第8話 採点と介入
理想郷イデアから少し離れた位置の高い廃墟ビル。
俺……喰聖はそこから自分が設置した戦場を見ていた。
迎え撃ったのは予想通りレイナの部隊だった。
当然だろう。理想郷イデアを覆っている壁や天井は相当頑丈な素材で作られている。
それを受け継いだ今の支配者たちは、この壁が突破されることなど考えていない。
それらが長い年月による摩耗で、かつての頑丈さを失っていたとしても、奴らは気づいていない。いや、壁を見ていないのだ。
ゆえに黎明教会の戦力は、基本的に内か、外に向けられる。
権力者の護衛か、あるいは外で労働力の確保……
そのどちらかに戦力が回されている。
ここで外壁を破壊し、理想郷内の危機意識を刺激する案もあったが、それは却下した。
シオンが言うには、この壁を作る技術は今では失われている。
維持はできても、新しく作り直すことはできない。
だから襲撃し、外壁が軽く傷つく程度に留めるのが理想だろう。
そうすれば、外壁のメンテナンスに予算を費やす方向へと誘導することはできる。
今回、襲撃を企てたサブの目的といったところか。
「やはり、ツバキの実力はゲームよりも低いな」
彼女はストレスがかかるほどに、急激に強くなる。
ゲームにおいては、初出撃の時点で隊長であるレイナが死亡していた。
それがきっかけで、彼女はとある手段を用いて、限界を超えた出力を強制的に安定させる。
だが、この世界では俺の介入でレイナは生きている。
それを間違いだったとは思っていない。
だが、それはそれでツバキに別の成長を促すことが必要なのも事実だ。
いずれは、遺者の王、神化災を討伐してもらう必要があるのだから。
奴は……俺では殺せない。
「想像以上に連携はできているな……
やはり部隊で考えたとき、隊長がもたらす恩恵は大きいか」
最初こそ、エンリが飛び出した影響で、ぐだついた面もあった。
だが、レイナが自分の隊だけでなく、守備兵も含めて的確な指示を出したおかげで壁に強力な一撃が直撃してはいない。
守備兵が黒いレーザーを盾で受けられたのも、その命令を彼らに出していたからだ。
確かに強いわけではない。
強さだけならチンピラ遺者にも劣ってしまう。
だが、彼女は人に慕われる優しさがある。
守備兵や、部隊の仲間たちが命令を聞いているのは、彼女の手腕によるところが大きい。
エンリやツバキが最初に突撃していったのは、まぁ、彼女たちがせっかちなだけだ。
事実として、飛び出していったツバキも、最終的には彼女の思惑通りの配置についている。
まぁ、せっかちな二人が飛び出す前に指示を出せないという、少し遅い面はあるが、それはこれから改善していけばいい話だ。
「ほう……意外だな。
来たのか……三割近い数がいるとはいえ、死ぬのは雑魚の遺者だけだというのに。
自らが出張ってくるか……」
俺の視線の先に姿を現した遺者……王眷の侵命災。
奴は動揺した様子で、何かを探しているように見えた。
おおよそ察しはつく。
間違いなくこの戦力を管理しているはずの媒后のアルネアを探しているのだ。
「媒后……媒后はどこにいる?
お前らは何をした?」
奴の声が聞こえた瞬間、俺の翼の中にいるアルネアが震えた。
恐怖しているのか、あるいは武者震いか。
おそらくは前者だろう。
支配を解いてやったとしても、感情的な恐怖が即座に消えるわけではない。
俺は彼女を翼から解放し、まっすぐに彼女を見つめた。
「奴を……殺しに行くか?」
「……いや」
解放された彼女は、超低空飛行をしながら侵命災をじっと見つめていた。
本当に侵命災の支配から解き放たれたのか……
それを確認しているように見えた。
「……あの子、強いね」
アルネアはツバキを見て、そう呟いた。
侵命災とツバキの戦いは激化している。
一見すると、戦況は互角に見えた。
だが実際はそうではない。
ツバキは限界を超えて攻撃しているのに対し、侵命災にはまだ余裕がある。
「しかし、流石は主人公といったところか?
既にオーバードライブを使いこなし始めている」
オーバードライブとは、聖遺装と自らの神経を強く接続することで、強制的に出力を限界突破させる技だ。
問題は、力の逆流にある。
限界以上に引き出された出力が神経を伝い、使用者自身を内側から焼き切ってしまうのだ。
だが、ツバキは神経の接続を細かく組み替えることで、逆流を抑えながら出力だけを引き上げている。
理論上は可能だ。
とはいえ、それを実戦中に行うとなれば話は別になる。
神経を接続し、出力を引き上げ、逆流前に切断する。
その作業を、わずか数秒で完了させなければならない。
しかも、神経を何度も繋ぎなおすのは、かなりの痛みを伴うはずだ。
まさに天才の所業といえる。
それでも――侵命災には届かない。
「ふふっ、いいわね……
貴女は綺麗ヨ……ずっと見ていたくなる」
王眷と呼ばれる遺者たちは、全員が自らの欲望のために遺者となっている。
少なくともゲームではそうなっていた。
ツバキが奴に勝てるとしたら、そこから生まれる隙を突く必要があるだろう。
侵命災の欲望は、蔑視欲。
自分より下のものを作り出し、それを踏みつけることで満たされる欲望だ。
だから奴は、すぐには殺さない。
相手の努力を引き出し、希望を抱かせ、誇りを見つける。
全てを見下し、冷笑しながら、楽々と打ち砕く。
それが奴の欲望であり願い。
つまるところ、ただの屑だ……。
「あら、凄いわ……
私の糸を突破できない火力に、私の隙を見抜けない観察眼……
それに、戦うしか選択できない勇敢な頭……ふふっ、みごとみごと」
侵命災は、笑っていた。
ツバキの攻撃を捌きながら。
致命傷を与える機会を、何度も見逃しながら。
殺せないのではない。
殺さないのだ。
相手が必死に足掻く姿を見たい。
限界を超え、希望を掴んだと思わせたい。
その上で、届かないと告げたい。
それが奴の蔑視欲。
相手の全力を引き出し、それを上から踏みにじることで満たされる欲望だった。
「随分と悪趣味だな」
思わず、そう呟いていた。
俺の隣で、アルネアが小さく震える。
けれど、その震えは先ほどとは違っていた。
恐怖だけではない。
そこには小さな怒りがあるように見えた。
「あいつは人を弄ぶ。
人の感情を逆なでして、楽しんでいるんだ」
「なら、隙はあるな」
「確かにある程度の隙はあるだろうけど……
それでも単純に奴は強いよ?
それだけで倒せるとは……」
「倒せるか……倒せないかではない。
やるか、やらないかだ。
侵命災と深くつながっていたお前なら、奴の隙を突けるのではないか?」
そう言うと、彼女は体を震わせながらも、その視線を戦いに向ける。
ツバキと侵命災の戦いはさらに激化している。
押されているのはツバキだ。
全身のいたるところに傷があり、いつ動けなくなっても不思議ではない。
だが、余裕が無いのは侵命災の方だった。
明確に感情的になり、その動きから繊細さが失われている。
「お前を殺したら、優雅にティータイムとでも洒落込みましょう。
羨ましいでしょう?
理想郷イデアの壁に守られているだけのお前には、雲の上の贅沢でしょうからね!!」
その時に気づいた。
ツバキは、侵命災の話を一切聞いていない。
極度の集中による、自然な無視。
彼女は人の話を聞かないような人間ではない。
ただ必死に抗った結果、侵命災を苛立たせているのだ。
「あーもういいわ」
その時、奴は痺れを切らした。
何をしても面白い展開にはならない。
そう思ったのだろう。
奴はいきなり、黒い瘴気を周囲に解き放った。
「っ、うぐっ」
その黒い瘴気を吸ったツバキが、吐血した。
ここまでか…… 本来なら、今のツバキが相手にしていい存在ではない。
俺が救助に……そう思った時、横で大きな羽の音がした。
――隙を見つけたか。
「あはははっ、私を楽しませないなら、せめて醜く苦しんで死ねェ!!!」
人は愉悦に飲まれた時、もっとも醜い隙を作り出す。
それは当然、ツバキにも見えているはずだった。
瘴気に汚染され、体は悲鳴をあげているだろう。
だが、彼女はそれでも体を動かし、侵命災の核を狙う。
「狙いは悪くない。
けど、遅いわ」
侵命災は指からワイヤーよりも鋭い糸を出し、ツバキを迎え撃つ。
そのまま行けば、ツバキはバラバラになって死ぬだろう。
だが、それを助けたものがいた。
羽音とともに侵命災の動きが鈍る。
アルネアが、かつて繋がれていた支配の糸に干渉したのだ。
奴の瞳がゆっくりと動いて、アルネアを捉えた。
その表情は驚愕へと変化していく。
その隙を、ツバキは逃さなかった。
「死ね」
いつもの彼女からは想像できないほど、静かな声だった。
次の瞬間、ツバキの一撃が侵命災に直撃する。
膨大な赤い力が弾け、奴の肉体を吹き飛ばした。
「……お前は、いえ、あなたは一体……?」
ツバキがまっすぐにアルネアを見る。
彼女は自分が遺者に援護されたという事実を理解して、同時に困惑しているのだろう。
普通ではまず考えられない。
瞬間、アルネアが糸で拘束され、ツバキの体が吹き飛ばされた。
瓦礫の中から、侵命災が姿を現す。
回復は間に合っていない。
手足はもげ、核にも大きな罅が入っている。
それでも、奴は生きていた。
「トゲが……」
震える声だった。
怒りとも、困惑とも違う。
まるで、自分が傷つけられたという事実を理解できていない声。
「トゲが、刺さった……」
次の瞬間、侵命災の顔が醜く歪んだ。
「私にィィィィ!!
トゲが刺さったァァァァァアアア!?」
奴は目に見えて激昂している。
自らを楽しませるための存在に、ここまで愚弄された。
その事実が奴の自尊心を激しく傷つけたのだろう。
「もういい!
消し飛んで死ね!」
瘴気を球体状に形成し、それを放出した。
黒い瘴気は周囲の植物を急速に枯らしながら突き進む。
俺は廃墟ビルの縁を蹴り、戦場へと落ちる。
そして彼女たちの前に割り込み、その攻撃を翼で薙ぎ払った。
「次から次へと……お前はなんだ!?」
「なんだ……か。
強いて言うなら――
お前らの敵だ」
俺は翼を広げ、大量の血液を放出した。
血はツバキとアルネアを包み込み、拘束を解き、体内に入り込んだ黒い瘴気だけを吸い上げる。
「瘴気を吸収した……?
お前が、私を殺すつもりか?」
「残念ながら、その期待に応じるつもりはない」
ツバキが立ち上がる。
アルネアもまた、震える羽を広げていた。
ツバキの体を汚染していた瘴気は、すべて取り除いた。
アルネアもまた自らの恐怖を振り払っている。
であれば、もう彼女たちを止めるものはない。
「お前を殺すのは、その二人だ」
侵命災の顔が、醜く歪む。
「はっ、確かに私はかなり傷ついている。
だが、お前にならともかく、こんな下等な連中に――」
「まだ分かっていないのか。
お前が見下した者たちの底力を……」
アルネアの羽音に呼応するように、大量の蚊が出現し、侵命災を襲い始める。
これがアルネアの力の一つ……侵命災が与えた力が、今度は奴自身を追い詰めている。
「クソが!!
こんなダサい奴の支配下に落ちたノカ!!
なら、もう一度……奴隷にシテヤル!!」
蜘蛛の糸が、アルネアに襲い掛かる。
その糸に、彼女は自ら飛び込んだ。
「バカが!!
今度は二度と逆らえないように縛り直してヤル!!」
糸を伝って、黒い瘴気がアルネアの体を侵食する。
このまま彼女を自らの支配下に置くつもりなのか……まずいな。
そう思って翼を広げようとしたとき、彼女の羽が揺れた。
……介入すべきではないな。
「わ、私は……お前の操り人形にはならない」
彼女は震えながら、それでも侵命災を見据えていた。
かつて支配されていた糸。
命令され、縛られ、奪われ続けた繋がり。
その残滓に、今度は彼女の方から指をかけている。
「ば、バカナ……お前ごときにっ!?」
アルネアの声は小さかった。
けれど、確かに届いた。
その証拠に、糸を伝っていた黒い瘴気が、アルネアの内側から溢れた力に押し返されている。
即座に支配するつもりが、尋常ではないほどに抵抗された。
これは奴にとっては、完全に想定外だったのだろう。
なにせ隙だらけにもほどがあるのだから。
「私のことを忘れたの?」
静かな声が、侵命災の背後から落ちた。
赤い力が、ツバキの両腕に集中していく。
神経を繋ぎ、出力を引き上げ、逆流する前に切り離す。
それを繰り返しながら、ツバキは一歩踏み込んだ。
そこでようやく侵命災が気付いた。
醜く顔を歪めて叫んだ。
「来るな!
来るな来るな来るな!
お前ごときが、私に近づくなァ!!」
その声には、もう余裕がなかった。
蔑みも、嘲笑も、優越もない。
あるのはただ、自分が下に置いたはずの存在に追い詰められる恐怖だけだった。
「紅爪閃牙」
赤い爪が、侵命災の核に直撃する。
罅が大きく広がった。
「やめ――」
「終わりです」
ツバキが腕を振り抜いた。
罅の入っていた核が、赤い力に飲まれて砕け散った。
侵命災の体が、大きく震える。
崩れかけた顔で、奴はなおもアルネアを睨みつけた。
「お前……私の……私の下にいたくせに……」
アルネアは答えなかった。
ただ、静かに奴を見ていた。
その視線に、蔑みはない。
怒りも、ほとんど残っていない。
ただ、終わったものを見る目だった。
「お前は……私を見上げていればいいんだ……
下にいたくせに……私の下にいたくせにィィィィ!!」
侵命災はそれに耐えられなかったのだろう。
最後まで何かを叫ぼうとして――そのまま、黒い塵となって崩れ落ちた。




