。
「ユー腹切っちゃいなヨー!はやくー!はやくー!」
「せめて…一矢報いてからだ!」
切腹を勧める有楽斎だったが、この場では信忠はまだ腹を切らなかった。
しかし、御所にも明智軍が流れてくると状況は一変。
信忠は勇敢に戦った。
しかし、多勢に無勢。
いつまでもやれるわけがない。
「もはやこれまでか…。この首、明智に渡すなよ!
そう言うと、最期は潔く腹を切ったのだった。
さて、残された有楽斎。
「じゃあ…わしもそろそろ腹を切ろうかな…」
そう言って短刀を握った時だった。
「よーし!信忠討ち取ったー!みんな帰宅だー!」
あっるぇ~?明智軍退いてくぞ~?
切腹の準備をしているうちに、明智は軍を退いたのだ。
ぽつんと残された有楽斎。
「…そうだ、安土城行こう」
切腹を止めて京を脱出、安土城に逃げたのだった。
これにより、有楽斎の京での評判は地に落ちた。
「甥にはやたら切腹を勧めたくせに、自分はのこのこ生き延びやがったのか!織田有楽斎はもはや人ではない!」
そんな悪口が横行するほどだった。
「だってねぇ…?敵が退いたんだもん。ここで死んだら犬死っしょ」
なんだかんだでそのまま大坂の陣まで経験する有楽斎だった。
織田有楽斎の逸話でした。
有楽斎って誰よ?って言われたら、織田長益のことっすよ。
それも誰よ?って言われたら、信長の弟っすよ…。
信長が長男、有楽斎は十一番目です。
武人というかは文化人寄りのイメージですかね?
利休の弟子のイメージが強いだけかも知れませんが。
甥には切腹を勧め、自分は逃げました。
なんだこいつ…。
因みに、書いてて迷ったのが「有楽斎」にするか「長益」にするかですね。
どっちの方がしっくりきますか?