第64話 静かな買収
それは、救済の形をしていた。
南部第二港。取扱量の減少で、関連する中規模商団が資金難に陥った。そこへ、ノルトラント系の企業が現れる。
「共同出資の提案です」
提示額は市場価格より一割高い。拒む理由はない。一割という幅は、恩に着せるには足りず、断るには惜しい。よく計算された幅だった。
公開記録板には、正確に表示された。
『資本構成変更 帝国企業:四十九パーセント取得』
過半ではない。だが、実質的な経営への影響力は持てる。四十九という数字は、書類の上では常に安全側に見える。
「制裁ではありません」
イグナーツは淡々と言う。支援という語を、彼は少しも強めずに置いた。
「支援です」
数字はそう示していた。倒産は回避、雇用は維持、港湾機能も継続。三つとも、記録板の上では改善の色がつく項目だ。
だが、意思決定は帝国側の意向を無視できなくなる。無視できないことは、議事録には一行も現れない。
ハルフェンの会合室で、ヴァルドが報告した。
「三社目です。すべて、公開データ上で合理的救済と評価されています」
否定できない。むしろ、短期の安定は改善している。改善しているものを止める理由を、公開の言葉では作れない。
「侵食は、合法です」
アルノーが苦く言う。合法、という言葉を苦く言うのは、法を書いた側の癖だ。
「公開が保証しています」
透明性は、契約を正当化する。正当化された契約は、あとから読み返しても正当なままだ。
王宮の議会は沸いていた。
「規制すべきだ」
「外国資本比率に上限を」
「公開の理念に反します」
側近が反論する。理念、と口にした瞬間に議場の温度が一度下がるのが、彼にも分かっている。
レオンハルトは机に手を置いた。議場の紙は片づいていない。片づける前に次の議題が来る日が、この半年ずっと続いている。
「我々は公開を選んだ。ならば、選択の自由も守る」
だが、内心は揺れている。守ると決めたものが、決めたとおりに使われて国を削っていく。決めた日には、この形を想像していなかった。
夜、エリシアは記録板を追っていた。公開は嘘をついていない。不正もない。だが、国の構造がじわじわと変わっていく。速い変化なら誰かが止める。遅い変化は、止める理由の書きようがない。
三社目の資本構成変更の頁を開くと、備考欄に短い記載があった。当期の任意支出を見直す、と書いてある。
任意支出の一覧を開く。十一項目あった。上から順に、港湾再教育枠、共同保育所の補助、荷役者互助金、夜間照明の増設。
どれも、止めても明日は止まらないものばかりだった。止まらないから、止めても誰も咎めない。
「公開は、守らない」
小さく呟く。
「守るのは、設計です」
ヴァルドが問う。守らない、と彼女が言ったのを聞き逃さなかった。
「設計を変えますか」
エリシアは首を振った。
「制限ではなく、対称性です」
「対称」
「相手も、同じだけ見せる」
今は一方的だ。王国はすべて公開している。帝国は部分参加のままだ。力の差がある。差があること自体は、どちらの落ち度でもない。
そのとき、伝令が入った。
「帝国経済監査局より提案です」
書簡が差し出される。
『帝国は港湾共同管理案を提示する』
静かな衝撃が走った。共同管理。つまり、実質的な影響力の拡大。書簡の紙は上質で、折り目が一つも付いていない。使者が抱えて運んできたのだと分かる。
イグナーツは、遠くから盤面を動かしている。
エリシアは書簡を読み終えてから、任意支出の一覧のほうへ戻った。十一項目のうち、公開枠組みの推奨に入っているのは二つだけだ。残り九つは、どの様式にも載らない。
彼女は九つを書き写した。書き写しながら、これを載せる欄をどこに作るかを考えた。
港の夜風が強くなっていた。
止めても明日は止まらないものは、止めても誰も気づかない。十一項目を書き写す手が、この章の反撃の最初の一手です。派手ではないので、そのぶん丁寧に。次回、共同管理案を読み終えたエリシアが、初めて『公開は万能ではない』と書きます。書いたあとで、二度目の束の紐を解きます。ブックマークと評価は、買収の値札と違って一割の上乗せは要りません。定価で受け取ります。




