百九十九番槍 戦友の死にライバルは…
いよいよ次回、挿絵を大公開します!
何やら五円玉さんが四コマ描いてくださっているようです。
楽しみです!
1573年4月11日午後1時。
病のために床に伏していた武田信玄の病状が急激に悪化した。
突然脈拍が早くなったのだ。
「今夜が山です」
信玄の主治医はそう語る。
この時信玄53歳。
戦国の世では寿命をまっとうした年齢である。
山と言われた夜をこえた信玄ではあったが、翌日はさらに弱っていた。
12日の午後9時。
多数の口内炎が出現。
脈は次第に薄れてゆく。
さらに歯も6本抜けた。
いよいよ自分の死期を悟った信玄は、家臣を寝床に呼び寄せた。
そして、自分の死後のことを淡々と指示した。
「わしが病であることはもはや知れ渡っているであろう。でも生きてるなら攻められないはず。だから、わしの名前入りの紙を800枚くらい作っといたから、他国との手紙のやり取りはそれを使え。そして3年間はわしの死を隠すのだ。葬儀もしなくていい。3年後の今日、甲冑を着せて諏訪湖に沈めてくれ…」
さらに己の人生を振り返りながら語る信玄。
「天下取りの途中で死ぬのは誠に残念だ…。運が良い信長と家康と戦って、寿命が縮んだな。わしには付きの星がなかった。その証拠がこの病だよ」
そう言いながら心の無い笑顔を浮かべた。
そして、嫡男の勝頼に最後となる指示を出す。
「わしが死んだら、謙信を頼れ。あやつ以外に信長の上に立てる武将はいない。あやつは男らしい猛将であり、義に厚い。川中島で何度もやりあったから分かる。あやつは頼まれた約束を裏切るような奴じゃない。謙信に世話になるのが、武田家存続の第一歩よ…。それから、弟の信廉を影武者にしたてて甲府城に入城せよ。家康が攻めてきたら甲斐に入れてから討て…」
思い残すことの無いようにすべての支持を出したあと、信玄は静かに息を引き取った。
上杉謙信が武田信玄死去の報告を受けたのは、信玄の死から約2週間後のことだった。
3年死を隠すなど夢のまた夢…である。
その時信玄は食卓で湯漬けを食べていた。
「謙信様!大ニュースです!」
「なんだ!食事時に騒がしい」
走りこんできた家臣に注意する。
家臣はそのまま要件を伝えた。
「武田信玄が死亡しました」
「なん…だと…?」
その訃報に謙信は口に運んだ湯漬けを吐き出した。
持っていた箸も投げ捨てて、泣いた。
「残念でならない…。名将を殺したな…。英雄人傑とは、まさに信玄のことだった。関東一の武士がなくなったことが惜しくて仕方ない…」
そして謙信は城下に命令を下した。
「今日から3日間、音楽の演奏を禁ずる」
これが信玄の訃報を聞いた謙信の対応だった。
「今がチャンスですよ!武田を攻めれば簡単に領土が取れます!川中島の鬱憤を晴らす時です!」
そういう家臣もいたが…。
「勝頼なんざを攻めても仕方がないだろう。そんな卑怯なことはしたくない!」
そういって、勝頼を攻めることはなかった。
信玄の遺言とか、その辺の逸話でした。
信玄の死因ってガンでしたっけ?
確かガンだったような…。
因みに今回の話は出展が甲陽軍鑑なんでまぁ…。
信憑性云々は気にしないでください。




