第3話
久しぶりの投稿です。
続けてもう一話投稿します。
『フォトンタワー』は湾内に人工的に作られた浮島に存在している研究所の呼称だ。
島の周囲はおおよそ半径五百メートル程度。敷地には、赤いレンガのようなものが敷き詰められている。所々に針葉樹が植えられていて、その周りが芝生になっている個所もある。休日にはカップルや家族連れで賑わっていそうな場所。もちろん、実際に休日になっても賑わうことは無い。美しく整った場所の閑散とした光景は、観察者に対して退廃的な印象を与える。
二十階建ての研究所ということだったが、船上から見ると十階分の高さしかない。松苗が仙波にそのことを言うと、残りはすべて海の中にあるんだと説明した。
「静かだな・・・・」
秋山は誰一人いない広い空間を眺めて言った。
さっきまでは車の騒音や人の話し声、町の喧騒が周りにあふれていたのに、それらは思い出せない過去の出来事のように薄らいで淡くなって消えてしまった。今は、波の音と風の音しか聞こえない。
「集中したい時か・・・もしくは何もしたくない時には最適な環境だね」
仙波が遠くを見つめながら言った。
建物の入り口は一般的なエレベータのドアを二周りくらい大きくしたような形で光沢のある白色。ただ、エレベータと違って上や下に行くためのボタンや回数表示はない。その代わりに、カードの差込口とその隣に長方形のプレートのようなものが埋め込まれている。もちろん、自動ドアではないので前に立っていても開くことは無い。手で開けようにも、開けるためのノブも手をかけるところさえない。それは、来る者を拒絶するかのような冷ややかさを湛えている。
「すごいね。要塞のようだ」
仙波が言う。
「でっかいお墓に入り口がついてるって感じ」
松苗が上を見上げる。窓が一つも見当たらない。コンクリートの塊。何かの記念碑にも見える。
「嫌な表現だな、それ」
そう言いながら秋山も似たようなイメージを思い浮かべていた。
「ここに入れれば良いのかな?」
仙波はポケットから、一枚のカードを取り出した。二日ほど前にフォトンラインファウンデーションから送られてきたものだ。そのカードを差し込み口に入れる。
『両手をプレートに乗せてください。』
電子的なメッセージが聞こえた。指示通り指を広げてプレートに触れてみる。
『仙波十夜様を認識しました』
声は女性を模している。自動ドアを通過した時に聞える『いらっしゃいませ』とか『ありがとうございました』という抑揚のないしゃべり方を思い出させる。
あれには何の意味があるのだろうか。そもそも機械的に繰り返されるメッセージにも意味が宿るのだろうか。たぶん侵入者と退出者を感知して発生する信号なのだろう。
単なる信号。いや、あれだけではない。きっと、人間の会話もある種の信号に過ぎないだろう。幾つかのパターンを組み合わせて相手により細かい意思を伝達するための信号。伝えられないものもある不完全な信号。誤解を生み出し、世界を構築してきたものの正体。過去も未来も全て言葉で出来ている。全ては信号で伝達されていく。
秋山も続いてプレートに手を置く。ひんやりとした金属の感触。
『秋山勇輔様を認識しました』
続けて松苗もそれを真似る。
『松苗 朝美を認識しました』
その声と同時にカンッと音が響いた。とても澄んだ金属音。まるで来訪者を告げる鐘のように、建物全体に響き渡った感じがする。間もなく、重そうなドアが横にスライドする。その動作はほとんど音を伴わなかった。
「うわ…」
三人して思わずため息を漏らす。
都内の高級ホテルのエントランスのような概観。色鮮やかな深い絨毯が敷かれ、大きく荘厳なシャンデリアが天井を飾っている。所々に僕の身長の倍を越えるであろう観葉植物が配置されている。何も知らずに入ってきたら、ここが会社であるとはまず考えないだろう。立地条件といい、この内装といい、隠れ家的な高級リゾートにでも遊びに来た錯覚をしてしまいそうになる。
「ここって会社……だよね?、ね?、ね?」
松苗が二人のほうを見て言う。
「すごいね。外とのギャップが激しすぎる」
仙波は思わず苦笑する。
足元から前方に向かって他の場所と色彩の違うやや赤みのかかった絨毯が道を造っている。その突き当りにはカウンターがあるが、そこには誰もいない。ほとんど外から人が訪ねてくることがない以上、受付や案内の人間を配置する必要は無いのだろう。広い静かな空間。無駄に豪勢な内装。
フォトンタワーに入るまでの指示しか受けていないので、この後どこに向かえばいいのか分からない。とりあえず、正面に見えるカウンターまで歩いていくことにする。絨毯に足が沈み込む感じがする。歩いた後に足跡がついていく。
大理石を切り出したような冷たいカウンターの上にはインターフォンが設置されていた。普通の電話と同じ配置でボタンが並んでいるが、どこにかければ良いのか分からない。接続先不明の状態でピア・トゥ・ピアは成り立たない。
しばらく三人がその場に立ち尽くしていると、突然そのインターフォンが鳴り出した。そして、受話器をあげることなく通話モードに切り替わった。
「仙波さん、秋山さん、松苗さんですね」
「はい」
彼等の名前を呼ぶその声に、仙波が答える。
「ようこそ、いらっしゃいました」
建物の入り口では、カードで認証している。ビルに誰が入ってきたかは簡単に感知できる。多分、このエントランスにもカメラが設置されているのだろう。
「これから、どちらへお伺いすればよろしいでしょうか?」
「では、一度、こちらへ来てください。左手にエレベータが見えますね」
「あ、見えます、見えます」
松苗が言う。
「そのエレベータで五階に昇ってください。エレベータを降りて、廊下をまっすぐ歩くと右手にA-2と表示のある部屋があります。そこまで、来てください」
「A-2ですね。分かりました。ありがとうございます」
仙波は言った。
「よし、行きましょう」
秋山は左手に見えるエレベータに向かって歩き始める。
どうも、この部屋の雰囲気は落ち着かない。
秋山は考える。
こういう無駄に豪華な部屋は苦手だ。とりあえず移動したい。しかし、他の階もすべてこんな調子だったら堪らない。それとも、一ヶ月もいれば慣れるものだろうか。
三人を載せたエレベータは、ほとんど慣性を感じさせることなく始動し、目的の場所へ送り届けた。
そこは、秋山の心配に反して、この場所がオフィスであることを思い出させてくれる概観だった。いや、オフィスというより、神経質に隅々まで完全に滅菌された病院というほうがイメージに近いかもしれない。完全に滅菌された病院というものがあるのかどうかは別として。
とにかく一階とは全然、イメージが違っている。同じ建物の中だとは思えない。仙波たちからしてみれば、どちらかと言うと、この階のほうが落ち着くのには違いない。
「なんか、一階とのギャップが激しいな・・・」
秋山が押し殺した声で囁く。
「何でそんな小声になってるの?」
松苗が彼の四倍くらいの声量で言う。
「なんとなくこういう雰囲気のところって小声にならねえか?」
天井も床も壁もホワイト。いや、完全な白と言うわけではなく、僅かに青く濁っているような気もする。
そして、外から見たとおり一切窓が無い。エレベータが途中でねじれたり回転していたりした場合は、方角の感覚は当てにならなくなるだろう。もちろん、そんなことをする意味は無いだろうから心配することはない。
「ここですね」
松苗が仙波に向かって言う。ドアには、ゴシック体でA-2の表記。そのままドアをノックする。見た目には、軽そうに見えたが、叩いてみると意外と重厚で手を痛めそうな感じがする。
「どうぞ」
中から、女性の声が返ってきた。さっきインターホン越しに聞いた声と同じものだ。
「失礼します」
三人は、声をそろえて言うとドアを開けて中に入った。
部屋の中も壁面は廊下と同じ一色。会議テーブルが、口の字の形に配置されている。入り口からちょうど反対側の椅子に白衣を纏った女性が掛けていた。テーブルに肘を置いて手を合わせている。組み合わされた手で顔の半分が隠れている。その姿は祈っているようにも見える。
その手を広げて、こちらに手のひらを見せるようなポーズをして続けて言う。ゆったりと流れるような優雅な動きだ。
「そちらにお掛けください」
彼等は言われるままに椅子に座った。部屋は広く奥行きがある。ここから彼女の位置までは電車一車両分くらいの距離があるかもしれない。
「浅海原と申します」
―――浅海原。
浅海原音香。
三人は一瞬、驚きの表情が隠せなかった。
まさか、いきなり財団の中枢の人間と面会することになるとは思っていなかった。巨大な組織になるほど、その上層部と話をする機会はない。フォトンラインほどの企業になったら、国内で一流と呼ばれる会社の取締役レベルでも彼女に会う事は難しいだろう。
「私は……」
「いえ、ご紹介は不要です」
松苗が口を開こうとしたところを、音香に制される。
「すでに存じていますので。省略いたしましょう」
唖然とする松苗をそのままに、音香は続けた。
「この後、地下五階に向かっていただきます。そちらに、間中という研究室の主任がおりますので、あとは彼の指示に従ってください。……以上です」
簡潔に言葉を区切る。柔らかく落ち着いた口調だが、質問などを寄せ付ける雰囲気は持っていない。全ての話は、これで終わりなのだろう。おそらく、これ以上はここにいても意味が無い。
「分かりました。では」
仙波は、そう答えて立ちあがる。秋山は固まったままの松苗の背中を手の甲で軽くたたく。
「え……ああ。うん」
松苗も腰をあげる。
「では、失礼します」
三人は入ってきた退室した。
A-2のドアを閉めた直後、松苗は、ため息をもらしながら言った。
「……何よ、あれ」
「随分と無駄のない会話だったね」
仙波が苦笑する。
「前もって来ることが分かっていたからって、初対面なんだから自己紹介くらいさせてくれてもいいじゃないですか。なんか嫌な感じ」
松苗が頬を膨らませて左右に揺れている。彼女の、ちょっと納得がいかない時や怒ったときの意思表示らしい。なんとなく魚の威嚇に似ている。
「そう?。ぼくは嫌いじゃないけど」
仙波は言う。
「ま、依頼主さまさまってことで」
秋山も続いて言った。
別に嫌味や無理難題を言われたわけではない。怒ることも悔しがることも無い。仕事をしていれば、もっと嫌なことはたくさんある。
会議だけではなく簡単な打ち合わせであっても、意味がありそうな比喩や教訓を織り交ぜながら長々と話をする人間というのはどこにでもいる。でも結局のところ、その後に導かれる結果に対して影響がないことが多い。
しかし、当の本人は自分の発言が間接的に役に立ったと勘違いする。迷惑な話だ。
もし、音香のような人間ばかりで会議ができれば、残業とストレスを大幅に削減することができるだろう。それも成果を変えずに。いや、変えないどころか向上するかも知れない。
「でも、今のは……」
仙波は、聞こえないくらいの小声で、そこまで言って言葉を切った。
「何ですか?」
秋山は聞き返す。
「いや、何でも無い」
彼がそう言ったときは何かを思いついた時だ。しかし、これ以上は聞いても答えない。必要なことなら、必要なときに話すだろう。そう考えて秋山は会話を切った。
再び、エレベーターに乗り込む。さっきとは逆の方向に移動する。
この建物に設置されているエレベーターは一階を区切りにして地上階方向と海面下階方向に分かれている。下の五階に向かうためには一階で乗り換えなくてはならない。この二つのエレベータは隣接していない。それどころかフロアの正反対にあるため、乗り換えるのに少々歩かなければならなかった。かなり不便である。
「あまり行ったり来たりしたくないところね」
松苗は思わずぼやいてしまう。
地下五階を示すランプが点灯してチャイムと同時に扉が開くと、さっきとは微妙に風景が変わる。かなり性能の良いエレベーターらしく音も慣性も無に近い。移動している感覚がないので、乗り込んでから扉が閉まってから再び開く僅かな間に大道具係りが総出で部屋を入れ替えている様子を想像する。
「壁がさっきより少し青いね」
仙波が周りを見ながら言った。壁も天井も床も、さっきの階よりも微妙に青い。
「ほんとだ。そんな感じがする」
松苗が同調する。
「え?。そう?」
さっきと同じ、薄いブルーの壁。別に違いはないように思える。きょろきょろと首を動かしていると、正面のドアが開いて背の高い線の細い顔立ちをした男が出てきた。秋山も背が高いほうだが、その男のほうが五センチほど大きい。百九十くらいはあるだろう。纏った白衣の布地がとても広く見えた。
「間中です。秋山さん、仙波さん、松苗さんだね」
「はい、よろしくお願いします」
松苗が元気良く挨拶をする。普段よりも声が一オクターブ高い。好みのタイプなのだろう。とても分かりやすい奴だ。
「とりあえず、こちらへ」
間中はウェイタがトレイを運んでいるようなジェスチャをする。三人は、案内されるまま続いて中に入った。
部屋は床面積一辺が十メートル程のワンルーム。広さはあるが、そことなく圧迫感がある。きっと窓が無いせいだろう。これがマンションなら、その点を叩けばかなり値下げ交渉ができる。
「個室ですか?」
仙波が部屋の中を見渡して尋ねた。明らかに私物と思われるもの多い。
小説、ラジカセ、使い道不明な玩具のような小物。ベッドもある。デスクに置かれた個人所有にしてはオーバースペックなコンピュータを除けば、生活感のあるマンションの一室に見える。
「ええ。この研究室では一人一人に個室が与えられます。ハード的なセッティングがない限り、ほとんどの作業は各自の部屋で行うことができるようになっているんですよ。ソフトウェアを専任されている人間は、ほとんど部屋から出てきませんね」
「ミーティングはどうしているんですか?」
秋山が質問する。
「打ち合わせの類も壁面のモニタを使って行うことができるようになっているので、わざわざ集まることはありません。ただ話し合いをするためだけに一箇所に集まるなんで時間の無駄ですからね。まあ、場合によっては会議室を使うこともありますが。時々、どうしても物理的なデモンストレーションを要することがあるんです。滅多なことではありませんが」
「開発研究には理想的な環境ですね」
仙波が言った。表情を見ると、彼は心底感心しているらしい。
「そうかなぁ?。なんかそう言うのって寂しげ……」
松苗が首を横に振る。
音声の発信・受信ができて視覚が満たされれば、仕事としてのコミュニケーションは十分だ。会議に嗅覚や味覚・触覚が必要になるケースは、それが目的な場合を除けばほとんどない。物理的な移動や接触はエネルギーの無駄になる。
また、基本的に開発や研究というのは孤独な作業である。時としてチームを組む場合もあるが、個々のパートに焦点を当ててみれば、それぞれが独立していることが分かる。結局、共同作業なんて錯覚に過ぎない。
しかし、松苗の意見ももっともかも知れない。
作業をしながらラジオを聞き、メールを読み、時に無駄な話をしてコミュニケーションを図ろうとする。それによって心に安定を構築できる者も少なくはない。結局、人間にはまだまだ無駄が必要だということだろう。
「皆さんにも、それぞれ部屋をご用意しております」
間中が手元のリモコンパネルに触れると、瞬時に画面が切り替わった。ビルのシルエットが表示され、それを等分するように海面のラインが引かれている。
「これは、フォトンタワーの見取り図です。現在地はここになります」
海面のラインよりも下方に赤く丸いポインタが点滅している。この部屋が海面下にあるということだ。
「そして皆さんの部屋は」
ポインタが上に移動し、四角い枠に変化する。そして、その枠内が点滅しながら拡大され、フロアの見取り図が現れた。
「この三つの部屋を使用してください」
「海面下の四階ですね」
松苗が言う。
「そうです。部屋をポイントしてみましょう」
表示されている部屋のうちの三つが赤色で塗りつぶされて、仙波・秋山・松苗と順番に名前が表示される。
「それと、この研究所の中では、このネームプレートを常に身につけてください」
間中は、金属感のある鈍い銀色をしたプレートを三人に手渡す。ネックストラップになっていて首から下げられるようになっている。後ろにはピンが付いていて止められるようにもなっているようだ。。
「名札?・・・にしては、名前が書いてないな」
秋山がプレートを受け取って表裏を確認する。
「あれ、ホントだ。私のも何も書いてない」
松苗も同じようにチェックする。
「これは非接触型のIDカードです。それぞれの部屋のキーも兼ねています。ただ、持っているだけで認識してくれるようになっています。」
「へえ。おもしろぉい」
松苗は感心しながら、プレートを首からぶら下げた。
「プレートは各自の部屋のキーとしてだけではなく、研究所内のさまざまな個所で認識されようになっています。例えば、皆さんの場合は五階より上と地下5階より下には行けないようになっています。エレベータのボタンが反応しないと思います」
「なるほど」
仙波が呟く。
「同じように、各所にセキュリティチェックが施されています。要するに権限を与えられていないところには行くことが出来なません。………逆にいえば、建物内で行けるところは、どこに入っても問題はないということです」
「へぇ………」
秋山は首からかけたプレートの裏表をもう一度観察する。厚さは一ミリメートル程度だろうか。結合面は見当たらない。単なる金属の板に思える。
間中がリモコンを操作すると画面が切り替わった。
さっきは、黒いシルエットだったタワーの全体像が緑色のラインのワイヤフレームで映し出される。そのうちの1階部分が赤くなっている。
「一階はロビーです。入ってくるときに御覧いただいたと思いますので、ここについては説明は省略します。この階には、皆さんには直接関係ないと思いますが総務関連の手続きを行う部署があります」
間中が手元のボタンを押すと、その上の2つの階が赤く反転した。
「二階と三階は、生活のための各種施設が整っています。食事もここで摂って頂くことができます。もちろん、個室に届けてもらうことも可能です」
「後で行ってみよう」
秋山は、こういった施設等を『探検』するのが好きだ。目を輝かせている。
「各部屋にはゴミを廃棄するためのダストシュートが設けられています。ゴミが出た場合は、ここから捨てるようにしてください。一階の集積所に集められた後に外に捨てられるようになっています。その他、生活必需品は常に補充されるようになっています。特別に必要な物がありましたら、事前に一階の総務部にお申し出ください」
間中は一息つくとリモコンを操作する。
「四階と五階が一般会議室になります」
赤い反転部分が一階から下、五階分に広がった。
「そして、地下の一階から五階が職員の個室が割り当てられてたスペースです。その下の六階、七階にサーバルームがあります」
プチンと小さな音がして、ディスプレイが黒一色になる。
「ちなみに、ロビーと地上五階と地下五階は、プレート無しで行き来できるようになっていますが、その他の階に降りるときはプレートが必要となります」
そこまで一気に喋ると、間中は一息ついて、説明を続けた。
「で、すでに話を聞いていると思いますが、滞在中はタワーの外にでたり、外部から人を呼ぶことはできない契約となっております」
「お伺いした話では物理的には……ということだったけど」
仙波がきく。
「はい。電話やファクシミリ、インターネットなどのタワー内にある通信機器に使用制限はありません」
絶対的な監視下にあるデバイスは許可をされているわけだ。一度タワーの外に出た人間の動向を監視し続ける事は難しい。しかし、通信機器を介した接触は簡単に制御ができる。要するに滞在中は、全ての行動を監視することができると言うことだ。
「当然、業務に関わることを口外するのは禁止です。プロジェクト終了後においても厳守をお願いいたします」
それについては、機密保持契約の中に謳われている。こういう仕事にはつきものだ。
間中は、ポケットから携帯電話を取り出すと、三人に一つずつ手渡した。
「連絡は、これを使います」
見た事のない型。特注かも知れない。しかし、そうだとしても特に興味を引かれるような特徴があるわけではない。
「この後、サーバルームを見てもらいます。ただ、申し訳ありませんが私は所用のため、三十分ほど外さなければなりません。準備ができましたら、携帯に連絡をいれます。それまで個室で待機していただいても、タワー内を見学していただいても構いません」
「分かりました」
仙波が応える。
「他に何かご質問はありますか?」
「この研究所には、どのくらいの人が詰めているのでしょうか」
秋山が尋ねる。
「生活施設を運営している人も含めて、百人ほどですね。研究人員は、二十名弱です」
二十名のために八十名が環境を整えているという事になる。贅沢な境遇だ。
「皆さん、ここで生活されているんですか」
今度は松苗が小さく手を挙げて質問する。
「そうですね。物資の運搬を除けば、海を渡って陸に戻ることは余りありません。研究人員の中には数ヶ月にわたって建物から一歩も外に出ない者もいます」
研究者にとって、本当に最高の環境ではないだろうか。ただひたすら技術の追求をするための環境が用意されているのだ。
フォトンラインが業界を先導する技術を誇るのも、こういった徹底した配慮からなるのかも知れない。