三百三十一番槍 わざとじゃないんよ?
コラボ小説の執筆が終わり気が楽になりました。
これで登城記が書ける…!
しばらく書いてませんでしたからね~…。
織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍がぶつかった姉川の戦い。
この戦いに臨むに当たり、織田陣営で軍議が開かれていた。
「信長さん!この戦、先鋒をやらせてください」
そう言ったのは徳川家康。
真っ先に先陣を切って戦いたいと名乗り出たのだ。
先鋒を務めれば一番槍やらで名をあげることができる。
しかし、信長は首を縦には振らなかった。
「先鋒は我が家臣、池田恒興が務める。徳川殿は第二陣を担当してくれ」
これを聞いて気を良くし、調子に乗ったのが恒興。
「大国織田の先鋒が二陣に敵を譲ることなどありえない!全て俺らが受け止めてやるぜ!」
「武士たる者、そうでなくてはな」
家康はそう言ったが、恒興のこの発言が気に食わない者もいた。
家康の家臣、酒井忠次である。
「憎き池田め。大口をたたきおって…」
軽く陰口を叩くのであった。
さて、実際に戦が始まった。
あれだけ言っていた恒興だったが、戦が始まってみると押され気味。
あっという間に二陣まで押し戻された。
「あれだけ意気込んでいたのにどうした?口だけか?足手まといだから下がっていろ」
忠次は恒興にそう言い放った。
恒興には返す言葉がない。
「さて、行ってくるか」
忠次が馬をひるがえした時だった。
「あ」
「え」
薙刀が恒興に引っかかり、まさかの落馬させてしまったのである。
「あ…。ごめん、事故」
実際に事故だったのだが…。
「おい忠次!この大事な場面で余計なことをするな!」
わざとだと勘違いした家康に叱られたのだった。
酒井忠次と池田恒興でした。
恒興の大口に腹が立った忠次。
挑発したばっかりに誤解され怒られました。
いや、確かに腹は立つよね。たぶん。当事者なら。
戦一つとっても細かい逸話は割とあるもんなんですね。
初めて使われた手裏剣って大坂の陣らしいですよ。
確か夏の陣。
斬られたときとっさに脇差投げたのが始めだとかなんとか…。
手裏剣って言っても、あの忍玉乱太郎みたいなやつじゃなくて、当初は普通の刀の形だったようです。
特に補足することも無いので雑学で〆ました。
〆って漢字なのでしょうか…?
そろそろ伊賀越えに手を付けますかな!