第9話
連投です。
少しずつですが、物語が動き始めます。
本格的に稼動するのは後4話か5話後です。
秋山が身支度を済ませドアを開けると、そのすぐ横で仙波が壁にもたれていた。
「お待たせ」
秋山が言うと、仙波は返事代わりに軽く手を挙げた。
「ずいぶん早かったね。起きたばかりじゃないの?」
松苗が訊く。
「今さっき起きたばかりだ」
「ちょっと、ちゃんと顔洗った?」
「洗ったよ、失礼な。俺は身支度が早いので有名なんだ」
そんな会話をしながら、エレベータに向かって歩く。
染み一つ無い壁と天井。無機質なコンクリートの風景は、一切の無駄な装飾を排除するという形でその切れ味を高めている。冷えた印象が強いのは、僅かに入った青色のせいかも知れない。
「どんなに高い技術を持っていても、システム障害とかってあるんですねえ・・・」
秋山が隣を歩く仙波に向かって言った。
「完全にエラーを無くしてしまうことはできない」
「そうですか?。直しつづければ、いずれ無くなるでしょう?」
松苗が言った。
「それはそう見えるだけなんだよ。うん。錯覚といえばいいのかな。そのとき正常に見えるのは特定の条件下にあることが前提であって、別の条件下ではエラーかもしれない。………生物の進化もそうだね」
仙波は、そう言いながらポケットから煙草を取り出して口に咥えた。まだ火は点けていない。
何か考えようとする時と、いつもより余計に口を開こうとする時の彼の癖だ。この後、一通りの結論が導き出せた後、火をつけて一服する。それが彼の至福のときだ。
「廊下は禁煙だよ」
松苗が指摘する。
「知っている。ただのポーズだよ」
仙波は煙草を咥えたまま続けた。
「必要なものを持っていないくても、不要なものが存在してもエラー。海の中では正常に生きていける魚も、陸上では生きることはできない。これは、条件次第で発生するエラーの類だね」確認をするように一旦言葉を切った。「人間は道具さえ準備すれば、いろいろなところで生命を維持することができる。宇宙空間だってね。まあ、無制限ではないけど………。その不完全さも一種のエラーってことになるかな」
「でも、できないことはしないようにする、っていうのも修正の方法の一つですね」
秋山が言う。
「そうだね。だけど、人間は数多く存在する生命の中で唯一、発生しうるエラーを自らの意思で排除していくことができる生命体だ。本来、生活圏ではないところに進出できるように努力する。これって長い進化の道程が作り上げたオート・リペア機能みたいなものじゃないかな」
「修正が続けば、いずれ完璧な人間が誕生する?」
松苗が言う。
完全にエラーを排除することはできない、という言葉にパラドックスが生じてしまう。
「どうだろう。人間の持つこの機能は、莫大なエネルギーを消費してしまう。鳥が翼を獲得するまでにかかった時間に比べると、人間が空を飛びたいと考えてから実現するまでの時間は一瞬のようなものだ。その短縮した時間と引き換えに、空を飛ぶためにはハードウェアと燃料を必要とする。まあ、その辺の問題も徐々に縮小していくことは可能かもしれないけどね」
「いつかリペアし終わるとしたら、その次はどうなるんでしょう」
秋山が言った。
いつの間にかエレベータの前までたどり着いた。
「それは簡単だ。『次は何をしよう』、だよ」仙波は、そう言いながら昇り方向のボタンを押した。「終わりの基準はどこにもない。多分、その判断を下すことが出来る人間はいない」
「うーん。分からないよぉ」
松苗が頭を抱える。エレベータが到着したブザーの音が鳴った。
「よおし、頭を切り替えて、今日は三階に行ってみよう。うっしゃあ」
謎の掛け声とともに松苗が三階のボタンを押そうとしたとき、仙波がその腕を掴んで止めた。
「ちょっと、待って」
「うわっ、何ですか?。びっくりするじゃないですか」
仙波は、エレベータのボタンをじっと見た後、言った。
「地下五階のランプが消えている」
「え?」秋山が視線を向ける。「あれ、ホントだ」
確か地下五階はセキュリティフリーの場所だ。タワーに入ることが出来る人間ならば、プレートを持っていなくても行ける場所のはずである。
「押してみても反応無いなあ」
松苗がランプの消えたボタンを押している。エレベータは動作しない。
「こうしていても仕方がない。とりあえず、三階に行こうぜ」
そう言いつつ秋山がボタンを押した。
エレベータが動作する。
「システム障害の影響かな」
松苗が言う。
「たぶんな」
秋山が応える。
「エレベータに乗っているときに、止まっちゃったら嫌ね」
「おいおい、縁起でもないな。………早く着かないかなぁ」
秋山が扉を軽く叩く。扉が開いて三回目は空振りした。
「お店は営業しているみたいね」
松苗が呟いた。
しかし、活性は低いように思える。
「ここの蓄えってどのくらいあるんだろう。出入りが出来ないってことは、物資の補充もできないってことだからね」
仙波が言う。
「もしもの場合は入り口を壊しちゃえばいいんじゃないですか」
「そうそう。ドリルとかで穴を空けて」
秋山は前方に向かってスクリューを加えたパンチをする。
「過激だね。でも、内部からは無理じゃないかな。まず、そういった道具があるとは思えない。まあ、外からなら不可能ではないと思うけど、かなり大掛かりになるだろうね。入り口は恐らく鉄の塊みたいなものだし、進入しやすそうな窓も無い。海を渡って機材を運び込むのも大変だろうし。壊すにしても建物の強度を計算しなければいけないだろうから、結局、ある程度の時間は必要だろうね」
仙波が淡々と言う。
「早急なソフト的解決を希望します」
松苗が手を挙げる。
「とりあえず、ここに入ろうよ」秋山はラーメン屋を指して言った。「食えるときに食っとかないと」
店中に入るとスープだしの良い香りが漂ってきた。
「いい匂い。本格的だね」
松苗が真っ先に席に着く。メニューを確認しながら、それぞれが注文をする。
程なくしてラーメンの入った丼が届けられる。
「へえ、良い味してる」
秋山が麺をすすりながら言った。
「どんなときでも美味しいものが食べられたら満足だねぇ」
松苗が幸せそうに言う。
「一応、間中氏に連絡を取っておこう。今後の動きを聞いておく必要があるね。あと、地下五階に行けなくなってしまったことも伝えておいたほうが良い」
仙波は携帯電話を取り出す。内線番号を押すと受話器口を耳にあてた。一回、二回、三回………コールの回数を数える。十二回の呼び出し音を確認した後、電話を切った。
「出ないな」
「俺もかけてみましょうか」
秋山も同じようにダイヤルする。しばらくコールを確認した後、話をすることなく通話を切った。
「ホントだ。どうしたんだろう」
「手が離せない状態なんじゃない?。そのうち着信履歴をみてかけ直して来るよ」
松苗は麺を二~三本ずつくらい口に入れる。秋山はそれを見て、そんな食べ方だから遅いんだ、と思う。
「電話に出れないことは良いとして、地下五階に行けなくなったことは気になるね」
仙波がいう。
「俺としてはインターネットに接続できないことのほうが気になります」
秋山が嘆いた。
「チャットができないものねえ」
松苗がうんうんと二回頷きながら言う。そんなに同情はしていない。
「メールに関しては外部から送信されてきたものを受け取ることはできないと思うけど、ビルの中で送られたものは読めると思う。こまめにチェックしたほうが良いね」
ネットワーク全体がダウンしたわけではなく、インターネットへの接続ができなくなっているらしい。LANで接続しているイントラネット内のやりとりには支障が無い。
「この後どうするかを考えておいたほうが良くないでしょうか?」
松苗が聞く。
「そうだね。だけど、実際のところ僕達にできることは何も無い」
「………ですね」
仙波の言葉に松苗が相槌を打つ。
「うーん、部屋で待機になるのかなあ。うーん、そうなると、やっぱりインターネットに繋げないのは痛いかも。何をして暇を潰そう」
松苗が首を傾げる。
「食べられるときに食べて、眠れるときに寝る。ってわけで、俺は寝る」
秋山はそう言って手を頭の後ろに回すと、そのまま伸びをする。
丼の中は、すでにスープまで飲み干されていた。