二十六番槍 深すぎる妻への愛
利休七哲の一人、細川忠興と細川ガラシャ(玉)の愛の深さを良く伝えている逸話です。
早めに言っておきましょう!
あとがきが驚きの長さです。
1600年9月15日。
関ヶ原。
「うおぉぉぉぉおおお!」
どこからともなく鬨の声が挙がり、関ヶ原の戦いが始まった。
「うあぁぁあ!!おらおらおらぁ!」
そんななか、敵陣に真っ先に飛び込んだ東軍の武将がいた。
細川忠興。
彼にとって関ヶ原の戦いは特別なものだった。
前日の夜……。
忠興の本に一報が入った。
細川ガラシャ、自害。西軍の人質となるのを拒み、小笠原少斎の介錯を受ける。
「忠興よ…。真に、残念であった…。今度の戦はお前の助けが無くても大丈夫じゃ!一度、大坂に戻って、ガラシャ殿の顔を…」
忠興を呼び出した徳川家康は、わざと笑顔を作り、忠興に大坂に帰ることを勧めた。
「家康様…!そのお心だけで、私は…充分ですよ…。今更、帰る訳には行きません。明日は、私に先鋒をやらせてください!必ず、家康様の勝利に…!我が妻、玉の敵を討たせてください!」
自分でも気付かないうちに、忠興は叫んでいた。
今、忠興はガラシャの為に戦っている。
細川家の為に、命を捧げてくれた最愛の妻の為に!
忠興の活躍もあり、関ヶ原は東軍の勝利で終わった。
戦後、急いで豊前に戻った。
そして、ガラシャの葬式をキリスト教のやり方で行った。
「玉よ…。 苦しかったであろう…。 キリスト教では自害は許されない。 しかし、細川家のために命を捧げてくれた…。 そんなお前を…私は幽閉した…。 しかも、お前の唯一の支えであるキリスト教すら奪おうとした…。 本当は…私が一番お前を理解してやらなければならなかったのに…! 玉よ…。玉よ…!」
忠興の目には、涙が浮かんでいた。
「玉…。愛してるぞ…!」
その後、忠興は正室を持つことはなかった。
なかなか…心暖まるお話じゃありませんでしたか…?
ではでは。
それをぶっ壊していこうじゃありませんか!
まず、ガラシャは自害が禁止されているキリスト教徒。
そこで、家事である小笠原少斎という人に胸を突かせて討ち死にするという形で最期を遂げました。
その知らせを聞いた家康は忠興に大坂に戻ることを勧めるも忠興は拒否。
東軍の先鋒として大活躍しました。
因みに、「ガラシャ殿の顔を…」とか本文では書いちゃいましたけど、骨すら残らなかったらしいです。
焼けちゃって…。
その後、キリスト教方式でガラシャの葬式を行ったそうです。
月命日には必ず供養をして、正室も生涯取ることはありませんでした。
ここまでが本文のお話。
細川忠興を良い人としておきたい方はこの後は読まないことをお勧めします…
。
本文は忠興の良い面だけを拾ってみたので…。
忠興はですね、明智光秀の娘であるガラシャが正室のため、自分まで謀反人にされるのが嫌でガラシャを幽閉しました。
他の説もありまして、女好きの秀吉に美しいガラシャを見られたら何されるか分からんから、見つからないように幽閉した…。とも言われてます。
また、ガラシャからキリスト教を奪おうとしたこともありました。
ガラシャの喉に刀を突き付けて…。
それでも拒否されたので、ガラシャと一緒にキリスト教に入った女性の髪を切って寺に追放しました。
寺って…。仏教だよ…?
さらにさらに、ガラシャが「あなたは生きなさい!」と千世という忠興の息子の嫁を逃がしました。
すると忠興は、「何でおめーはガラシャと一緒に死ななかったんだ?」と。
息子に離婚を命令しました。
それを拒否されると、嫡男から降ろしました。
あははぁ…。
性格に難があるけど、ガラシャを愛していたのには変わりはないんですよ?
だって、ガラシャとちょっと喋った庭師に嫉妬して、その庭師を斬ったくらいですから…。
人間、愛が深すぎると何するか分かんないねぇ~…。
それ以上に…。
長いあとがきだねぇ~…。