076 信頼の証 後編
「先生、まずは着替えましょう」
それだけ言うと、まったく動かず置物の銅像のようになっているナオの元に近づいていく。
いつもであればワタワタしながら露骨に距離を取ろうとするが、今は微動だにしない。
メルが手を伸ばす。
いつもなら触れることのかなわない距離。だが今日は違う。
そのまま愛しの先生の顔に触れようかと思ったが、そんな邪な思いを振り払い、教師服のボタンへと手をかける。
ぷちりぷちりとボタンをはずしていき、前を開いて服を脱がせようとする。
石膏像のように完全に固まっているわけではない。服から腕を抜こうとすると、力なくそれに従ってくれる。もう片方も抜いて、服の泥がベッドに落ちないように気を付けながら完全に脱がす。
昨日は帝国からどれだけ急いで走って帰ってきてくれたのだろうか。それを示す男の汗の匂いがする。
その匂いは嫌いではなかった。先生が頑張った証でもあるからだ。
だけど、この状態のままいるわけには行かない。
持ってきたリュックサックの中からタオルを取り出すと、炊事場で水にぬらして戻ってきて――
「先生、体を拭きますね」
一言断ってから、シャツを脱がし、その下の肌着を脱がし――
「っ!」
そして息を飲んだ。始めて間近で見るナオの鍛え上げられた体、そして筋肉。芸術品のように整ったそれに息をするのを忘れた。
「ふ、拭きますよ」
さすがに正面から拭くのは恥ずかしいので、ベッドに乗って背中から始める。
大きな背中。メルの体が小さいこともあるが、武芸系であるナオの鍛えた背中はより一層大きい。そんな背中を優しく拭いていく。
恥ずかしさを考えないように、無心でただ作業するかのように拭く方法もあるだろう。
だけどメルは一拭き一拭きに感謝と応援の気持ちを込めて拭いた。
拭いて、拭いて、拭いて。
背中が吹き終わったら、首、そして肩。腕も丁寧に拭いて、わきの下も拭く。
前を拭こうと思って、少し恥ずかしくなり……一度タオルを洗ってから、もう一度戻ってきて、そうして後ろから抱き着くようにして、ナオの胸を、腹を拭いた。
「綺麗になりましたよ。さすがに下はできません。乙女なので」
ズボンも汚れていて、下半身も汗まみれだろうけど、これ以上は結婚前の乙女がしていいことじゃない。とりあえずは上半身だけでも綺麗にして、気分を落ち着けてもらいたい。
まだ夏の暑さが残っているため、肌着を着せるだけに留めておく。
「先生、何も食べてないですよね。そう思って食べるものを持ってきましたよ」
リュックサックの中から弁当を取り出す。
「これはアルバイト先の店長が作ってくれたんですよ。ありがたくいただきましょう」
中には卵焼きや野菜、タコさん腸詰など、いろとりどりで栄養を考えたバランスのよいおかずが詰まっていた。
ナオにはああ言ったが、実はこの弁当はメルが朝早くから自分で作ったものだ。ナオには一度自分の重すぎる想いを受け止めてもらったことがある。自分の気持ちが重いことをメルは理解しているので、今のナオに余計な負担をかけないようにそう言ったのだ。
卵焼きを箸で半分に割り、小さくしてからつまんで、ナオの口へと持っていく。
食べてくれないのではないかという思いもあった。だけど、ナオは素直に口を開き、卵焼きを口に含むと咀嚼し、飲み込んだのだ。
続けて野菜。これも同じく飲み込んで。まるで小鳥に餌をやる親鳥のように、メルは無言でおかずを運び続けた。
そして、おかずが無くなったころ――
「……ありがとう」
ナオが言葉を発したのだ。
「っ! 先生!」
驚きのあまり、メルは弁当箱を床に落としてしまう。食べ終えて中身が入っていなかったのは幸いだ。
「……もう、このまま君を好きになって死んでもいい」
「や、止めてください! 何を言うんですか!」
「こんな情けない俺に優しくしてくれて。好きになるなって言うほうが無理だよ」
「先生に好きになって欲しくてやったんじゃありません! 私だって、リクセリア様だって、アゼートさんだって、先生に元気になってもらいたいから来たんです!」
「同じことだよ。二人にも感謝してる。でもね、一番感謝してるのはメル。君だ」
いつもは見せない落ち着いた優しい目。何かを悟って、力なく微笑む優しい顔。
反応はしてくれるようにはなったが、いつもと全然違うのは明白。
「私はたまたま最後にお世話をしただけです。リクセリア様が、アゼートさんが最後だったら、きっとまた違うはずです。
それに……私は先生に謝らないといけないことがあります。だからこれは私の罪滅ぼしでもあるんです」
「罪滅ぼし?」
「そうです。私が先生の情報を帝国に流していました。それで、それで、先生がこんな目にっ! ごめんなさい先生! ごめんなさい、ごめんなさい」
「泣かないでメル。それは仕方がないことだよ。君は悪くない。だから謝らないで。泣かないで」
「で、でもっ! そのせいで先生は先生を辞めてしまう! 私……やっと安心できる場所を見つけたのに……」
「ほら、メル。泣かないで。これでチーンして」
ナオがハンカチを差し出すと、メルはそれを手に取って鼻に当て、力任せに鼻をかんだ。
鼻をかんで、涙を拭いて、そして一息ついて……。
「先生、ありがとうございます。やっぱり先生は優しいんですね」
「教え子が泣いていたら当然のことだ」
「先生。私、先生に辞めて欲しくはありません」
「メル……」
「続けて欲しいです。まだまだいろんな事を教えて欲しいです。リクセリア様とアゼートさん。仲の良いクラスメートができたんです。この教室が好きなんです。大切な場所なんです。そしてそこには先生がいてくれないとだめなんです!」
「ありがとうメル。そこまで言ってもらえるなんて、教師冥利に尽きるよ」
「教師冥利に尽きるよ、じゃありません! なんですかその諦めたセリフ!」
「で、でも、俺はもう教員資格が……」
「まだ方法があるかもしれません!」
「方法って言っても、【貢ぐ者】で移動したスキルを再び覚えることはできないし……」
「しばくと奪い返せるかもしれません!」
「し、しばくぅ?」
「そうです。あの金髪ロン毛教師をぼっこぼこにしたら、今まで先生が貢いできたスキルを取り返すことができるかもしれません。それに! あの金髪、【貢ぐ者】を先生に与えたって言ってましたね。神の手ではなく人の手でそれをしたのだというのなら、【貢ぐ者】を消す方法だってあるかもしれません! 【貢ぐ者】で移動したスキルを再び覚えられないというのであれば、消えたように見えてもまだスキルを持っている状態と判定されていて二重に取得できないのかもしれません。もしかして【貢ぐ者】を消し去ればすべてのスキルが復活するかもしれません!」
「メル……」
「戦いましょう先生! 負けたままでは終われませんよ。なんたって、ナオ・クランクは私の先生なんですから!」
「分かった……。戦おう……。
今度こそ勝って、そして君たちに誇れる姿を見せたいと思う!」
力強くナオは立ち上がる。その姿は先ほどまでの弱々しい姿ではない。やる気と若さにまみれた武芸系教師、そのものだ。
「先生っ!」
そんな望んでいた姿を見たメルは感極まってナオへと抱き着く。
「め、メルっ! ちょっと、だめ、離れて! 【貢ぐ者】が!」
こうしてナオはやる気を取り戻し、ライバルであるクバロットとの再戦を誓ったのであった。
お読みいただきありがとうございます。
べっこべこにへこんでいたクランク先生の復活! これだけ教え子に慕われているなんて、ナオが今までやってきたことは間違いじゃなかったということですね。
この勢いで金髪ロン毛をボコってしまえ!
次回をお楽しみに!




