075 信頼の証 前編
――聖ブライスト学園 J棟1階廊下
金色のポニーテールを揺らしながらリクセリア・ラインバートは歩いていた。
目指すは特進クラスの教室。もちろん昨日のナオの事が心配になってのことだ。
リクセリアはナオの事を最初は取るに足らない男だと思っていた。だが、一緒に過ごすにつれて普通の教師とは違う事を、努力に裏付けられた力はとても大きいのだという事を知った。
だから彼女とて、ナオが負けるとは思ってもいなかった。
ナオの気持ちを量り知る事はできないが、本人ならなおの事だろう。
彼の最後の表情を見る事はできなかったが、相当に落ち込んでいるに違いないはずだ。
だが彼とて男だ。美しい自分が会いに行けば喜び勇んでくれるに違いない。そう思ってナオの元に向かっていた。
「あら、アゼートさん」
「……リクセリア……。……あなたも? ……」
教室へと向かう廊下の一角。同じクラスメイトであるアゼート・クームと鉢合わせした。
アゼートもリクセリアと同じく、ナオの事が心配なのだ。
彼女も【貢ぐ者】の事は知っている。それがどれだけ辛いことなのかは本人ではないため想像することしかできないが、人生を狂わせるほどの事態であることは容易に察することができる。
それが友達だと思っていた人の起こした事だと知ったナオの心情はいかがなものだろうか。友達と呼べる人の少ないアゼートにはやはり想像することはできないが、友達を家族と置き換えた時、心が震える程辛くなった。
そんな気分を少しでも和らげてあげたいと思い、ナオの元に向かっているのだ。
「みなさん考えることは同じですわね。ほら」
特進クラスの教室前に着くと、逆側から黒いショートボブを揺らしながら子供の様に見える背の低い女子が歩いてきていた。
ナオの教え子の一人、メル・ドワド30歳である。彼女は教え子三人の中では一番長く、そして一番深くナオと付き合って来た。ナオの辛さも本音も3人の中では一番知っている。
それでもちらりと見た昨日のナオの顔は今まで見たことの無いほどの悲痛な表情を浮かべていた。
ナオの両親からもナオの事は頼まれている。そうでなくとも、彼が打ちひしがれているのであれば手を差し伸べてあげたい。そう思い、背負ったリュックサック一杯に差し入れを持ってきたのである。
「お二人とも、お早いんですね。やっぱり先生のところですか?」
「ええそうよ。一緒に行きましょう。三人いれば先生も悶絶する程喜ぶはずよ」
「……」
(……悶絶する程喜んだら、また【貢ぐ者】が発動して、先生が悲しんでしまう……。行き過ぎないように止めよう……)
無言のアゼートは心の中で誓った。
教室の中へと入り、隣接するナオの部屋のドアをノックするが、返事は返ってこない。
コンコンと再びノックするが、同じことだった。
「先生、入りますわよ」
「ちょ、リクセリア様、勝手に入るのはまずいですって」
「……鍵、開いてる……」
あわあわするメルがリクセリアを押さえているうちに、フリーのアゼートがドアノブを回してしまった。
やむなくそのまま三人は部屋へと入る。
物音もしない部屋の中。
その部屋の端先、ベッドの上には俯いて座ったままのナオの姿があった。
「ナオ先生……」
ナオの姿は昨日の服装のまま。
土にまみれて汚れて、マントをちぎり取られた教員服。
その姿は、昨日からずっと同じ状態でそこに座っていることを表している。
目は開いているが、焦点が合っていない。起きてはいるが心ここにあらずといった状態。
現に彼女たちが現れてもピクリとも動かない。
「……っ! な、ナオ先生! あなたのご自慢の美人すぎる教え子が来てあげましたわよ。悶絶して喜びなさい?」
圧倒された気持ちを奮い立たせて、いつも通りに軽口をたたいてみる。
「…………」
だが、ナオからの反応はない。
「ちょっと、何とか言いなさいな! わたくしの問いかけを無視するんですの?」
「………………」
「んーーーーーーっ! 馬鹿っ! 何よその落ち込みよう! あんたはなんだってできるんじゃないの? 努力すればかなわない事なんてないって、大口叩いてたじゃないの! やって見せなさいよ、ナオ・クランク!」
リクセリアが予想してた以上にナオの状況は深刻だった。
大きな声で叫ぶことは超一流貴族令嬢としてはマイナスだ。それでも、元々の強気な性格から、彼には激励が必要だと判断して……そして、それ以上に彼女が叫んでまで思いを伝えたかったのである。
「……………………」
「っ! 馬鹿っ! そんなにめそめそしてたいならずっとそうしてればいいわ! もう知らないから!」
「あっ、リクセリア様!」
怒気をはらんだ声をあげて、踵を返し部屋を出て行ったリクセリア。
近くに居たメルは、彼女の口から小さく「見てられないわ」と言葉がこぼれたのを聞いていた。
「……先生、リクセリアは先生の事を心配している。……私だってそう……。でも……先生が立ち直って、もう一度立ち向かっていくことも信じてる……。先生なら、立ち上がれる……。だって、先生はなんでもできるから……。私の指、治してくれた……。先生はすごいの……。自分ではどう思っているのか分からないけど……先生はすごい。……これからだって普通じゃない事をやってくれるって信じてる……」
「…………」
「……私はあまりしゃべるのはうまくない。……リクセリアみたいに、大声で先生を励ましたりはできない……。心の中では沢山、沢山、先生が凄いって言ってる……。立ち上がって欲しい……。私の担任のナオ・クランクは英雄……。いつか、お父さんの手足も治せる方法を見つけてくれる。そんな英雄。……また一緒に勉強したい……」
「…………」
言いたいことが言えたのかは分からない。アゼートはちらりとメルの方を見て、そして無言で部屋を後にしていった。
「リクセリア様……、アゼートさん……」
二人が自分に時間をくれたのだということは分かっている。
何があってもナオを立ち直らせなくてはならない。二人が自分を信頼してくれたのだから。
そう思ったメルは気を奮い立たせる。
お読みいただきありがとうございます。
文字数が多くなったので前編と後編に分けています。
後編の公開をお待ちください!




