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第14話

今回は長めで。

翌日、午前九時には仙波の部屋の前に三人は集まっていた。

「念のためもう一度、間中氏に連絡を入れてみたんだけど結局繋がらなかった。もちろん、彼からの連絡も無い」

仙波が携帯電話のストラップを摘んで振り子のように揺らす。

「俺の方にも無かったです。作業予定が入っているのだから連絡くらいあっても良さそうですけどね」

「間中さんのことも気になりますけど………」

「うん、昨日のメールだね」仙波が松苗の方を向いて言った。

「俺も見せてもらったけど、『貴方に権限を追加します。引き換えに権限を削除します。』って部分、意味が分らなかった」

「私も分らないのよね。仙波さん、分りました?」

 松苗が質問する。

「きっとエレベータのことじゃないかな」

すんなりと仙波が答える。

「エレベータ?」

「うん。簡単なことだよ。僕たちに対して、このタワーの中で与えたり奪ったりできる権限といったら階の移動権限くらいしかないからね。まあ、行ってみれば分かる」

仙波はエレベータのある方向に向かって歩き出す。

「行ってみよう」

松苗が言うと秋山は頷いた。

 各個室は通路に沿って配置されている。三人の部屋は隣同士というわけではないが、そんなに離れているわけではない。

部屋数は、共有スペースを除くとこの階だけで十数室あるが廊下を歩いていても、他の人に会うことは殆どない。篭りっきりなのだろうか。そもそもここから出る必要の無い者ならば、現在の状態など騒ぎ立てるほどもない些細な出来事なのだろう。

「そういえば、どの階で待っているとか書いていませんでしたが……」

松苗が言った。

「たぶん、エレベータに乗ってみれば分かるんじゃないかな」

エレベータが到着すると仙波が最初に乗り込んだ。階数指定のパネルを見る。状態は昨日と変わらない。地下五階の表示も消えたままになっていう。

「やっぱり、地下五階には行けないままですね」

次に乗り込んできた秋山がパネルをみて呟いた。

続いて松苗が乗り込んだ瞬間、パネルの表示が変化した。

「あっ」秋山と松苗は、殆ど同時に声をあげた。

「地上十階のボタンが点いたよ」

「なるほど。権限の追加って、このことか」

秋山が呟く。

「じゃ、権限の削除は?」

松苗が訊く。

「おそらく………」仙波がエレベータから降りる。「えっと、松苗さんはそのままで、秋山君だけ降りて」

「あ、はい」

言われるままに秋山がエレベータから降りるとボタンが一気に消灯する。

「地下四階と地上十階以外、全部消えた」

中に残った松苗が呟く。

「そういうことだね」

仙波はそう言って片眉を上げる。

「………これって、もしかして、ものすごぉく不便になったってことじゃないですか?」

「うん。そうかもね」

仙波が冷静に対処する。

十階にどんな施設があるか分からないが、行ける場所が減ったことには違いない。

「私一人じゃ、食事に行くことすらできなくなってる」

「どうせ、いつも団体行動だろ。気にするな」

秋山が再度エレベータに乗り込む。消えていたランプが点灯する。

「うう……。まあ、そうだけどさ」

「とりあえず、十階に行こうか。たぶんそこで、浅海原 音香が待っている」

秋山に続いて乗り込んだ仙波が十階のボタンを押した。

扉が閉まる。一瞬の加速度を感じた後、しばらくして再び扉が開いた。

―――最も上の階は白一色、最も下の階は青一色

話に聞いていた通り、壁も床も天井も全て純白で構成されていた。眩しさを感じる白。遠くも近くも分からなくなるような世界。蛍光灯の管の中に入ったらこんなこんな感じかもしれない。

真っ白な世界は、自分の存在を際立たせる。孤独を強調する。隠そうとしている欠点や邪心も、この空間では浮き出てくる……そんな気にさせられる。

(こんなところで生活しているのか)

仙波は正体不明の恐怖を感じた。

普通の人間なら一週間もすれば精神を病んでしまうかもしれない。そんな場所で生活している精神構造を考えるだけで肌が粟立つ。

「本当に、徹底的に白だね。なんか寒くなってくる」

松苗が身を振るわせる。

「目がおかしくなりそうだ………。部屋の入り口はどこにあるんだろう」

秋山が言った。三人は前方に向かって直線に伸びる廊下を進んでいく。

 壁と天井、壁と廊下などの接点には影が落ちて色がくすむものである。それがこの回廊には、ほとんど見られない。

「壁面自体が微妙に発光しているみたいだね」

仙波が周りを観察しながら言った。

「………あ、ホントだ」

松苗も辺りを探る。

「なぜ、わざわざこんな事するんだろう」

秋山が唸る。

「やりたかったからじゃない?」

松苗が首を傾げる。

「そんなことが理由になるか?」

「いや、案外そんなものかも知れないね」

仙波が呟いた。

「あそこ入り口があるよ」

松苗の指差す方向にドアがあった。そのドアは周囲の壁と違って発光していない。長方形の形に切り抜かれたように薄く影を落としている。

 三人がドアの前に立つと、ほとんど音を立てることなく横にスライドして開いた。

「ようこそ、いらっしゃいました」

正面のデスクに座った音香が口を開いた。

「お招きいただき光栄です」

仙波が言う。

「少し、皆さんとお話がしたいと思いまして」

音香は目を細めて微笑む。真っ白な肌に細く整った顔立ち。そのスマイルは空間に描かれた空想画を見ているような錯覚を引き起こさせる。

「私もお聞きしたいことがあります」

仙波が一歩前にでる。浅海原音香までの距離は、まだ十メートルほどある。

「なんでしょう」

「外部アクセスを遮断したのは、貴方ですか?」

「お、おい」

仙波の唐突な質問に秋山の方が慌てている。

「なぜ、そう思われるのでしょう?」

音香は、ゆっくりとした口調で言った。

「根拠はありません。可能性を考えてみたときになんとなく思いついたことです。変なことを言いました。失礼しました」

仙波が頭を下げる。

「謝る必要ありません。もっともなご意見ですもの」音香は再び微笑んだ。「ですが、私ではありません。おそらく起こるべきではないシステムエラーが発生してしまったようです」

「起こるべきではない?」

「ええ、残念ながらバグに近いものです」

「修復は可能ですか?」

仙波が尋ねる。

「原因さえ掴めれば可能です」

「原因が分からないんですか?」

松苗が身を乗り出す。

「分りません」

「貴方にも分からないことがあるのですね」

松苗の言葉には少し嫌味な色が混じっている。

「皆さん、私を買かぶり過ぎです。私にだって知らないこと、分らないことがたくさんあります」

「流時さんなら分かりますか?」

仙波が再度尋ねる。

「ええ。兄なら分かると思います。ですが、彼はこの問題には関与しないでしょう」

「え?。何故ですか?」

松苗は言ってから気がついた。ここから出るつもりがない人間にとって、出られなくなったことなんて問題にもならない。

「出るつもりがないからです」

音香はゆっくりと言った。

「コンタクトを取ることはできますか」

仙波が訊く。

「発信ができるのは彼からだけです。こちらは受信のみです」

徹底している。仙波はそう思った。誰からの干渉も受けない絶対的な思考の聖域に、浅海原流時は存在しているのだ。

「もしかして、ずっと出られないとかないですよね」

松苗が落胆した声色で呟いた。

「心配はいりません。このタワーに勤めるエンジニアは優秀な者ばかりですから」

「でも、浅海原さんでも原因が分らないのですよね」

「今は分りません。でも、もしかしたら必然的なエラーなのかも知れません」

「必然的ですか?」

 仙波が問う。

「そうです。全てが必要な事柄だと認識できれば解決することができるかもしれません」

全てが必要な事柄だと認識できれば………。秋山はその言葉に、体温が一瞬のうちに上昇したような感覚を覚えた。


―――全てが必要な事柄だと認識できれば何も問題はありません


 昨日、ブルーが言っていた言葉。意味が分からなかったメッセージだ。音香が言った内容も聞き流してしまいそうなところだったが、反芻して考えると意味が通じないような気がする。

「全てが必要な事柄だと認識できれば………というのは具体的にどういうことなのでしょうか?」

秋山は慌てて尋ねる。

音香はゆっくりと顔を天井に向けて、それと同じ速度で元に戻した。

「ひとつひとつの事柄には、必ず何かしらの意味があります。木から葉が落ちる位置だって、雲の流れる方向にだって意味はあるのです。今回のトラブルにしても、意味があることであると捉えることができたなら、解決することができるかもしれません」

 音香の口調………。会話の流れ、雰囲気。そう、どこかブルーを彷彿させる。

「ブルーというハンドルネームに心あたりはありますか?」

「それは、あなたになにかしらの仮定が存在する上でのご質問ですね」

音香は変わらない口調で言った。

「い……いえ。すいません。変な質問でした」

秋山は自分の質問を引っ込めた。あまりにも質問が唐突過ぎる。それにチャットの相手を追及するのはルール違反だ。まあ、それ以前に自分なんかよりもはるかに多忙な音香が、チャットの相手なんかしてくれるわけがない。

「非常に面白い質問のパターンでした。そう言った会話の跳躍は嫌いではありません」

「あの、私も質問してよろしいでしょか」

 松苗が小さくてを挙げる。

「どうぞ」

「私のIDプレートですが、他の階に移動できなくなってしまったのですが」

「ええ。設定を変更させていただきました」

 音香が平然と答える。

「あの……戻していただけませんか?。どこに行くにも、この二人と一緒じゃないといけないのは不便です」

「おいおい………」

秋山が言う。

「ちょっとした日用品を買いに行くにもいっしょに行動しなくちゃ行けないのは嫌だもの」

松苗が横目で秋山を見る。

「分かりました。すぐにはできませんが戻しておきましょう」

「ありがとうございます」

松苗は軽く頭を下げた。

「私から、もう一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか」

仙波が正面の音香を見ながら言った。

「では質問に答える代わりに、私からの質問にも答えてください」

音香が仙波を見つめる。強く黒い瞳には不思議な吸引力があるような気がする。彼女に見つめられると視線を外すことができない。

「ええ、構いません」仙波は言葉を続けた。「地下五階に行くことができなくなり、間中氏とも連絡が取れなくなりました。これも貴方のコントロールによるものですか?」

質問の直後、音香の目が見開かれ瞳が大きくなった。

少なくとも仙波は、そう感じた。しかし、一瞬のことだったので気のせいかも知れない。

「いいえ。それについては知りません。恐らくシステムに発生しているエラーに関連するものでしょう」

音香の言葉は今まで通り、台本を朗読するように流暢だった。

「そうですか。ありがとうございます」

さっきの表情はなんだったのだろう。仙波はそう感じながら、一歩後ろに下がって礼を言った。

「では、私からの質問です」

音香は立ちあがって言った。

一瞬の沈黙。

「人の心とは、どこに存在するものだと思いますか?」

彼女の薄い唇からでた言葉は、三人ともに予測し得ないものだった。質問の意図を考えてしまう。

更に数秒間、沈黙する。

「それは、哲学的なご質問ですか?」

最初に仙波が口を開いた。

「どのように受け取られても結構です。この質問に対する貴方達の回答をお聞きしたいだけですから。そう……実は私も明確な解答はご用意しておりません」

音香が悪戯をした少女のような仕草で首を傾げる。

「やっぱり、脳かな?。考えているのは脳だから、心も脳にあるんじゃないでしょうか」

秋山が答える。

「胸の奥あたりにありそうな感じがしない?」

松苗が呟くように言った。

「ロマンチスト」

秋山が冷やかした。

「うるさいなぁ。そう言われると思ったよ。でもさ、悩むと胸が苦しいとか、胸の奥が張り裂けそうだって言うじゃない?。実際、そんな感じがするし」

「胸の奥は肺と心臓だ。思考が可能な器官ではない」

仙波が口を挟んだ。

「え、うん、いや、そう言う意味じゃないんですが。…やっぱり脳かなぁ」

「脳の一部、例えば扁桃体が損傷を受ければ恐怖を感じなくなる場合があります。では、その扁桃体を詳細に調べてみたとしましょう。最終的には一つ一つの細胞になります。さらに小さな原子以下の存在まで考えることもできますが、それは省きましょう。さて、それではその細胞単体が恐怖を感じているのでしょうか」

音香がゆっくりと言った。

「それは無いと思います」

松苗が答える。

「そうですね。細胞単体では意味を成しません。人間の脳にはニューロンという形で様々な情報とその処理方法が構築されています。ニューロンから出力されるシグナルが、一定の割合で結合点であるシナプスを経由して、他のシナプスに伝達されます。結合が強いほど、より多くのニューロンにシグナルが送られていきます。それらの各ニューロンによって、超並列コンピュータと同じように常に同時に計算が行われています。その演算結果が心として表現されます」

「そんな機械的なものだとは思いたくないですね」

松苗が非難めいて言う。

「ええ、私も同じ意見です。今のは結論じゃありません」

「結論はどのようなものになるのでしょうか」

「最初にお断りした通り、結論は用意してありません。あなたはあなたの思うままに受け止めれば良いのです」

音香は微笑んだ。

「この質問はここまでにしましょう。もう一つ別の質問をさせてください」

音香は目を閉じて、そのままの状態で言葉を続けた。

「自分でコントロールできる意識というものは、どこに存在していると思いますか」

「意識ですか?」

秋山が呟く。

「そうです」

「意識と心って同じじゃないんですか」

「眠っている時には意識がありますか」

音香が秋山を見る。

「全くないと言えるかは分りませんが、コントロールできる意識はないと思います」

「では、眠っている時には心がありますか」

「心は起きていても眠っていてもなくなる事はないと思います。夢を見て楽しいとか怖いとか感じることもありますから」

 今度は松苗が答えた。

「なるほど。それでは、起きているときに、意識は存在すると思いますか」

「起きているときって……」

 秋山が言葉に詰まる。

「そう、今現在のあなた自身です。例えば、このタワーに入った時から意識を奪われて、それを私がコントロールしているとしましょう」

「え?。いや、そんな馬鹿なこと………」

「例えの話です。しかし、もし、本当のことだとしたら、あなたはあなた自身の意識を持っていることを、他のお二人に証明することができますか?」

「そんなことを言われても……。ほら、俺は俺じゃないですか?」

秋山は自分の胸を二度叩いた。

「いや。それじゃ、証明にならない」

仙波が首を横に振った。

「いつもと変わらないですよね?。確かに俺は自分の意識で動いていますよ」

「うーん。でも、そう言わされていると考えることもできるね」

松苗が言う。

「お、おいおい。俺は自分の意識を持っている、それは確かだ」

「そうでしょうか?」音香が口を挟んだ。「そのように思うことも私がコントロールしている、と言うこともできますね。貴方の脳のニューロンに、ある方法でシグナルを送信しているとしましょう。そうなると、貴方の行動や思考は、そのシグナルによって発生する反射運動ということになります。あなた自身が意識を持っていると考えて言うこと自体が、既に私のコントロールによるものなのです」

「それは………」

秋山は言葉が詰まる。

音香の表情とは無関係に発声される抑揚のない流暢な会話に、もしかしたら例えではなく本当に意思を奪われているのではないか、そんな錯覚を覚える。秋山だけではなく仙波と松苗も、もしかしたらすでに意思を奪われているかもしれない。シナリオ通りに動くアクタ。彼女ならできそうな気がする。

 三人とも、それぞれが同じ事を感じて戦慄し、沈黙した。

「私の質問は以上です」音香は腰をおろした。「最初に言いましたとおり、明確な答えは用意しておりません。後は、あなた達の思うままに考えてください」

「あ……あの……」

秋山が言う。

「先ほどの話は単なる例えですよ」

音香がクスッと笑う。

「はは……。そうですよね」

秋山は乾いた笑いを返した。

「それと、仙波さん」音香の視線が仙波に移る。「あなたには、他にも質問をしていましたね」

「ええ」

「それについても今は解答を提示しません。考えておいてください」


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