↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/135

第72話 透明性は理想か

 多国間への拡張を前に、非公式の会談が設けられた。


 場所はハルフェンの港湾会議室。出席者は二人だけだった。記録係も置いていない。置かないことを、どちらも言い出さなかった。


「透明性は拡張する」


 イグナーツが静かに言う。


「予想はしていましたが、早い」


「小国ほど必要とします」


 エリシアは答える。


「非対称は圧力になりますから」


 イグナーツは頷いた。頷いてから、卓の木目を一度撫でる。港の会議室の卓は、王宮のものより手触りが粗い。


「透明性は、武器にもなる」


「ええ」


「だが、理想ではない」


 その言葉に、エリシアは視線を上げた。理想ではない、と言われるのは初めてではない。だが、賛成している側から言われたのは初めてだった。


「理想ではない」


「透明性は常に緊張を生みます」


 イグナーツは続ける。


「弱点を晒し、比較を生み、競争を加速させる」


「隠蔽よりは健全です」


「隠蔽は腐敗を生む。だが、過剰な透明は社会を疲弊させる」


 短い沈黙。窓の下で、荷を積み終えた船の綱が緩む音がした。


「あなたは透明性を信じている」


「信じてはいません」


 エリシアは静かに返した。


「選んでいるだけです」


 その答えに、イグナーツの目がわずかに揺れた。信じていない、という答えを、彼はたぶん予想していなかった。


「選択ですか」


「公開は正義ではありません。万能でもありません。ですが、非公開より責任の所在が明確になります」


 責任。その言葉が重く落ちる。所在が明確になるということは、逃げ場が減るということでもある。


「帝国は責任を恐れません」


「王国もです」


「だが、他国は」


 イグナーツは問いを投げる。他国、という言い方をしたとき、彼は自国のことも数に入れていた。


「透明性に耐えられない国もある」


「耐えられなければ、拡張は止まります」


 エリシアの声は落ち着いていた。


「透明性は強制ではありません。参加は選択です。拒否する自由もあります」


 それは理念の核心だった。核心はたいてい、条文のいちばん短いところに置いてある。


「一つ、伺います」


 イグナーツは言った。


「あなたは、疲弊した社会を見たことがありますか」


 エリシアは即答しなかった。答えを探したのではない。見たことがない、と認める順番を選んでいた。


「ありません」


「私はあります」


 彼は続ける。声の調子は変わらない。変わらないまま、話の中身だけが個人のものになった。


「二十年ほど前、帝国の北の州で、農地の収量をすべて公開させた時期がありました。三年で不正はなくなりました。四年目に、収量の低い村から人が消えました。誰も追い出していません。全員が、自分で出ていった」


「記録は」


「残っています。誰も読みません」


 イグナーツは言った。


「読む理由がないからです。不正がなくなった年の記録ですから」


 エリシアは、しばらく黙っていた。人が消えた、という言い方の中に、追い出したという語が一つも入っていない。


「その記録を、いただけますか」


「何に使う」


「読む理由を作ります」


 イグナーツは、初めて声を出さずに笑った。読む理由を作る、という答えを、彼は繰り返さなかった。


「あなたは理想家ではない」


「設計者です」


「いえ」


 彼は首を振った。


「あなたは戦略家です」


 静かな笑みが交わされる。戦略家、という語を、彼女は否定も肯定もしなかった。


「帝国は多国間への拡張を阻止しません。ただし、管理できる範囲で」


「均衡は維持されます」


 エリシアは頷いた。


「均衡は、緊張の上に立ちます」


 窓の外、港の灯りが揺れている。夜番の交代までは、まだ間がある。


「透明性は理想ではない」


 イグナーツが最後に言う。


「戦略だ」


「はい」


 エリシアは答えた。


「だからこそ、選ぶ価値があります」


 彼が退室したあと、机の上に薄い綴りが一冊残されていた。表紙に何も書いていない。二十年前の、北の州の収量表だった。

理想家ではなく、設計者でもなく、戦略家。呼び名が三つ変わるあいだ、エリシアは一度も強く否定していません。北の州の収量表は、この作品で初めて「不正がなくなった年の記録」が出た箇所です。読む理由を作る、と彼女は言いました。五カ国が同じ様式を卓に並べる回が来ます。協定は発効し、当直の職員が閲覧履歴に妙な一行を見つけます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。