三百六十五番槍 慶長遣欧使節
リンゴチップスを埼玉でも売って欲しいと心から思っています。
あれは凶悪なほどにおいしいです。
さて、今日は信長と濃姫が結婚した日ですね。
昨日はエイプリルフールでした。
ずっと連絡してなかった友達に「今日お前みたぞ」とウソのメールを送りました。
なんでもいいからきっかけが欲しかっただけなんですけどね。
なんだかんだでメールしないので、久しぶりに送ってみましたよ。
そんなエイプリルフールでした。
みなさん嘘を吐いたでしょうか?
「おい支倉常長。お前、ちょっとスペインに行って来い」
伊達政宗の唐突な発言が出たのは、乱世も終わった江戸時代だった。
「政宗!今度の戦に味方してくれたら100万石の大名にしてやんよ!」
そう言った徳川家康に従い、味方したものの結果は60万石どまり。
これにカチンと来ていた。
「常長、スペインに行って宣教師の派遣とメキシコ(スペイン配下)との貿易実現のための仲介役をお願いしてこい!」
「わ、わかりました」
「その前に!スペインはキリストの国だ!お前もキリスト教に入れ」
こうして洗礼を受けた常長は、スペインへ派遣された。
(ふふふ…。スペインの力とキリスト教のバックアップがあれば幕府なんて簡単にギッタンギッタンにできるぜ!あの狸今に見てろよ!」
政宗の腹の内は幕府討伐であった。
スペインで常長はローマ教皇とスペイン国王に面会していた。
「あの…宣教師を派遣してほしいんですけど…」
「NO!」
「え…。じゃあ、メキシコとの…」
「NO!」
「う…」
こうして特に得る物なく帰国することとなった。
しかし、さらに悪いことは続く。
「常長。お前が出かけてる間に幕府はキリスト教禁止令を出した。協力を得られなかった以上従うしかない。棄教せよ」
政宗は無慈悲な命令を出した。
しかし、常長はキリスト教を捨てることなく、帰国から2年後に死亡するのであった。
支倉常長でした。
スペインに行った人です。
肖像画は国宝です。
政宗の命令はなかなかヒドイものですね。
さぁ行って来い!
帰ってきたら棄教しろ!
でもこれ成功してたら幕府はどうなっていたのでしょうか?
因みに、幕府を倒そうとしていたのはそういう「説がある」止まりです。
確定ではありません。
キリスト教禁止令。
出していないのは天下人では信長だけです。
秀吉も家康も出してますからね。