リメンバーパールハーバー!
リクエストありましたので書いてみましたが…。
いざ書くとわっかりにくいねー…。
どう書いていいか…時系列が飛んじゃって飛んじゃって…。
真珠湾攻撃です。
本当は知ってたんじゃないの~?アメリカさ~ん?
みたいな逸話と言うか…疑惑?
1941年8月1日。
日本は窮地に立たされていた。
アメリカが日本に対して石油の輸出をストップしたのだ。
この状況を打破するため、日本はアメリカと話し合った。
しかし、9月になっても話は進まず…。
10月も進展は無し。
11月のことであった。
アメリカ国務長官コーデル・ハルは一冊のノートを東郷茂徳外務大臣に提出した。
「ハルノート」と言われるものである。
名前を書いても死にはしないが、死ぬより屈辱的なことが書かれていた。
『石油が欲しければ、今までに日本が得た大陸の権利全てを放棄せよ』
これは許せないことであった。
今まで戦争で取ってきた権利を、こんなノート一冊で放棄などできるわけがない。
「アメリカは日本を挑発した。これは言わば挑戦状だ!」
茂徳はそう叫び、戦争は避けられないものとなった。
日本が最初に攻撃地として選んだのは真珠湾だった。
要所であり、日本からも最短。
誰が見ても、真珠湾を最初に攻めるのは定石だった。
攻撃するには、あらかじめ攻撃宣言しなければならない。
しかし、ここで日本は不手際を起こす。
攻撃30分前にハル国務長官に手渡すはずの宣戦布告書がまだわたっていなかったのである。
これにより、事前通知無しの奇襲となったのだ。
宣戦布告書は、ハル国務長官に手渡す役だった野村吉三郎大使がまだ持っていた。
吉三郎は新庄建吉というアメリカに送り込んだスパイの葬儀に出ていたのである。
このスパイ、切支丹がゆえ、葬儀はアメリカで、アメリカ人の牧師が担当していた。
しかし、ここで吉三郎にとって大きな誤算が生じた。
いや、生じさせられたというべきか。
葬儀が長引いたのである。
それも、牧師が長々と別れの言葉を読み、どう見ても意図的に延ばしたとしか思えないように。
これにより宣戦布告書は開戦してから1時間後にハル国務長官の手元に届いたのだった。
一方真珠湾。
日本軍への迎撃の手筈は整っていなかった。
大規模演習を公開し、日本の暗号を盗み取って解析まで完了し、攻撃先が真珠湾であることも知っていた。
さらに、日本軍の空母二隻が真珠湾に向かっているのもあらかじめ知っておきながら、何の対策も取らなかったのである。
いや、対策は取っていた。
アメリカの主力となる空母2隻と、最新鋭の戦艦19隻は安全な場所へ移しておいたのだ。
残しておいたのは「オクラホマ」「アリゾナ」「ウェストバージニア」「オクラホマ」と言った旧型戦艦と、もはや使わない標的艦「ユタ」、それから敷設艦「オグラダ」など古い船ばかり16隻。
盗み取った情報から、日本は船を集中的に狙うことが分かっていた。
なら、沈められても痛くない船を配置すればいい。
捨て艦戦法を取ったのである。
日本にとっては、主力空母がいなかったのが大誤算となった。
これでは大きな痛手を負わせることはできない。
案の定、石油コンビナートなどの主要施設はほぼ無傷であった。
しかし、アメリカ側も大きな痛手を受けた。
戦死者は2400人、けが人は2600人と言う大きな被害が出たのだ。
対する日本側は死者56人と、アメリカに比べて微量であった。
しかし、この真珠湾攻撃によって当時戦争反対派が80%を占めていたアメリカ国民の心を変えてしまったのは事実である。
真珠湾攻撃は、アメリカが知っていて黙っていた。
結果、宣戦布告書を提出するのが遅れた日本の奇襲として扱われた。
そんな戦争となったのである。
知ってたんじゃないの…?
ニイタカヤマノボレ一二〇八
暗号で、12月8日、真珠湾攻撃せよという意味らしいです。
「ハルノート」ですが、わざと日本を怒らせて攻撃させるのが狙いだったとも言われています。
直江状みたい。
因みに、艦これ流行ってるので参加した船一覧でも。
旗船は「赤城」空母ですね。
「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」これら空母です。
「比叡」「霧島」これら戦艦。
「利根」「筑摩」これら重巡洋艦。
「阿武隈」軽巡洋艦はこれ一隻。
「谷風」「浦風」「浜風」「磯風」「陽炎」「不知火」「秋雲」「霞」「霰」これら駆逐艦です。
「伊19」「伊21」「伊23」これら潜水艦です。
赤城から「トラトラトラ」と信号が出たそうです。
「我奇襲に成功セリ」という意味だとか。
真珠湾攻撃が成功か失敗かなんて、問うまでもなく失敗です。
人が亡くなってるんですから。
今後何があっても戦争だけはダメです。
絶対に。