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第7話

久しぶりにチャットのシーン。

 秋山は端末の電源を入れると、まず、メールを読み込んだ。

仙波が言っていた通り、間中からのメールが一通届いている。普段使っている自宅のコンピュータでは一日に一通しかメールが来ていないということは、まずない。少ない日でも十通は来ている。多いと、その日のうちに目を通しきれないときもある。なんとなく味気ない気がする。

あとで、アカウントを設定してここから自宅のメールも読めるようにしようと考えた。

 とりあえず、添付されてきた大量の資料はチャットの後に読むことにした。暗記しておいた『ブルー』の運用するサイトのURLを入力する。

 表示された画面は書きこみが消去され、昨日と同じように、『待っています』の一言だけが記述されていた。

今日も彼女は、モニタの前にいるのだろうか。

昨日のことは許されるだろうか。


ユウ∧こんばんは。


 入力をして送信する。ここで返答さえしてもらえなかったら、もう駄目だろう。アカウントを変えて別人に成りすますという手も無くはないが、結局は空しいだけだ。

………しかし、そんな心配を余所に、程なくして行が追加された。


ブルー∧こんばんは。


 秋山は、正しく救われた感じがした。顔もみたこともない相手であっても嫌われたまま終わってしまうのは後味が良くない。


ユウ∧また来てしまいました。

ブルー∧お待ちしておりました。

ユウ∧昨日はすまなかった。無理を言って。


 引きずるのは良くないが、もう一度謝っておこうと思った。


ブルー∧お会いしたいという件ですね

ユウ∧うん

ブルー∧私の方こそ、申し訳なかったと思います。死んでいる、というのは唐突過ぎましたね

ユウ∧ちょっとね。ひどく怒らせてしまったと思ったよ

ブルー∧気になさる必要はありません。お断りするのは、私の一方的な都合によるものです

ユウ∧一方的な都合?


 送信してしまった後で、また深入りしすぎたことを訊いていることに気が付いて、慌ててフォローを入力する。


ユウ∧ごめん。また余計なことを訊いてしまったみたいだ

ブルー∧お会いできないのは、単に物理的な問題が発生するためです


物理的な問題ってなんだろう、と考えたがそれは聞かないことにした。そう、単に会う気がない、それだけのことだ。秋山が手を止めていると次の一文が表示された。


ブルー∧あなたにとって、今の時間帯がもっともアクセスしやすいのでしょうか?


話題が切り替わる。その転換の仕方がなんとなく仙波を連想させる。もしも、ブルーが仙波さんだったら気持ちが悪いな、と想像をしてしまう。


ユウ∧いや、そう言うわけじゃない。仕事で遅くなるときもあるよ

ブルー∧では、訪れることができないこともあるということですね

ユウ∧まあ、そうだね

   うん。でも、しばらくは、そういう事も無いかな

ブルー∧なぜでしょう

ユウ∧仕事の関連があってね。詳しくはいえないんだけど。仕事する場所と生活する場所がしばらくの間、同じ場所になるんだ。通勤時間が無くなる。その上、仕事も一日の作業量が規定されているような内容なんだ


 実際、通勤時間が無くなるという事は時間の割り当てに大きな影響を与えている。

秋山は安いと言う理由で都心から離れて、電車で片道一時間程度の場所にアパートを借りている。片道で一時間ということは一日の通勤で費やす時間は二時間。この時間を仕事かプライベートのどちらかに自由に割り当てることができるというのは、とても有意義なことだ。


ブルー∧作業を行うために物理的な移動を強要されるというのは、とても効率が悪いことだと思います

ユウ∧同感。インターネット経由で会社のサーバに繋げば、まったく同じ作業ができるのに。ああ、でもセキュリティの問題もあるのか


通信を暗号化することは難しいことでない。

だが、暗号が解読されない保証はない。解読したいと思わせるほど重要なやり取りをするかは別として、問題が発生することは現状を維持させるための最大の言い訳になる。

そう、問題を解決するためには、別の問題を用意する必要がある。それは、痒さを押さえるために患部を掻いて痛みに置きかえるのに似ている。


ブルー∧最終的なセキュリティ・ホールは人間です。

ユウ∧確かに。ちょっとしたミスが原因となることが多い。最終的に人が管理するわけだからね。

ブルー∧そうではありません。

ユウ∧?

ブルー∧完全なる安全を人は許容することができません。

ユウ∧完全なる安全……?

ブルー∧絶対に安全といえる状態です。

ユウ∧あらゆる意味でそういう状態になるのが理想じゃないの?


肉体的にも精神的も経済的にも、どの面において安全である・・そんな状況を作るのは難しい。しかし、皆、安定した方向に向かいたくて努力している。


ブルー∧全てが満ちた状態と何もない状態は同じです。人間は無の状態を嫌います。

ユウ∧ちょっと難しいな

ブルー∧そうですか

こういう話題は、お嫌いですか

ユウ∧いや。どちらかというと好きかな


再び頭に仙波の顔が浮かぶ。

彼もブルーと同じように一つの事柄に対して多くの観点から観察し説明しようとする癖がある。理屈っぽいというよりも、その指摘の鋭さに驚かされる。自分にはない側面だ。だから、コンビを組んでいるのかも知れない。

ブルーと対話していると仙波のことを連想することが多い。

だからと言って回線の向こう側にいる人物が、実は仙波だったなんていうことはないと考えている。彼は、こういうことをする人間ではない。根拠は無いが、似合わない。


ブルー∧残念ですが所用のため今日はここまでにしたいと思います


突然、ブルーが終了を告げた。まだ、物足りない気がするがチャットで相手の都合を無視して引きとめても仕方が無い。こういうときは、簡単に次回の予定を告げて終わりにしたほうが良い。


ユウ∧了解。じゃあ、また明日

ブルー∧では、また



 秋山はシャワーを浴びた後、ベッドに寝転んで資料に目を通していた。

間中のメールに添付されていたのをプリントアウトしたものだ。何枚というより何センチと表現したほうが良いほど分厚い資料の七割強がフォトンフィールドの設定のためのものだ。全てを使用するわけではないので必要なものは、その四割程度。すでに知識にあるものを除けば、実際に目を通しておかなければならないページは、さらにその半分程度となる。それでも、まだ相当の分量となる。

ストーリー性の無いものを頭に叩き込もうとするのは、かなりの労力を要する。普段の就寝時間までは随分時間があるが、少しずつ瞼が重くなってきているのを感じる。

秋山は立ちあがり、コーヒーを淹れることにした。

部屋のカウンターにはコーヒーメーカーだけではなく豆やそれを挽くためのミルも用意されている。秋山は、その隣に置かれているインスタントを手に取った。紙カップが付いていて、そこに湯を注ぐだけで出来上がる。彼にとってコーヒーなどは、その程度で十分だった。わざわざ特別な手間をかけるまでも無い。仙波の場合は、逆にこだわれるときは豆の挽き方までこだわる。

 淹れたその場で最初の一口を口にする。

まだ好みの熱さになるまで時間が必要なことを確認するとデスクの所に行き、紙コップを置いた。デスクにはホワイトボディの液晶ディスプレイが備え付けられている。

秋山の使っているブラウン管のものよりも格段に光度が高く観やすい上に画面が大きい。その脇には邪魔にならない程度の観葉植物が飾ってある。根が膨らんで土の上で絡んでいる。面白い造形だ。その他にあるものといえばペンシルスタンドくらいで、秋山には似合わないくらいに綺麗に整えられている。まあ、ひと月ほどすればエントロピーは拡大するだろう。

「ふう………」

ベッドの上から資料を拾い上げて、まだ見ていないページの厚さを確認してため息をついた。

椅子に腰掛けて、残りのページに目を通しながら、書かれている内容について半分、先ほどのチャットについて半分に意識を回した。


―――完全なる安全を人は許容することができない。

全てが満ちた状態と何もない状態同じ。

人間は無の状態を嫌う………。


その言葉が何度も思考を巡る。

言葉をそのまま飲み込むのは簡単だ。しかし、そこに含まれる真意を見出すのは希少な古文書の解読のように困難である。また、それゆえに魅惑的でもある。

「難しいな」

丁度良く温度が低くなったコーヒーを一気に飲み干す。必要な電力を供給されたロボットのように思考回路が回り始める。頭の中で右から順にエネルギー残量を示すランプが点灯していくイメージ。だからと言って、それによって彼の思考能力が向上するわけではない。

結局、これは自分には理解のできない何か深い意味のあるメッセージなんだ、と理解した。

(それにしても彼女は不思議な感じがする。)

簡単ことを難しく表現して、人を惑わすことで自分の評価をあげることができると勘違いしている者は数多くいるが、そういう感じではない。逆に本当はもっと難しいことを可能な限り易しく表現してくれている……そんな感じがする。

(どう表現すればよいのか分からないけど、なんていうか・・・。)

背もたれに頭をつけて後方に重心をかけると軽くリクライニングした。その状態で天井の一点を見つめる。

(威圧感?・・・いや、なにか・・そう、圧倒的な何かを感じる。)

彼女の入力する文章の内容からではない。それ以外の要素で自分を遥かに上回る力のようなものを感じるのだ。しかし、そうは言ってもディスプレイから伝達される情報は文字しかありえない。もし、それ以外のものが伝わってくるとしたら超常現象になってしまう。

(まあいいか。)

話をしていて楽しいことには変わりがない。チャットなどと言うものは、結局のところそれが全てだ。

秋山は斜めになった背もたれを元に戻すと、再び資料に視線を戻した。




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