十四の太刀 本能寺の変 間接的被害者
炎王デッキ(プロキシ)に六武で勝ったぜー!
などと分かる人には分かるネタを言ってみました。
遊戯王のお話です。
増G撃たれなければ案外戦えます。
さて、今回もリクエストにお答えして河尻秀隆のお話を。
しかしあれですね。
逸話なんて無いんですね。
そんなわけで、趣向を変えてみました。
今回は主役が秀隆ですよ!
ざっざっと草木が擦れる音がする。
はぁはぁと肩で息をするように乱れる呼吸。
薄暗い森の中をただ走る。
…甲斐の国を治める河尻秀隆はひたすら逃げていた。
ことの発端は甲斐から遠い都だった。
6月2日未明。
時の権力者、織田信長が京の本能寺にて家臣の明智光秀によって暗殺された。
これにより各地で混乱が起きた。
それは武田家領だった甲斐も例外に漏れず。
今こそ領主の敵を討つとき…!
主君不在の混乱を狙い領主を追い出そう…!
農民や旧武田家家臣たちの間では、俄かにそんな考えが領内にはびこった。
その風潮には気付いていた秀隆だったが、敢えて甲斐に留まることにした。
同僚の森長可や毛利長秀は既に一揆勢が蜂起し、自領を捨てて美濃へと逃げたと聞いた。
それでも甲斐に留まり続ける。
ついには徳川家康が家臣の本多信俊を派遣することとなった。
「武田の旧家臣が何やら一揆を企てているらしい。安全な美濃へお逃げ下され」
信俊からそう聞いた秀隆。
「うるさい!調子こいてんじゃねー!俺は留まるんだよ!」
逆上して信俊を殺害した。
これで秀隆の命運も尽きた。
ついに甲斐でも一揆が起きたのだ。
主君無しの秀隆は援軍の見込みもない。
一揆勢はことのほか強い。
秀隆だけで手におえる物ではなかった。
ここに来て初めて危機に気付く。
甲斐を脱出しなければ命が危ない。
そう思い、ひたすら逃げ惑っているのだ。
とにかく甲斐を出る。
そう思った矢先の出来事だった。
そこは、かつて武田信玄の密葬を行った…信玄の火葬場のすぐ近く。
「いたぞ!河尻秀隆だ!」
そう叫び声が挙がったのだ。
「それがし、三井弥一郎!武田家家臣なり!」
そう言うや否や、弥一郎は槍を構えた。
その瞬間、秀隆は運命を悟った。
甲斐脱出はならなかった。
現在、秀隆の首は武田信玄の火葬場近くに眠っている。
たまには真面目に…って訳でもないですが。
はっちゃけずに書いてみました。
「調子こいてんじゃねー!」だけはパロディネタですが。
まぁ道明寺さんでも殴ってくださいな。
さて、河尻秀隆の最期を書いたわけですが。
最後の部分の首塚。
じつはハッキリ首塚だって確定してないんです。
屋敷跡説もありまして…。
ちっちゃい石碑が立ってます。
詳しくは武田家ゆかりの地巡りでも読んで下されば分かる…かな?
逸話見つけられなくてごめんなさい。
他に私が知ってる秀隆情報は…。
信長の弟を直接殺処分した張本人。
肖像画の人相が悪い。
くらいです…。
次は片手千人斬りについてでも書きましょうかね。