三十番槍 身分を超えた一致団結
「戦国物なんだから戦について書けよ!」
「ぅちゅ…わかった」
こんな感じのやり取りがありまして…。
で、初の戦物。
戦は難しいんですよね~。
武将喋らなくても話進むし…。
あの…。
初なので、かなり多目にミテクダサイ…。
ここは信濃、上田城下。
1600年8月末。
上田城主である真田昌幸の言葉が掲げられた。
「この上田の地を防衛する!手柄をあげた武士・町人・百姓身分関係なく敵の首一つにつき土地を百石与えよう!」
防衛戦に町中の人に協力を求めるものだった。
というのも、十五年前に一度追っ払った徳川秀忠が、再び上田城を攻めてきたのである。
秀忠軍は3万8千。
昌幸軍は2千5百。
力の差は歴然。
そこで、町の人に協力を仰いだ。
首一つで百石ともあり、沢山の人が来た。
上田城に秀忠軍到着。
それの前に、自ら出て行った昌幸。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉に着きにけり、はや住吉に着きにけり」
昌幸は、高砂の舞を踊ってみせた。
「んだあんにゃろー!馬鹿にしやがって!やっちまえ!」
秀忠軍は昌幸の挑発に乗った。
「はっ!バカ共め!全ては作戦通りよ!」
昌幸は城中に引いた。
「逃がすな!行くぜ!」
秀忠軍の攻撃が始まった。
「お、おい!止めろ!まだ命令は出してないぞ!」
秀忠の制止を誰も聞き入れなかった。
一方昌幸軍。
「皆の者!今だ!お粥用意!放てー!」
みんなで作ったお粥を武器に、町の住民は戦った。
「熱っ!うあ!お粥だと!?」
「うああ!て、撤退!撤退だ!」
秀忠軍が撤退を開始した。
しかし…。
「逃がすか!神川の堰を切るのだ!」
あらかじめ、堰で神川をせき止めていた。
秀忠軍を上手く神川へ誘導し、堰を切って奴らを流す為に!
狙い通り、秀忠軍は壊滅。
秀忠は、関ケ原の戦いに間に合わなかった。
第二次上田城の戦い。
城下の住民も、みんな城にこもって戦いました。
お粥で攻撃したり、竹槍で攻撃したり、伏兵使ったり…。
真田はやっぱり強いんですね!
神川の堰をぶっ壊して徳川秀忠の兵を流したり…。
仕舞いには、城下に火を放ちました。
城下の住民を城に入れたのは火を放つためだったんですね。
本当は、このお話はですね、十七番槍として投稿する予定だったのですが…。
上手く書けないので放置してました。
そしたら、某五円玉様に「戦書けよ!」って言われまして…。
下手くそながら、投稿させて頂きました。
一番言いたいのは、「第二次上田城の戦いの武器はお粥だった」です。
では!
戦の逸話もたまに入れて行きたいと思います!