四百六番槍 生きて帰るのです!
コミケ二日目に出陣してきました。
もうクタクタです。
明日は三日目に出陣します。
初の連続二日参加。
もうしんどいです…。
1600年関ヶ原の戦い。
日本を二分するこの大戦の最中、孤立する軍勢があった。
300の手勢で敵陣のど真ん中に取り残された島津軍であった。
「もはや四面楚歌…。ここは潔く腹を切るしかっ!」
切腹の覚悟を決める大将の義弘。
「待たれよ!」
それに待ったを掛けるのは豊久であった。
「もう戦っても勝てないことは明らか!俺もここで討死する!でも、大将は生きて帰ってくれ!島津家には…あなたの力が必要だ…!」
すると、味方の兵もそうだそうだと士気が上がる。
そして、豊久は叫んだ。
「捨て奸の陣だ!大将を…絶対に生きて帰すんだ!」
「おー!」
「待て!捨て奸ってそんな…お前らっ!」
「生きてくだされ…さらばだっ!我らが大将!」
捨て奸…それはしんがりが少しずつ隊を離れては相手を足止めする、戦死前提の陣。
もはや陣とも呼べないのかも知れない。
「我こそは島津義弘!さぁ!この首取れるもんなら取ってみやがれ!」
豊久は義弘と身を偽り戦った。
鉄砲隊による確実な射撃は、敵の足を鈍らせるには十分であった。
追撃を仕掛けた井伊直政と松平忠吉は鉄砲に被弾。
本多忠勝は落馬。
敵方に相当な打撃を与えたのである。
そして…。
「生きてくだされ…!我が大将!さらばじゃ!うああああああ!」
最期の突撃を慣行。
これにより、豊久は壮絶な討死をするのであった。
その甲斐あって義弘は無事に薩摩に帰国。
忠吉と直政はこの時受けた傷から破傷風を発症。
結果としてそうとうな大打撃を与えたのだった。
島津の退き口、豊久目線で書いてみました。
義弘が生き延びた陰には数えきれない犠牲がありました。
豊久もその一人です。
勇猛に戦い、徳川勢に確実にダメージを与えました。
捨て奸戦法は半ば特攻。
戦死前提です。
一致団結って恐ろしいですね。