三百四十七番槍 伊賀越え
通算400話です!
一体どれだけ逸話が転がってるんでしょうか。
というわけで、今回は正月にやるやる詐欺で終わった伊賀越えを書いてみました!
家康が「人生最大の危機」と自分で言った出来事だそうですよ。
割と鮮明に当時のことが記録されているらしく、さっと書けました。
それは突然のことであった。
日の本のベニスとまで言われた堺の街を見物しに来ていた徳川家康のもとに、茶屋四郎次郎という徳川家の御用商人が駆け付けたのである。
そして、息も絶え絶え報告した。
「本能寺にて、明智光秀謀反!信長公自刃なり!」
「なん…だと…?」
これは非常にまずいことである。
言うならば、敵陣のど真ん中に放り出されたようなもの。
見方も30人しかいない。
大ピンチであった。
「もう…終わりだね…。君が…小さく見える…。さよなら…」
「家康様!諦めないでください!」
諦めて腹を切ろうとする家康を、家臣の本多忠勝が止めた。
「ここで死んでは光秀の思う壺!生きて三河へ帰り、光秀を討ち滅ぼすのです!」
「…そうか。そうだな!」
家康は刀を納め、立ち上がった。
「まずは経路設定だ!」
作戦会議が始まった。
通常は、堺から三河へ帰るには、京の都を通り、琵琶湖沿岸を行く。
しかし、京は光秀の手に落ちた。
通っては間違いなく殺されるであろう。
光秀に見つからないように帰るには…。
「…伊賀越えですな」
そう言ったのは井伊直政。
分かってはいた。
しかし、これは一番避けたいことでもあった。
山城、甲賀、伊賀を抜け、伊勢へ入り、海で三河へ帰るルート。
このルートはなんといっても険しい山が続くのだ。
それだけではない。
伊賀と言えば、信長と長年争ってきた国。
言ってしまえば宿敵なのである。
信長と同盟を結んでいた家康ももちろん敵なのだ。
そんな敵国の中を通るルート。
さらに、道中だって落ち武者狩りがうようよいるだろう。
こっちもこっちで死ぬかもしれないルートなのだ。
しかし、光秀がとった京を通るよりはましである。
「…仕方ない。伊賀を超えよう」
こうして、決死の神君伊賀越えが始まった。
まずは夜を待った。
闇にまぎれた方が動きやすいのだ。
「さて、行きますか」
家康一行は出発した。
まず目指すのは山城の国。
途中、村が見えた。
「家康様、我、少々先に行ってまいります」
忠勝が先に走って村へと行った。
そして、しばらくすると一人の男を連れて帰ってきた。
「この村の村長を連れてきました」
忠勝が言うのは、この男に次の村までの道案内をさせると言う。
一行は、この村長を先頭に歩き出した。
途中、嫌でも分かってしまう。
「いる…。うようよいる…。落ち武者狩りが…!」
あきらかに影に潜んでいるのだ。
刺客が山ほど。
しかし、襲われることなく次の村に到着した。
「なぜ、襲ってこないんだ…?」
「村長が前を歩いているからかと。落ち武者狩りは通常村民が金目の物目当てに働きます。しかし村長を人質に取ってしまえば襲ってきません」
「なるほど…」
こうして、道中の村の村長をとっかえとっかえ道案内にしながら歩いた。
そして、最後の村長を帰した時だった。
「金をだしな!さもなくばコロス!」
山賊が現れたのだ。
「ちっ…!」
家臣たちが刀に手を掛けたその時だった。
「無駄な戦は行いたくない。これで通してはくれないか?」
茶屋四郎次郎が前に出た。
手には小判が大量。
「こ、こんなに!?よろしい、通す」
山賊は道をあけたのだった。
「サンキュー次郎」
「いやあ、商人ですから。山賊は金さえ渡せば襲ってこないといいますし」
こうして、夜明け前のこと。
無事に山城は突破できたのだった。
翌日。
既に家康が生きているという噂は広がっていた。
光秀は家康を討った者に褒美を出すとまで言っている。
さらなるピンチを迎えたのだ。
一行は休まらない休息を取ったのち、急ぎ足で出発した。
その時、準備が遅れ一人置き去りになっていたのである。
穴山梅雪という、武田家から来た武士だった。
さてこれから追いつこうと言う時だった。
「お前家康だろ!」
落ち武者狩りにそう声を掛けられた。
「違う!私は穴山!」
「ウソだ!家康だろ!殺せー!」
「うわー!」
こうして、初めて死者が出たのである。
一方の家康は甲賀にいた。
「甲賀には、多羅尾光俊がいたな?」
「そうですね。小川城主ですね」
この多羅尾、ニックネームはタラちゃんではないのが残念ではあるが、信長に味方していた数少ない土豪であった。
つまり、頼れる味方だったのである。
家康は光俊に援護を求めた。
しかし…。
小川城前まで来た家康だったが、なかなか城に入ろうとしない。
(どうしよう…。光俊まで寝返ってたら…。ジ・エンドだよ…)
そんな心配をしていた。
家康は人を信用できなくなっていたのだ。
「家康様がまだ城に入っていないだと!…そうか。なら、我が息子を人質として家康様のもとへ!そして城を明け渡すんだ!兵も退去させるんだ!いいな!」
ここまでしてもらってようやく城へ入れた家康。
味方さえ警戒するのだ。
どんな精神状態だったかがよく分かる。
「家康様、すぐに出発せねば光秀の追手が来ます!急ぎここを…」
「ダメだ!」
家康は忠勝の発言に一喝した。
「これから先伊賀に入る!最大の敵目の前に休息を取らないでどうする!」
そう、ここからは伊賀に入るのだ。
伊賀と言えば去年、信長が攻めた土地。
天正伊賀の乱と言えば、名高い戦であろう。
信長は子供も女もやった。
神社も寺も民家も畑も焼き討ちにした。
ようは恨まれてるのである。
そんな土地を通らなきゃいけないのである。
逆に、わずかばかりの望みがあるとしたならば…。
「宮田だな…」
去年の乱のとき、傷ついた宮田の兵を匿ったことがある。
信長に逆らうことになれど、人として見捨てられなかったのだ。
「服部半蔵!お前伊賀出身だったよな。ちょっと宮田に味方になるように言ってきてくれ」
「わかりました!」
「あと、味方になったら山川をあげるとも伝えてくれ」
「なんすか?その赤穂浪士の合言葉みたいなの…」
「名馬だ!」
「了解っす!」
「…ということでございます」
半蔵は宮田氏(下の名前不明)のもとで交渉していた。
「名馬を…。そうか、我らを家臣としてくれるのか!ならば、この宮田!家康様にお味方いたしましょうぞー!」
こうして活路を見出した。
その時、家康は家臣に金を配った。
「もし山賊に襲われたら、それを使って生きるのだ!もう誰も死なせはしない!」
「おおーーーー!!!!」
こうして伊賀越えは再開された。
ここから先もルートが分岐する。
一つは、起伏は激しいが最短ルートの桜峠を抜ける道。
もう一つは遠回りで敵も多い上野盆地。
一見選択肢のないこの二択だが、家康は奇策を思いついた。
道中にあった「十王石仏」という地蔵が十体ならんだもの。
しかし、現在見てもそれは九体しかない。
残りの一体は…。
「籠に乗せ、我が身代わりとして別働隊は上野盆地を抜けよ!注意がそっちに行っている間に我ら本隊は桜峠を抜ける!」
そんな策であった。
こうして無事に峠を越えた家康一行だったが、ここでまた難関が立ち塞がった。
「宮田勢力が及ぶのはここまでです。ここから先はご一緒できません」
「…そうか。ありがとう。では、もうひと頑張りしようか」
こうしてまた孤軍となった家康は、さらに足を進めるのだった。
今襲われたら全滅確定。
そんな時だった。
家康は偶然見つけた徳永寺に入った。
「なんだか大変なことになってきましたねぇ…。お茶くらいしか用意できませんがごゆっくりどうぞ」
住職にお茶を出され、くつろいでいる時だった。
寺の門前が騒がしい。
家康がこの寺にいると聞きつけた輩が、その命を取ろうと集まってきたのだ。
わざと門一枚を隔てて民衆に向かった家康。
そして大声で、わざと民衆に聞こえるようにこう言った。
「お茶のお礼がしたいです。そうですねぇ、この門前から見える土地すべてをこの徳永寺に与えましょう!」
「ななな、なんですと!?」
人々は驚いた。
そもそもここに居る人々はみな、徳永寺が菩提寺である。
寺が得することはみんなが得するのだ。
「え…?じゃ、じゃあ…家康ってもしかして…」
「伊賀の敵じゃ…ない?」
「それどころか…味方なんじゃないのか!」
「おっしゃー!家康を伊勢まで送り届けるのだー!」
「おー!!」
一瞬にして心強い味方が大勢できた。
その夜、最後の伊賀越えを決行。
やはり落ち武者狩りに襲われることとなった。
「家康!俺らが戦う!だから先へ!」
「わかった!すまないな」
この時、戦ったのは忠勝たち家康の家臣ではなく、先ほど味方にした人々だったという。
そしてついに…!
織田信雄の納める、伊勢へとたどり着いたのである!
ここから先は海路。
船の中で食べたヤドカリの塩辛は。
「ことのほか、風味よし」
さぞ美味く感じたのだった。
こうして、家康が人生で最大のピンチだったと自負する「神君伊賀越え」は終わったのである。
ヤドカリの塩辛ってなんでしょう?
ことのほか風味よし、だそうです。
伊勢まで行っちゃえば味方なのですが、それまでが敵だらけという…。
孤軍奮闘で頑張った逸話でした。
生き残る術はただ一つ、敵地で味方を作ること。
恩は売っておくものですね(え
では、これからも頑張って書きますよー!