第25話 王国の外で起きていること
書簡は、一通ではなかった。
朝、執務室に入ったエリシア・フォン・ルーヴェルの机の上には、整理された封筒が静かに積まれている。積み方は届いた順で、誰も並べ替えていない。
「……増えましたね」
ヴァルドが控えめに言う。
「三日前までは、二、三通でしたが」
「今日は」
「八通です」
エリシアは小さく息を吐いた。八通、という数を、ヴァルドは数えてから報告に来ている。
差出人はさまざまだ。隣国の学術機関、中立都市国家の行政部、名を伏せた商会。文面は、ほぼ同じだった。同じ文面が三つの国から届くのは、写しが回っているからだ。
『貴女の制度設計に、協力を願いたい』
『共同研究という形で、知見を共有できないか』
『試験導入を検討している』
丁寧で、礼儀正しい。礼儀正しい手紙ほど、断りにくい書式で書いてある。
「どれも、使わせてほしい、ですね」
ヴァルドの言葉に、エリシアは頷いた。使わせてほしい、と、理解したい、のあいだにある距離は遠い。
「ええ。理解したい、ではありません」
彼女は一通ずつ目を通し、脇に置いていく。返事はまだ書かない。八通のうち六通は、条件の欄が先に書いてあった。何を求めるかより先に、何を出すかが書いてある手紙は、たいてい交渉ではなく買い付けだ。
昼前、商会連合の会議が開かれた。
「正直に言おう」
クロウフォード代表が率直に切り出す。正直に言おう、と前置きするときは、たいてい本当に正直だ。
「この流れは、好機だ」
「商会連合として、ですか」
「もちろん」
彼女は迷いなく答えた。
「制度が注目されている今、主導権を握れば、利益は計り知れない」
現実的な判断だった。悪意はない。悪意の無い判断のほうが、止めにくい。
「だが」
クロウフォード代表はエリシアを見る。
「あなたは、それを拒んでいる」
「はい」
エリシアは即答した。拒んでいる、と言われて、言い換えなかった。
「理由は」
「制度は、信頼で動きます」
彼女は穏やかに言った。
「信頼は、共有されることで育ちます。独占された瞬間に壊れます」
クロウフォード代表は少しだけ笑った。理想論だ、と言うときの声が、いちばん柔らかい。
「理想論だ」
「ええ」
否定しない。
「だから、私は売りません」
会議室に短い沈黙が落ちた。売りません、という言葉が、この部屋でどれほど珍しいかは、全員が知っている。
「……では、どうする」
「選びます」
エリシアは机に手を置く。
「誰と、どこで、どの規模で試すか」
「管理できるのか」
「管理しません」
クロウフォード代表は眉をひそめる。管理しません、という答えは、商会の言葉に翻訳できない。
「管理しなければ、制御できない」
「制御しようとした瞬間、制度は政治になります」
それが、彼女の一貫した答えだった。一貫しているから、毎回同じところで話が止まる。
会議のあと、廊下でヴァルドが並んで歩きながら言った。
「あの人は、あんたを止めない。止めないまま、隣で同じものを作る」
「ええ」
「それでいいのか」
「同じものが二つあれば、片方が壊れたときに、比べられます」
その日の午後、エリシアは一通の手紙を手に取った。差出人はアウレリア王国学術院。署名はルシアン・ヴァイス。
「……研究者ですね」
彼女は文面を読み、少しだけ考える。署名の字が小さく、余白の取り方が几帳面だった。
『制度を所有する意図はない。失敗も含めて、記録したい』
それは、他とは違っていた。条件の欄が、要求ではなく約束で埋まっている。
もう一つ、目に留まったことがある。文中に、王国の凍結通達の日付が正確に引かれていた。公表されていない日付だった。
「この方は、王国の内部記録を読んでいますね」
「送ったやつがいるってことだ」
ヴァルドが言う。
「同じものが、こっちにも来ている」
「はい」
エリシアは頷いた。書き手は一人だ。宛先を分けたのも、同じ一人だ。
夕方、返事は短かった。
『条件があります。制度は未完成のまま扱うこと。成果も失敗も公開すること』
署名だけを書き、封をする。
「会う、ということですか」
「ええ」
エリシアは頷いた。
「奪う人ではなく、観測する人なら」
夜、綴りに新しい記述が加わる。
『外部接触:増加 対応方針:選別』
手で引いた曲がった罫の一行目に、日付と、学術院という文字が入った。
「二行目は、誰になる」
ヴァルドが戸口から聞いた。
「決めません」
エリシアはペンを置いた。
「決めた相手だけを書く表は、書いた人の表になります」
何を求めるかより先に、何を出すかが書いてある手紙は買い付けだ、という見分け方は、作者が一度使ってみたかったものです。次回、視点はアルノーへ。同盟評議会が『標準化』の名で彼女の手法を所有しようとし、彼が反対に回ります。夕刻、彼女が口にするのは『所有されない場所』。そこに入る一人目は、もう決まっています。




