三百四十六番槍 戦は時の運次第
本日、城めぐりに行ってまいりました!
今回は小峰城!
でしたが…活動報告に体たらくっぷりを書きましたので、興味のある方はどうぞ。
そのうち小説として乙葉に行かせますが…。
しかし…やらかしました。
事前調査って大事ですね。
でも帰りにいったアルパカ牧場は可愛かったです。
「クラレ」のあのアルパカ(本人)もいました。
北条氏康が、池和田城を落とした時、少々揉め事が起きた。
「俺が仕留めたんだよ!この目で見たし!」
「いーや!俺だね!絶対俺!命かけるね!」
目で見た方が中山左衛門尉。
命かけた方が伊達越前守である。
何故こんなことで揉めてるかと言うと、討ち取った瞬間が分かりにくかったからだ。
まず、両者同時に、敵将目掛けて矢を放った。
すると、敵将は落馬。
そこを左岡平次兵衛が仕留めたのである。
さて、どちらの放った矢が当たったのか、というところが問題となる。
まず、氏康は平次兵衛から話を聞き、目撃証言を得た。
「中山が向かって右に、伊達が左にいました」
そして、敵将の鎧に残る矢じりを見た。
左側から飛んできた矢が刺さっている。
つまり…。
「真実はいつもひとつ!犯人は…お前だ!」
氏康は伊達を指差した。
「いや、犯人というか…。手柄と言ってほしいです!」
これで一件落着。
しかし、恥をかいたのは中山の方だった。
これは切腹に値する恥!
本人はそう決めていた。
しかし…。
「では、褒美は敵を射抜いた伊達が一番、射抜き損ねた中山が二番、敵将の首をあげた左岡が三番としよう」
氏康はそう言ったのだ。
そうすると今度は左岡が文句を言った。
「敵将を討ち取ったのに三番だなんて…。なんて日だ!」
「敵を討ち逃したのは、こればっかりは運だ。中山は強い奴相手に矢を放ったのだぞ。その武勇は決して軽いものではない」
その言葉に、左岡も納得せざるを得なかった。
北条氏康の逸話でした。
なんか、信長が桶狭間で情報を伝えた家臣に褒美を多く与えたってやつに似てません?
そうでもない?
氏康なりに考えてこうしたのでしょう。
努力を認めるのは良いことですよ!
うん!