二百十七番槍 秋田美人
テスト勉強に飽きました。
飽きてる場合ではないことは火が熱いのと同じくらいわかっております。
でも飽きました。
飽きた…。
あきた…。
秋田!
で、今回の逸話です。
…逸話なのかな?
「とーちん。俺、三成が生き甲斐みたいなもんだからさ、西軍に着きたい!」
「ダーメ!時代は徳川家康に流れている。徳川に味方しなさい!」
常陸の国に本拠地を置く佐竹義宣は、父である義重に相談事を持ちかけていた。
関ヶ原の戦いでどっちに着くか。
大切な相談だった。
義宣としては三成に恩がある。
土地を取り上げられかけたところを救ってくれた。
三成が狙われた時、密かに匿ったりもした。
だから、仲のいい三成につきたかった。
しかし、父はそれを良しとしない。
そんなこんなで家中は二つに割れ、結局「不参加」という立場で戦は終了した。
当然、味方しなかったことを家康から言及された。
「お前、味方しなかった罰な。常陸の領土をボッシュート!秋田に行け!」
義宣は秋田に飛ばされることとなった。
しかし…。
「くっそー…。ここを離れたくない。せっかく美人が多い常陸を離れてたまるか!いや待てよ…」
美人の女性と離れたくない一心で考えた義宣。
そして出した結論。
「一緒に行けばいいじゃない!」
そんなわけで、義宣は美人ばかりを共に秋田へと連れて行った。
義宣が常陸からいなくなると、今まで採れていた良質の金が軒並み石灰石に変わるという事件が起きた。
さらに、常陸でよく採れたハタハタまでもが姿を消し、秋田で取れるようになったらしい。
因みに、常陸の国からは美人が消えてしまったそうな。
これが、今に続く秋田美人のルーツであるとか、いないとか…。
数ある秋田美人発祥説の中の一つです。
最初に聞いたときは驚きました。
戦国鍋TVに感謝…。
個人的には秋田美人は気候とか地形だと思ってんですがね。
小野小町だって秋田ですし。
佐竹とは時代が違うし…。
というか、義宣は一体何人美人を連れて行ったんでしょうか…。