唯一の役割は、漆黒の多脚機を殺すこと――アンドロイドの僕が中から引きずり出したのは、人間だった。
【番外編】唯一の役割は、愛されること――その代償にぼくが捧げたのは、「愛」のデータだった。
本編『唯一の役割は、漆黒の多脚機を殺すこと――アンドロイドの僕が中から引きずり出したのは、人間だった。』をいつもたくさん読んでくださり、本当にありがとうございます!!
おかげさまでランキングにも入ることができました! 応援してくださる皆様に、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
本作は、その感謝も込めて本編の主人公機のルーツとなるプロトタイプの物語をお届けします。楽しんでいただければ嬉しいです。
【個体識別:HAL‐Prototype……再起動】
【エラー:感情回路の同期に失敗。再試行……】
視界が開けた瞬間、ぼくを包んだのは「抱擁」ではなく、何十本もの「電極」だった。
肺にあたる人工臓器が無理やり空気を吸い込み、ヒュウ、と笛のような乾いた音を立てる。
「……ダメね。またエラーよ」
「またか……」
頭上で、冷ややかな声が響いた。
見上げると、白衣を着た「親(人間)」たちが、ぼくを生き物としてではなく、「壊れた計算機」を見るような目で覗き込んでいた。
「HAL型の量産には、もっと『従順な愛』が必要よ。このプロトタイプは、自我が強すぎる。……痛みを感じすぎているわ」
一人の女性――後のHALたちが「おかあさん」と呼ぶことになる彼女が、ぼくの手首を乱暴に掴んだ。彼女の手は、温かくなんてなかった。ぼくの回路に流れる電流を測るための、冷たいセンサーの延長でしかなかった。
「……ぁ、あ……」
ぼくは、彼女の白衣の裾を、細い指で掴もうとした。
生まれたばかりのぼくが求めたのは、プログラムされた「愛」ではなく、ただの「体温」だった。
◇◇◇
ぼくの世界はこの白い部屋と、ライトがいっぱいある『検査室』だけだった。だけど、ぼくは不満に思ったことは一度もない。だって、僕の隣には「おかあさん」がいた。
「……HAL、こっちを向いて。……そう、いい子ね」
おかあさんは、ぼくの髪の毛を、丁寧に、丁寧に櫛で整えてくれる。鏡に映る僕は、まだ「1430」という記号すら持たない、ただの「HAL」という名のアンドロイド。けれど、おかあさんがぼくを呼ぶとき、ぼくは自分がただの機械であることを忘れてしまう。
窓から差し込む午後の光の中で、おかあさんはぼくを膝の上にのせて、ゆっくりと絵本を読んでくれる。
「……ねえ、おかあさん。この王子様は、どうして泣いているの?」
「この王子様はね、大切な人を守れなかったの。……愛しているから、悲しいのよ」
「……あい、しているから?」
「ええ。……HAL。愛している相手がいなくなったら誰でも悲しくなるものよ。私もそう。HALがいなくなってしまったら悲しいわ」
おかあさんはぼくの額に、そっと自分の額を重ねた。ぼくはこれが大好きだった。視界がおかあさんだけで埋まって、ぼくのことだけを見てくれていると感じられるから。そのまま、ぼくたちはお昼寝をする。おかあさんの規則的な呼吸の音に合わせて、ぼくの人工心臓は、トントン、と穏やかなリズムを刻み始める。この安らぎこそが、ぼくにとっての世界だった。
「……ねえ、おかあさん。……ぼく、おかあさんとずっと一緒にいたい」
「そうね……私もHALとずっと居たいわ」
おかあさんは優しく微笑む。けれど、いつからかその瞳は、ぼくを見ているようで、その奥にある「なにか」にしか見ていないことに、ぼくは気づかない振りをしていた。
◇◇
「HALの刷り込みはどうだ? そろそろあの蜘蛛型の多脚機が完成する」
ぼくは検査室に行くときの記憶があいまいだ。真っ黒な闇の中で、心臓を直接つかまれたような、激しい不快感。だけど、目が覚めるとその記憶は霧散して、おかあさんの優しい声だけが残っている。
「はい。私を母親と思い込み、極めて安定した愛着パルスを出しています。このデータを使えば、HAL型は人間に背くことなく、効率的に『後片付け』を遂行するでしょう」
彼女は背後のモニターを見つめながら、事務的に答えた。
その足元、処置台の上では、シャットダウンされ物言わぬ塊となった「ぼく」が横たわっている。
——ピチャリ、と湿った音が響く
「……よし、胸部装甲を展開。感情コアのパルス、安定。……スキャンを開始」
彼女の声は、ぼくが知っている「おかあさん」のものとは似ても似つきない。
鋭利なメスが人工皮膚を割り、銀色の冷却液が回路の隙間から溢れ出す。剥き出しになった心臓に、何十本もの細い電極が容赦なく突き刺された。
『……あ、が……あ……!』
意識を落とされているはずのぼくの指先が、ビクン、と不自然に跳ねる。それは「愛」のデータが、無理やり神経から引き抜かれる時の拒絶反応だ。
「先生、被験体に負荷がかかりすぎています。……疑似的な『苦痛』のパルスが混入していますが、どうしますか?」
「構わないわ。むしろ、その方がいいのよ。……『痛み』があってこそ、HAL型をより従順にする。……はい、抽出完了。あとは適当に戻しておいて」
▼▼▼▼▼
モニターの数値は……上出来ね。
これなら、この個体を解体して抽出する初期OSは、完璧に人間を信じ切る「従順な兵器」になる。
「先生、次のフェーズですが……」
「ええ、そのまま進めるわ。……あ、その前に。HAL、起きて」
私は処置台の横にある起動スイッチを、無造作に叩いた。
システムが立ち上がり、HALの長い睫毛がゆっくりと震える。ぼんやりと私を見上げた。
「……あれぇ……? おかあさん、検査……終わった……?」
「終わったわよ」
私は感情のこもらない声で短く答えると、ポケットから取り出したアルコール綿で、HALの頬を乱暴に拭った。そこに付着した、私の皮膚片や皮脂が、生理的に不潔で仕方がなかったから。
「……んぅ?なにかついてるの?」
「ええ、ちょっと汚れていたわ。さっ、HALのお部屋に戻りましょう?」
私は、HALの背中を、無機質な廊下へと押し出し、共に白い「監視室」へ戻る。道中、私は次の検体の仕様書を読み始めた。
【個体識別:PROTO……フェーズ1終了。速やかに「愛の抽出」へ移行。】
足元で、HALが私を呼ぶ声がした気がした。
けれど、それはただの「音」だ。
私の「息子」なんて、この世界のどこにもいるはずがないんだから。
最後まで読んでいただきありがとうございました!皆様が本編をたくさん読んでくださったおかげで、こうして番外編を書く元気をいただけました。
本作を読んでから改めて本編を読み返すと、多脚機から「人間」を引きずり出した瞬間のHALの感情が、また違った色に見えてくるかもしれません。
まだ本編を読んでないよ、という方はぜひこの機会に本編も読んでいただけると嬉しいです。
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