九十四番槍 大武辺者!
サブタイトルだけで「あいつだ!」と気付く方もいらっしゃるかと思います。
…前田慶次です!
1600年関ヶ原の戦い。
これに伴い起きたのが、東軍の最上義光と西軍の上杉景勝で争われた長谷堂城の戦いである。
これに、前田慶次は上杉方として参戦した。
背中には、「大ふへん者」と書かれた旗を背負っていた。
すると、それを見た上杉軍の兵達は怒りだした。
「お前、最近上杉家来たばっかりだろ!新参者のくせに大武辺者とは生意気だぞ!」
大武辺者とは、特に優れた武士を指す言葉である。
それを兵士たちは気に食わないとクレームをつけたのだ。
すると慶次は待ってましたと言わんばかりの嬉しそうな顔をして、兵士たちに言ってやった。
「あ~全く…。どこで濁点を付けるのか分からないとは…。これだから田舎もんは…。これは、俺は貧乏だとアピールするために『大不便者』と書いたんだよ!」
兵士たちは返す言葉を見つけられなかった。
それからすぐに、戦は始まった。
「慶次さんも一緒に戦ってくれますよね!…って…えぇ~…」
兵の一人が慶次に協力を求めたのだが…。
「あ~あ…。こんなヌルい戦…。つまんねーなぁ。眠くなっちまうよ」
そう言って敷いてあった虎の毛皮の上に寝転がったのだった。
どうでもいいですが、最上義光は義明ではなく義光です。
間違えやすいのでご注意を!
当時は「言文一致」していなかったので、慶次のような言い訳ができたのかと思います。
言文一致とは、話す言葉と書く言葉が同じという意味です。
今でこそ、「私は小説を読みます」を文章にするとき「私は小説を読みます」と書きます。
しかし、昔は「私は小説を読みます」と書きたいときには、「我、小説を読みたる」のように(例えは適当)書いたんです。
「我、小説を読みたる」と書いて「私は小説を読みます」と読むんです。
あ~ややこしい…。
要するに、書いてあるようには読まなかったってことです。
因みに、言文一致したのは明治の終わりだったような…。
最近の話なんです。
大武辺者と大不便者…。
慶次もなかなか考えましたね!
戦の最中に虎の毛皮に寝転がったのも史実。
「ぬるい戦で眠くなる」とか言ったらしいです。
慶次はやっぱり慶次です!