魔法少女戦士メグ・リカ 最後の戦い
小坂部町上空。見下ろせば夜の帳が下りた街が広がっている。寒風吹きすさぶその場所に二人の魔法少女戦士がいた。
「もう逃げられないよ、ナイトメア!」
赤を基調とした戦闘服に身を包んだ魔法少女戦士――メグは力強く叫ぶと目の前の敵を睨みつけた。
「今日こそ決着をつけます!」
その隣にいる青い戦闘服の魔法少女戦士――リカも夜風に黒髪をなびかせながら、小さな拳を握りしめる。
怪人ナイトメアは漆黒のマントをひるがえし、二人を嘲笑った。
「フッ……メグ・リカよ……。お前達は最後の最後まで私の邪魔をするのだな。だが、もうお前達の出る幕はない」
ナイトメアはおもむろに右手をあげる。するとそこにまがまがしい紫色の光がともった。
「ついに完成するのだ……黒夢水晶が」
紫色の光は次第に大きくなり、半径一メートルほどの球になった。怪しげにゆらめきながら光る黒夢水晶に、メグは思わず歯ぎしりをした。
「それは……!」
二人を見下しながら、ナイトメアは嘲笑う。
「小坂部町の人間どもの悪夢から作った私の最高傑作! このエネルギーを使えば日本はおろか世界管理機構すら敵ではないだろう!」
「そうはさせません!」
「ならばかかってこい! 今となっては貴様らなど敵ではない……今日まで私の邪魔をし続けた罰、存分に受けるがいい!」
ナイトメアが叫ぶと、黒夢水晶から黒い槍がいくつも飛び出した。槍は二人の魔法少女戦士を貫こうとする。二人はそれを難無く避けた。
ナイトメアはそれを見て、意地の悪い笑みを浮かべた。
「……本当に避けていいのか?」
「えっ……!」
振り返ると槍の一つが進むその先にあったのは、見慣れたクラスメイトの顔。
「優ちゃん!」
リカは反射的に動いていた。黒い槍の前に回り込むと、優をかばうようにそれを受け止める。槍はリカの体を貫かなかった。だがあろうことか、リカの胸で輝くエターナル・アイを砕く。
魔力の源を失ったリカは宙を浮くことが出来ない。真っ逆さまに雑木林に落ちていった。
ナイトメアは地に堕ちた魔法少女戦士の姿を見て嗤った。
「まずはお前から始末してやる……」
リカは逃げようにも、逃げられない。落下の衝撃で足に怪我をしてしまったのだ。
ナイトメアは再び黒夢水晶から槍を作り出す。
「これで終わりだ――」
その時、ナイトメアの目に信じられない光景が飛び込んできた。
「なぜだ……」
彼の目に飛び込んできたのは、両手を広げリカを庇うメグの姿。
「なぜ逃げない……見捨てて逃げれば自分は助かることが出来るであろう?」
「友達だから」
メグは迷うことなく、まっすぐな瞳で叫んだ。
「リカは大事な友達……見捨てるなんて絶対出来ないよ!」
その時、二人の体を明るい光が包み込んだ――
☆
そこで、伊藤恵美の意識は覚醒した。聞こえるのはいつもと同じアラーム音。目覚まし時計の針は、ちょうど起床時間を指していた。
――六年前の夢を見るなんていつぶりだろう。
悪夢を糧に世界の支配を企む怪人。かつて自分はそれと、魔法少女戦士・メグとして戦った。しかしそれは今となってはもう昔の話。怪人ナイトメアとの決戦の後、恵美は普通の少女に戻った。現在の彼女は魔法の力を持たない普通の女子高生だ。
「……くだらない」
当時のことを思い出し、恵美は呟く。
何が魔法少女戦士だ、怪人ナイトメアだ。今時子供向けアニメでも、もう少しまともな内容だろう。今ではそんなふうに思う。
過去を思い出して投げやりな気持ちになるのは、輝かしい過去と凡庸な現在の間にあるギャップのせいか。それは恵美自身には分からない。
「そういえば私、どうしてあんなに必死に戦ってたんだろう……?」
彼女達に魔法の力を与えた『世界管理機構』は恵美たちの願いを何でも叶えるという約束で、二人に未来を託した。だが肝心の願いの内容が思い出せない。
――思い出せないってことはたいしたことじゃなかったんだろうな。
そう思い、恵美は考えるのをやめにした。目を擦りながら重い体を起こし――そして彼女に気がついた。
「おはようございます、メグ!」
明るい声でそう言ったのは、青いワンピースのような戦闘服の少女。
かつて共に戦った友人は、今さっき夢の中で見た、六年前と変わらない姿でそこにいた。
恵美は再び目を擦り彼女を見る。混乱で呂律の回らない口からは、当然の疑問が出る。
「り、リカ……? え、でも、どうしてここに?」
「わたしは六年前から来ました」
「えっ! ……何のために?」
「メグに会いに!」
リカの瞳はきらきらと輝いている。思わず目を背けてしまいたくなるくらいに。
――なんでよりによってこいつが……!
過去にいろんなことを体験したせいか、恵美は突然の出来事への適応も早い。すでに驚きは苛立ちになっていた。リカはそれに気がついたらしい。
「あれ? どうかしましたか、メグ。わたしに会えて嬉しくないですか?」
なんと答えるべきか迷っていると。
「めぐみー、どうしたのー?」
一階から母親の声が聞こえた。慌てて時計を見る。いつもなら朝ごはんを食べている時間だ。
「なんでもない!」
一階に向かってそう叫ぶと、リカのほうを睨みつける。
「なんでもいいけど、今のわたしは魔法や怪人とは全然関係ない、普通の高校生なの! あんまり関わらないでよね」
――そう、今のわたしは平凡な高校生なんだ。
夢と希望のために戦う魔法少女戦士なんかじゃない。
心の中で言い聞かせ、身支度に取り掛かった。
☆
いつもは余裕をもって登校している恵美だが、今日は始業五分前に教室に足を踏み入れた。すでに教室内には人が多くいる。級友たちは授業が始まるまでの僅かな時間を使って雑談を交わしたり、宿題をしたりしていた。
恵美の席は窓際の後ろから二番目。恵美は席に着くときに、後ろの席をちらりと見た。そこにはまだ誰も座っていない。
「わー! ここが高校! わたし、初めて来ました!」
いきなり無邪気な声がした。左を見るといつのまにか窓の外にはリカ。顔を教室の中に突っ込みながら物珍しそうにあちらこちらをきょろきょろと見ている。
「なにしてるの! 関わらないで、って言ったじゃない! そもそもみんなにバレたら……」
「大丈夫です! 魔法少女戦士に変身してる時は、一般の人たちには姿が見えないし声も聞こえない……メグも知ってますよね?」
確かに知ってはいる。恵美自身、魔法少女戦士だったのだから。しかし。
――そうだとしてもあたしの心が休まらないの!
下手に声を出すと周りから変人扱いされてしまうので、恵美は心の中で叫んだ。
「ところでメグ、わたしは? 同じ学校ですか?」
恵美は周りの隣の席の男子生徒が昨日のバラエティ番組の話で盛り上がっているのと、前の女子生徒がイヤホンで音楽を聞いているのを確認してから、小声で返した。
「……そうだけど」
リカは声のトーンを上げた。
「もしかして同じクラス?」
「……まぁ」
「もしかしてもしかして、この後ろの席?」
「……そうよ。分かったらどっかに行って」
恵美の言葉にリカは頬を膨らませる。
「なんでそんなにわたしのこと邪魔者扱いするんですか!」
「それは……」
恵美が返事に困っていると、タイミングよくチャイムが鳴り、教師が入ってきた。生徒達は皆、席に着き始める。恵美も一時間目の科目が数学だったのを思い出し、慌てて準備をする。だが、恵美の後ろは相変わらず空席だった。
「授業始めるぞー。今日の欠席は……」
数学教師は一瞬恵美の後ろの席を見ただけで、何も言わずに授業を始めた。
☆
午前九時。高校生なら学校に行かなくてはいけない時間だ。だが、田辺梨香子は自室で独り、コンピューターのディスプレイをぼんやりと眺めながら考えていた。
――いつからだろう。人と接するのが怖くなったのは。
昔は友達と呼べる者もたくさんいた。唯一無二の親友も。しかしある時を境に友達だと思っていた者たちから避けられるようになった。そうやって周りから孤立していき、中学生の頃は友達と呼べるような者はほとんどいなかった。
高校に通いだしても友達が出来ず、ついに不登校になったのが半年前。それからしばらく経つと、申し訳なさと幻滅されているに違いないという思いから、親と話すのも嫌になった。さらに一ヶ月ほど経ち、コンビニの店員とすら目を合わせるのが怖くなっている自分に気付き――自分が完全に典型的な『ひきこもりの不登校児』になっていることをやっと自覚した。だが自覚したところで変われるはずもなく、それからもネット以外では人と会話しない生活をしていた。
だが、今日ばかりは別だった。
「ねー、学校行こうよー」
学校。母親でさえ長い間口にしていない言葉だ。それをやすやすと言って梨香子の背中に飛びついたのは、コスプレのような赤い衣装の小学生。かつての友人、伊藤恵美だ。
「い、嫌です」
相手が六年前の姿だからか、久しぶりの他人との会話は思いのほか普通に出来た。だが、背中に感じた人間が触れる感覚に身をすくませたのも事実だ。長時間使用し続けたコンピューターが帯びた熱以外の温もりなど、長らく忘れていた。
「えー、なんでー!」
メグは梨香子にくっついたまま口を尖らせる。
「メグには関係ないでしょ。早く六年前に帰りなさい!」
「リカが学校に行ったら、あたしも帰る!」
すごく簡単な、だが梨香子にとってはすごく難しい条件だ。メグは梨香子の心中も知らずにニコニコ笑っている。梨香子は顔をしかめた。
六年前、メグとリカは怪人ナイトメアと戦い、そして打ち勝った。
だが、現実での悪夢との戦いは終わってはいないようだった。
☆
翌日も相変わらず、リカは恵美に付きまとった。
徒歩で登校する途中も、彼女はついて来る。魔法で周りの人間には気がつかれないとは言え、落ち着くものではない。いつも通り住宅地の中を歩いていても、人が前から歩いてくるたびにヒヤリとする。
「というかアンタ、いつまであたしに付きまとうつもり?」
こちらの気持ちを知ってか知らずか、リカはすまし顔で答える。
「メグがわたしと仲直りしたらちゃんと六年前に帰ります」
「そんなこと言っても向こうは学校すらこないし……もう半年は来てないんだから」
「来ます! 絶対!」
リカの口調は何故かしっかりしたものだった。
「なんでそんなの確信できるの」
「なんていっても、自分のことですから」
いくら自分でも六年あれば変わる、と言おうかと思ったがやめた。それよりもリカを追い払う良い方法を思いついたのだ。
「じゃあ、もし今日梨香子が学校来なかったら、無条件で帰ってよ」
「分かりました! でも、もし学校にわたしが来てたら、ちゃんと仲直りしてくださいね! 約束ですよ!」
リカがあっさり承諾したので、恵美は安心する。
梨香子は今まで半年ぐらい学校に来ていないのだ。今日に限って登校することないだろう。恵美はそう思って、教室のドアを開けた。
だが、恵美の予想は外れた。
恵美の後ろの席、いつもは空いているそこに田辺梨香子は座っていた。一瞬恵美は自分の目を疑った。しかし、見間違いなどではない。彼女は六年前のリカに比べると随分青白い顔をしていたが、かつての親友の顔を見間違うはずはない。
――なんで今日に限って?
リカの自信満々な口調が思い出される。もしかしたら、彼女が何か根回ししたのかもしれない。どうするべきかと迷いながらも、自分の席のほうに歩みを進めた。
梨香子はクラスメイトと会話するどころか、顔も上げずにひたすら机の木目とにらめっこしていた。ぴくりとも動かないので『おはよう』と声をかけようとした口も、思わず閉じてしまう。
――仲直りってどうしたらいいのよ。
普通の久しぶりに学校に来た友達だったなら、いくらでも話しかける言葉は思いつく。でも梨香子は。
――今更、そんなこと――
そんな時、クラスメイトの声が耳に入ってきた。
「田辺さんが学校来るなんてめずらしー」
少しだけ首をひねって後ろを見ると、クラスの中でも派手な女子グループの生徒たちが梨香子の机に群がっていた。
「明日は嵐でもくるんじゃない?」
「ていうかわたし、田辺さんの顔今日初めて見たし」
「今更なに? 何のために学校来たの」
たいした悪意のない、だがそれ故にたちの悪い無責任な嘲笑。冷笑。嗤笑。まともに会話することも難しい梨香子には、下を向いて体を小刻みに震わせることしか出来ない。
梨香子の目が一瞬こちらを向いた気がした。
まるで、『助けて』というように。
――その光景で、恵美の中で眠っていた記憶が蘇る。自分がまだ小学生だった頃の、古い記憶が。
「梨香子ちゃんって、なんか暗いよね」
友人の何気ない一言。
「そうだよね。この前、足に怪我してから一緒に遊ばなくなったし」
「なんで怪我したのって聞いても答えてくれないしね」
他の友人達も同調していく。
「ねぇ、恵美ちゃんも、そう思うよね」
その場にいた者たちの視線を自分に向けられ、一瞬なんと言ったら良いのか分からなくなった。
「そう……だよね」
気がついたらそんな言葉が出ていた。
――今のわたしは、夢と希望のために戦う魔法少女戦士なんかじゃない。
それが言い訳であることくらい、恵美にも分かっている。
「なんでそんなにわたしのこと邪魔者扱いするんですか!」
考えるまでもない。あの時恵美は梨香子を助けなかった。裏切った。それは彼女の胸の内でずっと引っかかっていた。だから六年前の梨香子に合わせる顔なんてない。ないけれど。
思い浮かぶのはリカの純真無垢な笑顔。
「でももし学校にわたしが来てたら、ちゃんと仲直りしてくださいね!」
――それが、あなたの願いなの?
「や、やめて……」
必死で搾り出した声は、今にも消えそうなぐらいに掠れていた。
いつもクラスメイト相手に話をしているときはもっと自然に話が出来るのに、今は握り締めた拳から汗が滲み出ている。梨香子を笑っていた者たちだけでなく、周りにいた生徒全員の視線がいっせいに向けられていた。逃げたい。ごまかして逃げてしまいたい。しかし、それをすればもう一生梨香子の正面から顔を見られないと思った。
これが梨香子と向き合う最後のチャンス。今ならリカが現れた理由がよく分かった。だから逃げない。臆病な自分を奮い立たせ、また口を開ける。
「リ……田辺さん、からかうのやめよう……? そのさ、田辺さんも学校来るの勇気がいったんだと思うし、せっかくだし、さ……」
「恵美ちゃん、なんで田辺さんの肩持つの」
一番最初に梨香子をからかった女子生徒は冷ややかな声で言った。
――なんで、梨香子を助けるのか?
リカが仲直りしろと言ったからか?
――違う。
「友達だから」
恵美の中での答えは、もう揺らぎ無い。だからもう言葉を迷わない。あの日と同じまっすぐな瞳で叫ぶ。
現実という悪夢を打ち倒すために。
「リカは大事な友達……見捨てるなんて絶対出来ない」
「約束、守ってくれてありがとう」
声がしたほう、窓の外を見ると、そこにいたのは二人の魔法少女戦士。互いに手を取り微笑み合うと、体を浮かせる。そのまま、空高く舞い上がった。
「待って……!」
思わず席を立った梨香子は、教室を飛び出した。メグとリカが見えない周りの生徒は、おかしなものを見るような目で彼女を見ている。しかし恵美はそんな目は気にせず、梨香子を追った。
二人は階段を駆け上り、屋上までやってきた。空を見上げれば、メグとリカが笑っていた。
「ありがとう。二人とも!」
「もう少しゆっくりしたいけど……無理みたいです。過去に帰らなくちゃ」
メグとリカの頭上に大きな光の輪が出現した。過去に戻るためのゲートなのだろう。『待って』と言いたかったが、恵美も梨香子も全力で走ったせいで息が切れていた。上手くしゃべれない。
「これからも二人、仲良くしてね!」
「絶対……絶対ですからね!」
そういい残し、二人はゲートの中へと消えていった。
最後にはゲートも消え、何もない青空が残った。
少し経ち、息を整えた梨香子は口を開いた。
「メグ、わたし……ずっとあの時のお願い忘れてたんだけど……今思いだしました」
梨香子はすがすがしそうに彼女たちが消えた空を見ていた。ちょうど恵美も同じ気持ちで同じことを思っていた。
「うん、あたしもだよ、リカ。……やっと思いだした」
どちらからともなく、二人は手を堅く結んだ。
☆
ナイトメアとの戦いが終わり、ついに二人の願いが叶えられる時がきた。
「本当にそれでいいんだな」
世界管理機構からの特派員は、二人の願いを確かめる。
「だがそれは未来に干渉する願いだ。いかに世界管理機構であっても個人の未来には関われない。だから、君たち自身で君達の未来を変える……それでいいかい?」
「もちろん!」
「お願いを叶えるためなら、それくらい簡単なことです!」
メグとリカの答えに、特派員は右手を掲げる。するとそこにまばゆい光の玉が発生する。奇跡を起こす魔法の光だ。光と共に発した温かい風が二人を包む。やがて光は大きなゲートになった。
「さあ、最後にもう一度願いを!」
メグとリカは顔を見合わせ頷き合うと、声を揃えて言った。
「私達二人がずっと仲良しでいられますように」
魔法少女戦士の物語は終わらない。
たとえ、怪人を倒し世界を救おうとも、彼女たちが成長しようとも、ずっと、ずっと――