歴史絵巻第十四幕 Let's Go城巡り~鶴ヶ城~
久しぶりの城巡りです。
今回は鶴ヶ城です。
本日滝山城と八王子城に行きます。
8時集合なのに「GJ部」が始まってしまった…。
起きれる自信がないですが自分を信じたいと思います。
寝るのは2時かな…。
レッツ丑の刻参り!
因みに藁人形に五寸釘をゴッスンゴッスンする形は室町時代に完成したらしいです。
「もう2月も終わりますね。そろそろ新入生の勧誘とか考えないとですね」
思い出したように言ったのは村上乙葉。
ここ社会科研究室でこじんまりと活動している歴史研究部の部員。
読んでいた本から目を離し、思い出したように発言した乙葉に返事をするのは焙烙晴美。
現在2年の部長である。
「あぁそうか。じゃあ次の日曜日に城行って、それで部誌作ろう!それを配って宣伝のビラにすればいいんだ!」
「待ってました!ではどこの城に行きましょう?」
実際勧誘のことよりも城に行きたかった乙葉だった。
「やっぱりブームに乗った方が新入生受けいいんじゃないか?」
「そうですねぇ…。やっぱり大河がホットな話題ですかね?」
「八重の桜…。新島八重か…。昭和の人は分からんけど、舞台は福島だったよな」
「はい。震災復興の意味も込めて福島らしいですよ。会津ですって」
「そうか…。じゃあ鶴ヶ城か」
「鶴ヶ城?会津若松城じゃないんですか?」
聞きなれない名前に晴美に確認する乙葉。
「同じものだよ。鶴ヶ城って名前の方が公式かな」
「そうなんですか」
2人で話していると教室の扉が開いた。
入ってきたのは山中鬨哉だった。
生徒会と兼部している、この部活唯一の男子生徒。
「あ、ヤマト!日曜日暇?」
乙葉がすかさず声をかけた。
ヤマトというのは鬨拓のニックネームである。
「え?あ、うん。空いてるよ。なんで?」
「新入生勧誘用の部誌を作る取材をするよ!」
実際取材なんて大げさなものではないのだが…。
「城?」
「そうそう。鶴ヶ城」
「どこ?」
さっそく呼び方を改めた乙葉。
そのせいでどこにある城か分からなくなるという弊害が生じた。
「福島!会津若松!」
「また遠くだな…」
「遠くの方が活発な部活みたいでしょ?」
「それはまぁ…」
「カメラ持ってきてよ!部誌に写真貼りたいからさ!」
「え?あ、うん。いいけどさ…」
「じゃああれか。飯盛山も行くか。近くだし」
2人で話していると、晴美が話に入ってきた。
「あ、それって白虎隊が勘違いで切腹した山ですね」
鬨哉が言った。
白虎隊の最後は結構有名である。
「じゃあヤマト。白虎以外に朱雀と玄武と青龍もあるの知ってた?」
乙葉が聞いた。
「え?そうなの?」
「うん。意外と知られてないんだけどね」
まさかの四方の神すべてがあった。
「まぁ、そういうわけだから、日曜日空けといてな。今回は先生が来れないからうちらだけだし。8時に大宮駅で」
晴美が締めくくり今日の部活は終了となった。
日曜日。
乙葉は少し早めに家を出た。
一昨日降った雪が未だに残っていると思ったから。
実際は雪はまばらで、その関係で駅で少々電車を待つことになったが、その間にやりたいことがあった。
乙葉は携帯電話をとりだし、調べ物を始めた。
「鶴ヶ城って…。誰の城なんだろ…。蒲生氏郷かな…」
そう思って調べ始めた。
一方鬨哉。
「会津若松…。あかべこ?」
鬨哉も調べていた。
時期によっては「あかべぇ」なる会津に行く特急電車が大宮駅から出てたりするらしいが、残念ながら今回は時期が合わず。
新幹線で行くことになった。
待ち合わせ場所には晴美が最初に到着した。
大宮駅の中央改札を抜けると左手にすぐ現れる緑色のポスト。
普通のポストとは風貌がまるで別物で、古風な文字で「大宮驛」と書いてある。
ポストの上の部分には貨車のライトを流用して作られた目と鼻。
足は写真を半分に切ったもの。
大宮駅120周年記念を祝い、無事に帰ると願いを込められたかえるポスト。
ここが今日の集合場所。
晴美が到着してから5分後乙葉が、その3分後時哉がやってきた。
「ありゃ、お二人とも私服で」
鬨哉が来て気づく。
乙葉だけが制服だった。
「だって、今日先生来ないんでしょ?」
鬨哉が生徒会らしからぬ発言をする。
「あ、そっか」
「じゃあそろったし行きますか!」
晴美が時計をチラ見して2人に呼びかけた。
3人は一番端の新幹線ホームに移動。
新幹線へ乗り込んだ。
大宮からは新幹線で2駅。
まずは郡山で下車。
そこから快速電車で会津若松へ。
もうすでに雪は大分深くなっている。
会津若松で降りて、バスに乗り換える。
そこからまず向かったのは飯盛山。
周りには観光客も多く、ここが観光スポットであることがうかがえた。
長い長い階段が続いている。
が、実は嫌なら登らなくてもいい。
階段に沿ってスロープコンベアーがあり、250円かかるが楽はできる。
雪が急な階段に積もっているので是非とも利用したいところだが…。
そもそも冬は動いてなかったりする。
滑らないように気を付けながら階段を上った。
登った先にまず現れたのは大きな石碑。
「会津藩殉難烈婦の碑」
看板にはそう書かれていた。
「戊辰戦争で自刃または戦士した婦女子二百余名を弔うための石碑…。女子!?」
読み返して驚く乙葉。
「うん。新島八重もその一人じゃなかったか?城に籠った500人の一人だったと思う」
晴美があいまいな知識を持って説明した。
「そもそも、戊辰戦争って何なんです?」
鬨哉がそもそもな質問をした。
「旧幕府軍VS新政府軍の日本全土で繰り広げられた戦いの総称だな。結果としては新政府軍が勝ったんだ。白虎隊は幕府側の組織な」
「へぇー…。一つの戦争じゃないんだ…」
確かに学校で習うのは戊辰戦争で明治幕府が勝ったということだけ。
詳しくは教わらない。
だからこそこういう史跡巡りは面白いのかもしれない。
石碑の次に現れたのは、19個連なった墓石。
「これ、飯盛山で自害した白虎隊19人の墓ですって…」
そういって乙葉が手を合わせる。
「切腹後3か月の間は白虎隊に触るのを禁止されてたのか…」
鬨哉も看板を見た後手を合わせた。
それに続いて晴美も…。
顔を上げて先に進む。
次にあったのは石柱の上に猛禽類の銅像が載った碑。
「ローマ市寄贈の碑…。ローマ?」
鬨哉が看板を読み上げた。
「白虎隊の精神に感銘を受けたローマ市民が送ったんだって!この石柱、ポンペイの古代宮殿のだってさ」
乙葉が看板の続きを読んだ。
「ポンペイってあの火砕流で壊滅したっていう…?石膏で再現された人がリアルな…」
「あー、あれか!私もそれテレビで見た!」
有名な遺跡の柱を寄贈というのもスゴい話ではある。
更に進むと左手にまた墓が現れた。
飯沼貞雄の墓。
「飯沼貞雄?白虎隊ですか?」
鬨哉が晴美に質問した。
「うん。白虎隊はこの山で20人切腹したんだ。でも、一人だけ蘇生した。それが飯沼貞雄。昭和の初めまで生きてたんだ。白虎隊の詳細はこの人がいたから分かった部分も多いんだ」
「蘇生…」
乙葉が呟く。
確かに史実で使われる言葉ではない。
「なんか分かんないけど、どんな資料みても蘇生って書いてあるんだよ」
「なんか不思議ですね…」
そんな話をしながら向かったのは山頂。
山頂こそが白虎隊最期の地。
そこへ向かった。
山頂には遠くを眺めるような格好をした少年の石像があった。
眺める方向にはラジオの電波塔の後ろに隠れる鶴ヶ城が小さく見える。
「ここから城下町が燃えてるのを見て落城と勘違いしたんですよね…」
「え~…。間違えるかなぁ…」
呟いた乙葉に鬨哉が水を差す。
「間違えるんじゃない?落城した時の鶴ヶ城の写真見たことない?」
「え…?無いよ…」
「砲撃の跡とかでもう酷いよ!」
「へぇ…。じゃあ仕方ない…のか?」
納得できるようなできないような、複雑な鬨哉だった。
その後飯盛山を下山。
登る時とはルートが違うため、新しいものが見れる。
三人の前には奇妙な建物が現れた。
六角形の木造の建物。
3層でできている建物で、なかなかの年代を感じる。
建物の入り口に看板がある。
それを見てみることにした。
「旧正宗寺、円通三匝堂。別名さざえ堂。国重要文化財ですって!」
「高さ16.5メートル。階段が無く右回りのスロープで一番上まで登り、同じ道を通ることなく裏から外に出れる」
「世界唯一の構造らしいです」
乙葉に続いて晴美や鬨哉も看板を読む。
1796年に郁堂和尚という人が建てたらしい。
そこまで分かったので実際に中に入ってみる。
中は確かに螺旋状にスロープが続いている。
と言っても木でできた滑り止めはあるので統べる心配はない。
ひたすらスロープ。
ぐるぐると回っててっぺんへ。
てっぺんには苗字が書かれたお札が大量に貼られていた。
そのあとはひたすら下る。
ぐるぐる下る。
出口は入り口と真逆の位置にあった。
何とも特殊な構造の建物である。
世界に一つだけなのもうなずける。
さざえ堂を過ぎると次は白虎隊記念館。
実は往路で階段を登るときに左手にあった建物だったりする。
中に入ると白虎隊関連の様々な資料が展示してあった。
白虎隊が自害の時に使った短刀。
白虎隊自刃の図。
近藤勇の鉢がね。
西軍の大砲。
実際の鉄砲。
リアルな資料が多いのである。
「あ、ほんとだ。朱雀隊と青龍隊と玄武隊っていうのもあったんだ」
鬨哉が資料を見ながら言った。
「だからあるって言ったじゃん~」
得意げに言った乙葉だった。
外に出ると行くときに通った道に出た。
コンベアーがあったあの階段の途中に出るのだ。
階段を下りるとお土産売り場が立ち並ぶ。
「会津白虎隊」とでっかく書いてある笠が売ってたりした。
三人はその中にある飲食店に入ると昼食を取り、3.3キロ先の鶴ヶ城を目指すのであった。
鶴ヶ城。
中に入ると「二の丸」と書かれたシンプルな看板がテニスコートの前に建っていた。
雰囲気が無い。
次に見たものは大きな水堀で、石垣は20メートルほどの高さである。
「ここは城の東側だな。この石垣は加藤明成の時代に建てられた場内最大の石垣だ」
「加藤明成って誰ですか?」
晴美の説明に鬨哉が質問した。
「鶴ヶ城の城主だよ。加藤嘉明の嫡男。蘆名直盛がここに館を建てて、盛舜が城に。そのあとは伊達政宗が奪って、政宗が会津を没収されたあと蒲生氏郷が入城。氏郷の嫡男の秀行が宇都宮城に移動して上杉景勝が入城。景勝が米沢城に移されたあと再び秀行入城。次に会津藩主の加藤義明が入城。そのあと嫡男の明成だよ。因みにそのあとは保科正之が入城して、戊辰戦争に突入ね」
乙葉が長々と説明したが…。
「はぁ…」
鬨哉にはハテナが残っていた。
「この石垣は布積みだな」
晴美がポツリと呟いた。
「布積み?」
「うん。同じ大きさの石が積んであるタイプ。見た目は綺麗だけど強度は弱いらしい」
乙葉の疑問に晴美が答えた。
石垣を過ぎると木製の橋が現れた。
橋の手すり部分は朱く塗られている。
「これ、廊下橋ですかね?」
乙葉が聞いた。
「廊下?そんな大層なものじゃなよ?短いし。ただの橋じゃん」
鬨哉が言った。
確かにただの橋のように見える。
というか簡単なつくりのただの橋である。
「いや、廊下橋だな。蒲生時代には屋根付きの豪華な橋だったんだよ。加藤時代に万が一の時には落とせるように簡単な造りにしたんだ。名前は名残かな」
「へぇ~…」
鬨哉は呆然としていた。
廊下橋を通ると廊下橋門跡を通る。
この門跡は四角形の空間を作っている。
いわゆる「枡形門」というやつだ。
ここが正面入り口となっていたらしい。
そこを過ぎれば本丸埋門。
本末の北東にあった本丸奥御殿から本丸帯郭に通じていた門らしい。
そして「蒲生時代の表門」と書かれた看板を左手に見ながら天守の下へ。
蒲生時代の表門とは書いてあるが、実際見てみると石垣の端っこである。
知らなきゃ門とは思わない。
天守を見た鬨哉が声をあげた。
「あ!赤い!」
晴美と乙葉も天守を見て納得。
屋根が赤瓦なのだ。
「これ最近になって赤くしたんだよ。平成23年だったかな。それまでは黒かったんだけど、幕末の城に合わせて変えたんだって」
乙葉が言った。
周辺を見てみるのもいいが、まずは天守の中に入った。
入ってすぐに見れるものは塩蔵。
天守の地下に当たる部分で、当時の石垣が見れる。
上にあがると城主の移り変わりや城の歴史が説明してあった。
二階は四季を感じさせる展示物。
季節による城下の生活を展示してあった。
その一角…。
「おー!記念撮影できるって!」
乙葉が声をあげた。
目をやると、そこには着物があり、着て撮影できるようだった。
そんなわけで…。
少女着付け中…。
「どう?似合います?」
着物を羽織るように着た乙葉。
制服の上に着物というよく分からない服装。
「お~!似合うじゃん乙葉!」
「ホントですか!?嬉しいです」
晴美にそう言われ乙葉は笑った。
鬨哉は少し離れて乙葉を見ていた。
三階は戊辰戦争。
白虎隊自刃之図。
飯盛山で最期を迎えた19人の肖像画。
砲撃を受けたあとのぼろぼろの鶴ヶ城天守の写真。
そして…。
ガラスケースに入ったハッピ方の汚れた着物。
文字が書いてあるのだが、左肩のあたりがかなり広範囲で黒く染みている。
「寄贈品。広がる染みは血痕と伝わる…。え…!?」
鬨哉が読み上げてショックを受ける。
「やっぱり戊辰戦争までくると戦争だよね…」
乙葉がそう呟いた。
四階は会津の年中行事について。
五階は展望となっている。
飯盛山も眺望できた。
やはり戦国よりも幕末色が濃い展示内容だった。
こんな城も珍しいかもしれない。
3人は天守から出た。
天守から続く走長屋。
これは武器庫として使われたらしい。
その走長屋は鉄門へと続いている。
門が鉄板張りだったらしい。
さらに鉄門からは干飯櫓。
これは兵糧庫である。
全部まとめて平成13年に再建された。
次は天守の足元に広がる広場の周りを歩いてみた。
この広場自体も史跡なのだ。
本丸御殿跡で、現在では建物があった場所に石がおいてあり、柱があった場所がわかる。
広場の周りを歩いて見つけた。
「馬洗い石ですって!」
「ここは馬小屋だったのか…?」
乙葉に続いて晴美が看板を見る。
「馬小屋じゃなくて馬術の稽古場だったみたいですよ。これは馬の口を洗うための石ですって」
鬨哉が看板を読んだ。
今では馬がいたとは思えない場所である。
3人で鉄門を通った。
左手には柵で囲われた空地があり、看板が建っていた。
「上杉謙信公仮廟所跡」
看板にはそう書かれていた。
「上杉謙信!謙信は聞いたことありますよ!」
鬨哉が知ってる名前に反応した。
「軍神。越後の龍。毘沙門天の化身。いろいろ言われてるな。で、ここは何なの?」
そう聞きつつ晴美は看板を見た。
「上杉景勝がこの城に入った時に、謙信の墓も移されたんですって。謙信は甲冑姿のまま甕に入れられたらしいです。それをここに建てた仮の廟所で祀ったらしいですよ」
乙葉が説明した。
要するに謙信の仮の廟所跡である。
因みに、景勝が米沢城に移った際に、再び謙信も米沢に改葬されている。
次に現れたのはV字の階段が設けられている石垣。
大手門の渡り櫓や石垣の上に登れるようになっている。
看板には「武者走り」と書かれていた。
残念ながら柵があり登ることはできない。
武者走りの次は鶴ヶ城稲荷神社。
「この神社は600年に建てられた言わば城の守護神だな」
晴美がそう言った。
「なんか伝説があるらしいですよ」
鬨哉が看板とにらめっこしながら言った。
「蘆名直盛が築城にあたり縄張りに困った。そんな時に稲荷神社にお祈りしたらしい。そしたら霊夢があり、目覚めると積もった雪の上にキツネの足跡があった。それを目印に城の縄張りを決めたらしい」
「そんな伝説が…。霊夢って…」
確かに看板にはそう書いてあったのだが、そんな適当に城を建ててもいいのだろうか…。
そんな疑問が浮かんだ鬨哉だった。
その次に現れたのは「萱野国老殉説碑」
萱野長修のために建てられた石碑。
長修は戊辰戦争で活躍した国家老である。
敗戦後は開城や藩主の助命感嘆に尽力。
その結果、戦争の罪は家老の田中土佐、神保内蔵助、萱野長修の三人が背負うことになった。
が、既に土佐と内蔵助は死亡していたため、長修のみが全ての罪を被り切腹した。
それから歩いていくと、工事中で近づけない場所があった。
石垣が崩れてしまったらしい。
「これ…。震災で…」
「うん…」
乙葉も晴美も、震災の揺れの強さを改めて突き付けられた。
因みにこの石垣の復元工事は2013年3月22日までの予定。
その横も工事中だったが、石垣が崩れたわけではなさそうだ。
「御三階復元のため整備中です」と書いてあった。
復元工事のようだった。
城下にある阿弥陀寺に移築された御三階が現存しているのだが、そこまでは三人は知らなかった。
次に行ったのは茶室「麟閣」。
城の縄張りの中にある茶室である。
これに入るには別料金が必要である。
鶴ヶ城天守入場券とセットの物があるので、それがオススメである。
「この麟閣は千利休の養子、少庵が作ったんだ。利休七哲の蒲生氏郷が、利休が切腹したときに少庵を匿ったんだ」
晴美の説明を聞きながら麟閣に入った。
まず現れたのは寄付。
イメージ的には屋根とベンチのあるバス停が近いかも知れない。
看板によると茶会前に客が待ち合わせや準備をする場所らしい。
寄付の次は腰掛待合。
ここは客が亭主の出迎えを待つ場所だと看板に書いてあった。
その次に茶室が現れる。
特徴的な躙口。
頭を下げないと中に入れない、低い位置にある入り口が躙口である。
茶室の中を覗くと少庵自信が削ったという赤松の石柱が見えた。
茶室を出た三人は城の端を歩いていた。
そこで現れたのは「荒城の月碑」。
「荒城の月って…。滝廉太郎の?」
乙葉が聞いた。
「ああそうか。あの曲は仙台青葉城と鶴ヶ城がモチーフだっけか!」
「そうなんですか?」
晴美が思い出したように言い、鬨哉が聞き返した。
「うん。青葉城ってあれだよ。仙台の伊達政宗像があるとこ」
「ああ!あれですか!よくテレビで見る!」
「そうそう」
そう話しながら歩いた。
先ほど見た20メートルの石垣の上へと来た。
そこには茶壺櫓という、貴重な茶壺を納めていた櫓跡があった。
「さっきの石垣の上ですね。あれ『忍者落し』っていう名前で呼ばれてるみたいです」
乙葉が石垣を覗いてすぐに止めた。
怖かったらしい。
おまけに急勾配である。
確かに忍者も落ちそうな石垣だった。
茶壺櫓の隣にも櫓跡があり、看板には「月見櫓」と書かれていた。
武器を納めていた櫓らしい。
場内で月見に最適な櫓だったことから、この名前が付いたとか。
これで場内は一回りしたので、入った時とは別の出口から城を出ることにした。
そこにもやはり門があった。
「太鼓門跡」と書いてあったその門跡は、大きな石で作られていた。
かつては櫓門だったらしい。
櫓には直径1.8メートルの大きな太鼓が備えられていて、藩主の登城や非常事態を知らせていたらしい。
太鼓門跡から城を出て、入った口を目指して歩いた。
因みに入った場所とは真逆の位置にあたる。
その途中…。
「若松城外郭・南町口遺跡(十八蔵橋)」と書かれた看板があった。
これも遺構なのだろうが、今ではただの枯れた草むらであり、なんだかよく分からない。
それが最後の遺構となり、3人は鶴ヶ城をあとにした。
「あ、ヤマト!写真撮った?」
「ん?結構撮ったよ。部誌くらいなら作れると思う」
「ありがとう」
「え…。うん。いいよ、これくらい」
乙葉に素直にお礼を言われ、何となく言葉に詰まった鬨哉だった。
帰りは来た時と同じ経路で帰宅。
その夜、晴美はメールを送った。
相手は大祝楓。
晴美の友人である。
内容は…。
「部誌作るの手伝って!乙葉もいるからさ!すみれも呼んで!」
部誌作りの手伝いを要請した。
すみれとは吉川すみれのこと。
やはり晴美の友人である。
返事はすぐに来た。
「わかった。けど、やったことないよ?」
「大丈夫!」
そして月曜日。
この日は祝日で学校は休み。
喫茶店で待ち合わせることになった。
鬨哉は生徒会関連で出席できず。
そんなわけで4人でやることになった。
晴美が付いた時には、既に楓が席に座っていた。
「悪いね、わざわざ」
「いや、全然。部誌だよね?」
「そうそう」
楓に声をかけるなり、晴美はカバンから資料を取り出した。
主に城や資料館でもらったパンフレットなどである。
それと鬨哉が撮った写真。
「まぁ部誌っていうよりもチラシかな。A4の紙に新聞っぽく仕上げる感じで」
「ん。それならまずは枠組みからやっちゃおうか」
そう話してるとき、乙葉とすみれが一緒に来た。
「そこで会った」
「会いました!」
これで全員そろった。
「あれ、もう始めちゃってます?」
テーブルの上に置いてあった髪にはすでに枠組みが書かれていた。
それを見て乙葉がそう言った。
「いやいや、まだ枠書いただけ」
晴美が手を顔の前で横に振って否定した。
「んで、なんで今日私呼ばれた?鬨哉に全部仕事任せちゃったわよ~」
そう言ってすみれが笑う。
鬨哉もたまったものではない。
「いや~、部誌って書いたことなくてさ~。生徒会ならあるでしょ?」
晴美が聞いた。
「ん?無いよ?募集かけなくても勝手に入ってくるし」
「うう~。生徒会め~」
晴美がそう言いながらテーブルに突っ伏した。
「まぁまぁ。さっさと書いちゃいましょう!何書くの?」
楓が仕切る雰囲気になった。
「やっぱり鶴ヶ城の詳細ですか?こんな詳しく調べます!的な感じで…」
「でもそれだと調べれば済むことだよね」
乙葉の意見にやんわりと否定を入れる楓。
「そうですけど…。何書けばいいんでしょう?」
「ん~…。そうだねぇ…」
否定はしたものの楓も悩む。
「今までの活動内容とかは?ほら、いろいろ城にも行ったし!」
「それでもいいとは思うんだけど、土日に出かけるのはともかく日常がちょっと地味だよね~」
刺さる言葉を発したすみれ。
「悔しいけど否定できない…」
「できませんね…」
部員二人は苦笑していた。
「私は歴史についてはわかんないけど、前に歴研行ったじゃない?あれ楽しかったわよ」
楓が言った。
「ああ、私も楽しかったな。で、それが部誌と関係が?」
すみれが楓にきいた。
「だから、楽しさをアピールすればいいんじゃない?歴史に興味なくても楽しめる部活です!って!」
「それをアピールするのは難しいんじゃない?」
部員は口を挟まずに事が進んでいる。
「そこでこの写真なわけよ!なんでか知らないけど城とか建物よりもハルミンと乙葉ちゃんが写ってる写真の方が多いじゃない」
楓がそう言うので、改めて写真を見てみた。
確かに、大半の写真には二人が写っている。
天守を指差したり、看板を眺めていたりする二人。
楽しそうな一コマが写真に描写されている。
「この写真見て、楽しそうじゃないって答える人はかなりのひねくれ者よ。だからこれ使って、楽しい部活アピールをするの!別に歴史に興味無くても入っていいんでしょ?」
「うん。全然構わない!面白さは入ってから見つけるのでも遅くないと思うし」
「ハルミンもそう言ってるし。なら、旅行感覚で出かけられるっていうのも一つの売りになるじゃない!ここからは私の意見だけど、あえて歴史にこだわってる感を出さないようにしたいの」
「まぁ、部活名だけで活動内容は伝わると思いますしね」
乙葉が口を挟んだ。
「そうそう。だから敢えて観光名所としての城巡りをしてるってアピールするのよ!歴史マニアとしての城巡りってちょっと硬い気がするから」
「それもアリだな!」
「アリですね!」
部員二人が楓に同意。
「なるほどね。楓らしいわ」
そっとすみれが呟いた。
「そうと決まれば書く内容ね。あんまりマニアックにならずに、出掛けるのが楽しいと書こう。例えば、この城に咲く桜がきれいとか」
「なるほどね。観光雑誌みたいなイメージ?」
「そう!それよ!あとはバスガイドさんがしゃべる程度の豆知識書けば十分なんじゃないかしら。なるべく笑えるやつとか、有名な偉人の意外な一面とか」
「確かにそういうのだったら読んでもらいやすいかもですね!まず読まれなきゃ意味ないですし」
乙葉も賛成のようだ。
「本気でアピールするならトイレとかに貼ると、絶対立ち止まるから読まれやすいんだけど…。廊下に貼っても素通りされやすいから」
「生徒会規約によりトイレには貼れませ~ん。こういうの無視されるとあとあと生徒会がメンドイから止めて~」
すみれがなぜか挙手して発言した。
「トイレはだめか。仕方ない、普通にいこう」
こうして出来上がった部誌。
集まってから二時間半のことだった。
アピール内容は部員の仲が良いこと。
活動が楽しいこと。
城に行ったりすること。
歴史に興味が無くてもいいこと。
そして豆知識。
伊達政宗の趣味は料理。
福島正則の弱点は妻。
そして、大河ドラマゆかりの地巡りなるミニコーナー。
「歴史」といものの堅苦しさを全て取っ払った部誌となった。
「完成!これで新入生入らなかったらどうしよう」
楓が笑いながら言った。
「そん時は運が悪かったと思うと同時に楓が入部すれば解決だよ!」
晴美も笑いながら言った。
「ああそうか。え…?私忙しいのよ?」
「はいはい。まぁ、頑張って新入部員捕まえるよ」
「生徒会規約により無理やりの拉致は禁止で~す」
すみれが言うが、これは冗談であろう。
というのも、拉致されてく一年生を見るのは珍しくないからである。
「先輩たち、ありがとうございました!」
「いやいや、なんもしてないって!」
「あんたホントになんもしてないわね…」
楓が呆れながらすみれを見た。
「んじゃこれのコピー頼んだ」
そう言って晴美がすみれに部誌を渡した。
コピーは生徒会のお仕事である。
「はいよ。了解した。んじゃ私はそろそろ。鬨哉の助太刀に行ってやらんとあやつが化けて出そうだからね~」
そう言ってすみれが席を立った。
なら任せてくるなよという意見は誰も言わなかった。
「じゃ、私たちも解散と行きますか」
「そうだね」
「そうですね」
晴美が解散をかけて終了となった。
四月が楽しみな4人であった。
その頃鬨哉は…。
「あ~…。こんなに一人で印刷しろと…?」
部誌のコピーに追われることとなっていた。
半分はすみれの持ち分なのだが…。
まずはお詫びから。
私が行ったの夏です。
雪降ってません。
そしてですね、私が行ったの車です。
いろいろ調べた結果、冬は飯盛山までのバス出てないらしいです。
思いっきりウソ書いてます。
因みに私は一泊二日で行き、日光も寄ったんですが、今回はカットでお願いします。
そしてなぜ乙葉の和服に挿絵が無いかですよね。
きっとげどーさんがそのうち…。
(2013年4月3日に和服挿絵入れました)
因みに部誌製作シーンはげどーさんが楓の挿絵を描いたがために無理やり付け足した部分です。
おかげで1万文字超えましたとも。
行った場所に関しては私の技量不足で建物の外観とかがうまく伝わって無いかも…。
どうしても知りたければ検索してください…。
(そんな投げやりな…)
今回は使った資料まで載せます。
行けばもらえる奴ですけど…。
これは飯盛山のふもとにある資料館です。
白虎隊記念館入るともらえます。
さざえ堂資料。
これも入るともらえる栞です。
こんな建物なんですよ、さざえ堂。
去年の入場時にもらえたパンフレットです。
八重の桜宣伝してますね。
これは中に入るとおいてあるやつだったかと…。
記憶が曖昧です。
これは上のやつの裏です。
なかなか便利でした。
そう言えば、鶴ヶ城の石垣の工事、明日終了予定ですね。
(これの投稿日が2013年3月21日です)
いつもこういうのと写真を見ながら書いてるんです。
言わば生命線です。
おそらく次もそうなるであろうことが予想されます。
因みに途中にげどーさんの「かえるポスト」の画像が入りましたが、あれは私がどう説明していいか分からなかったからです。
手にしてるのは「しゃらん」です。
CMが可愛かったので某雑誌にあやかりました(笑)
かえるポストは大宮駅お馴染みのポストです。
そして乙葉が立ってる挿絵。
あれの場所は「小宮駅」です。
大宮に対して小宮という…。
偶然ですけど。