三十七番槍 家康に過ぎたる者
三方ヶ原の戦いの前哨戦、一言坂の戦いでの出来事です。
三方ヶ原台地で家康と信玄が激突する2ヶ月程前のこと。
徳川領に入った信玄は、浜松城周辺の小さな城を次々と攻略していった。
「ぬぅ…。城が落とされるのを黙って見過ごす訳にはいかぬ!出陣じゃ!」
家康は3000の兵を率いて出陣した。
しかし…。
信玄は思いのほか目の前にいた。
「ヤバい!こんな少数では…。忠勝!殿を!」
武田軍の追撃を受けた家康は、25歳の重臣、本多忠勝に殿を任せた。
結果、家康は無事に撤退することができたが…。
忠勝は窮地に立たされた。
前には武田家臣、馬場信房。
後ろにも武田家臣、小杉左近。
「やべぇ…挟まれた…!」
忠勝目掛けて容赦なく放たれる弾幕。
「このままじゃヤバい…。やるしかないっ!」
忠勝は覚悟を決めた。
そして…。
「行くぞ!小杉左近に突っ込めぇ!」
敵への特攻。
忠勝にはそれしか残されていなかった。
特攻しながら忠勝は叫んだ。
「武士の情けを知っているお方と思う!どうかお名前を教えてください!」
すると左近は…。
「わしは小杉左近という乱心者じゃ!そなたの迫力に押されて槍を出せなかった!わしの気が変わる前に行きなさい!」
そう叫び返して忠勝の進路を開けた。
「ふう…。何とかなった…」
忠勝は急いで家康を追った。
この戦いの後、誰が読んだとも分からない一つの詩が忠勝の名を知らしめた。
「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭に 本多平八」
家康にはもったいないものが二つある。
ヤク(牛の仲間)の毛を使った兜と本多平八(忠勝のこと)だ。
この一句には、左近の忠勝への尊敬の気持ちが込められているという。
家康に過ぎたるものね…。
忠勝には底無しの忠義心がありましたから。
ヤクの兜って同時は凄いものだったみたいです。
ヤクが日本にはいないから…。
牛の仲間です。
というわけで、「三十六番槍」のあとがきで少し触れた物語でした。
忠勝、飛び交う弾幕中でも怪我しなかったのかな…?