第17話
物語の核心に入りました。
なかなか長いお話になりそうです。
予定では、ここまでで、半分くらいです。
松苗を部屋まで送り届けた後、仙波と秋山はこれまでの出来事について、仙波の部屋でディスカッションをすることにした。
仙波は部屋に入ると、すぐにコーヒーをセットする。頭の中にこびりついた錆をカフェインで洗い流したい気分だった。
「そう言えば、間中さんとの連絡も取れないままですね」
秋山が言う。
「地下五階のランプは、まだ消えたままだった。後で町田氏にも確認をしてみよう」
コーヒーメーカーが水を加熱する様子を見つめながら仙波は言った。
「浅海原さんと十階で話しをした俺たちが一階に降りて、僅かの間を置いて爆発が起こった」秋山は腕を組んで考えこんだ。そのまま数歩歩いてデスクチェアに腰掛けると仙波の方に椅子ごと体を回転させる。「爆発後、エレベーターは使用不能となった………」
「その後、彼女の首が氷の中に封じ込められた状態でダストシュートから発見された。僕たちは、それを冷凍保管庫に運んだ」
「で、九階から上の階は、僕達と浅海原さん以外に行き来した形跡はない・・と言うことでしたね」
二人で交互に現状を確認しあう。
仙波は煙草に火をつけて、肺を満たすように大きく息を吸い込んだ。煙草の紫煙とコーヒーメーカーから立ち昇る蒸気が空気中に拡散されていく。
「さっき話したとおり、僕達が彼女を殺害して爆発物を仕掛けて階下に降りてきたとすれば、無理なく説明が出来るね」
「無理です。俺達はやってません」
「うん。それは紛れもない事実だ。だけど、証明するためには情報が不足している。今の段階では情報を入手する手段もない。もう一度十階に行くことが出来れば、何か分かるかも知れないけど」
十階にはダストシュートに投げ入れられた残りの部分、すなわち首なしの死体が存在するはずである。そして、恐らく凶器もそこにある。
「事の始まりは外部との連絡がとれなくなったことからだ。それから、どうも事が連続していて意図的な感じしてならないんだ」
仙波が呟く。
「俺もそう思いました。でも、一番分からないのは、昨日、ブルーのサイトに繋がったことです」
「君がブルーと会話をしているチャットに、そこの端末からアクセスしてみよう。良いかい?」
「分かりました。見てみましょう」
秋山はデスクに向き直ると端末の電源を入れた。
起動するまでの間に、仙波は二つ分のコーヒーを淹れるとそれをデスクに置いて、秋山の操作する端末のモニタを後ろから見守る。カップから誘惑の香りが漂う。
「あれ?」
秋山は、一字ずつ確認するようにゆっくりとURLを入力し直す。
「駄目だ」
もう一度アクセスし直す。
「アクセスできなくなりました」
秋山が仙波の方を振り返って言った。
「プロンプトからそのサーバにピングを投げてみて」
仙波が言う。
「分かりました」
秋山は返事をするとプロンプトを起動する。
真っ黒なウィンドウが表示され、コマンド入力待ちになった。そこにピングコマンドを入力し、続けてサーバーアドレスを指定する。
ping unknown host
ほとんど間を置かずに回答が返ってきた。
「アンノウンです。サーバーが見つかりません」
「他の外部のサーバにも試してみよう」
「どこに投げますか」
「うちの会社の公開サーバに投げて」
秋山が同じようにコマンドを入力する。やはり画面には、同じアンノウンが表示された。
これは接続先のサーバが見つからない、もしくは接続経路が見つからないことを示している。要するに外部への接続が確立できないということだ。
「やっぱり、接続できないみたいだね」
秋山の脇から画面を見つめながら仙波が言った。
「でも、確かに昨日はここからアクセスできたんですよ」
「今の状態だとなんとも言えないけど、可能性は三つだね」と言って、仙波はコーヒーを一口飲んだ。「その時だけ外部に繋がっていたか、内部にサーバがあってそこに繋がっていたか、それともやはり君の勘違いかだ」
「じゃあ、二つに絞られます。勘違いということはありません」
秋山が少し強い口調で言った。
「だろうね」
仙波が肩を竦める。
「もう少し、考えをまとめたほうがいいかもしれません」
「そうだね。行動範囲も限られている。出来る限り情報を整理しておいたほうが良い」
「じゃあ、とりあえず、俺は部屋に戻ります」
秋山は立ち上がった。
「何かあったら携帯へ」
仙波がそう言うと、秋山は片手を挙げて、了解、と答えると部屋を出ていった。
仙波はジャケットの内ポケットから煙草を取り出して咥えた。秋山が座っていた椅子に座ってモニタを見つめる。画面には、変わらずunknown hostが黒い背景に白い文字で表示されている。
マウスを動かしてウィンドウを切り替え、ブラウザを一番手前に表示させる。
秋山が入力したURLが残ったままになっている。仙波は、無意識にリロードのボタンをクリックした。ページの再読み込みがかかる。
ブルー∧思考とは何ですか?
ブルー∧自我とは何ですか?
ブルー∧私を理解できるでしょうか?
何の飾りもない真っ白なページに三行の文章が表示された。
仙波はそれを読んで全身に鳥肌がたつのが分かった。
「浅海原・・・・音香・・・?」
その文章は、音香が昨日メールで送信してきた内容と一致する。後半部分は無いものの始まりの三行は完全に同じものである。
「どういうことだ」
仙波は呟いた。
秋山の予想通り、浅海原音香とブルーが同一人物だった、もしそうだとしてもそのこと自体にはなんの問題もない。問題なのは、浅海原音香は既にこの世にはいないと言うことだ。
動揺する。
咥えた煙草にライターで火をつける。
大きく息を吸い込む。
肺の中の空気を全て搾り出す。
もう一度大きく吸い込む。
吐き出す。
少し落ち着いた。
思考速度のタコメータが標準値を取り戻した。仙波はキーボードを叩いた。
センバ∧貴方は誰ですか?
率直な質問。そう、確認してみるのが一番早い。もしかしたら、彼女が以前に記述したものかもしれない。そうだとしたら、返答はないだろう。
しかし、次の瞬間、追加行が表示される。
ブルー∧それは意味のない質問です。
センバ∧確かに意味はないと思います。
ブルー∧貴方も私もこの中では誰にでもなれるのですから。
インターネットという世界。全ての認識は曖昧になり、プラスティックのように虚実の境界線があやふやになる。誰なのかを訊ねて、その返答をもらっても意味はない。
ブルー∧私を理解できますか?
仙波は返答を入力しながらプロンプトを操作して外部接続の確認を行う。やはり外部への接続は出来ない。このサーバは内部にある。
センバ∧貴方が誰かは分からない。しかし、貴方がこのタワー内に存在していることは確かだ。
ブルー∧存在の定義によるでしょうね。
センバ∧どういう事でしょう?
ブルー∧名前のつけ方は単純なんですよ。
突然、話が違う方向へ飛躍する。
ブルーの発言は仙波の入力が表示されたのとほぼ同時に行われている。入力し、Enterキーを押した瞬間には返答が表示されている。反応速度と入力速度が普通じゃない。前もって仙波の言葉を予測し備えているような感じを覚える。
ブルー∧浅海原の「あ」と、音香の「お」で「あお」。漢字を当てて青。青だからブルー。ね、単純でしょう?
「なっ………」
仙波は声を出して驚いた。
ディスプレイの向こう側にいる人間が誰かは分からない。発言がどうあれ、浅海原音香だとは限らない。
いや、浅海原音香であるはずがない。
しかし、ブルーと名乗る人物は、彼女のメールの内容と同じ発言をし、そしてハンドルネームは名前に由来すると語った。
彼女はもう存在していない。
存在していないはずである。浅海原音香の一部分は施錠された冷凍室で眠っている。もちろん、本物ではないの可能性もある。正式に鑑識されたわけではないが、おそらくイミテーションではない。
冷たい氷の中に封印されていても感じ取れる圧倒的な圧力。
生まれたときから身につけている力。
後天的に得ることはできない能力。
自らを孤独するほどの他者への威圧感。そして、その孤独に耐えうる揺るぎ無い精神力。
センバ∧貴方は誰ですか?
同じ質問をする。
ブルー∧人間は自我により自分の存在を定義し、それを他人に伝えることで、より強固に自己を構築していきます。では、そのプロセスに肉体は必要ですか?
センバ∧それは、どういうことでしょうか。
人間の存在の定義。チャットやメール、電話やファクシミリでも存在を表現することが可能だ。部屋に閉じこもったままでも、そういった媒体を通して他者を感じることはできるし、自分をアピールすることもできる。
仙波の考えが一つの仮定を生み出す。
しかし、すぐにそれを振り払った。そう、そんなことがあるはずない。まだ、人間の力はそこまで達していないはずだ。
ブルー∧貴方から見えない場所には何もない。貴方が見た瞬間に構築される。分かりますね。
センバ∧量子力学ですか。
ブルー∧全ての物質は視覚されたときにだけ物体として存在する。観察者がいて初めて存在することができます。
センバ∧僕の見ている範囲以外の場所には本当は何も存在しない。振り返った瞬間、視線を移した瞬間、その場所が構成される。
ブルー∧二人で同時に同じものを見ているとしましょう。一人が目を逸らした時、今まで見ていた物質は存在しているのでしょうか?。
センバ∧少なくとも、もう一人の観察者がいます。観察者がいるからには、そこに存在するでしょう。
ブルー∧一人には存在し、もう一人には存在していません。そして、二人で同時に見ているときも同じものを見ているわけではありません。個々に存在の定義が変わるわけです。
仙波はキーボードから手を離した。
彼女の言おうとしてる事が分かった気がする。それはたった今、彼が振り払った仮定と同じものだ。そして、恐らく彼女は仙波がそのことを考えついていることを知っている。知っている上で、話をしているのだ。
センバ∧貴方は誰ですか?
三度目の質問。
ブルー∧私は浅海原音香です。
長くなった煙草の灰が途中で折れて落ちて砕けた。光沢のある黒いデスクの上へ、白い灰が安っぽいプラネタリュウムのように転々と散らばっている。
ブラウザが自動的にリロードされる。
unknown hostの文字が表示された。今までの会話は砂浜に書いた文字のごとく消去されて跡形もない。仙波は何度か読み込み直したが、その表示が変わることは無かった。
しかし、彼の網膜には最後の一文が焼き付いていた。
―――私は浅海原音香です。